127 弱った人
倒れるまでいかなかった人は藤川さんや田中さんの車に乗っていった。
私が帰るにあたっては立石さんがいつもの駅まで送ってくれた。車内での話題はもちろん今日のこと。
「茶髪君に何か言われた?」
「〈またね〉って言われました」
「そっかあ。やだね。金髪君は?」
(何も言ってなかったぜ)
「何も言ってません」
「キミやアイレイリーズ君のからくりにあの人たちが気付いた様子は?」
(オレのことは微妙なとこだけど、主が何かしてるのは確信したかもな)
「私のことは邪魔者で確定したかもしれません……。金髪の人に『またこいつか』って感じの目で見られました。アズさんのことは微妙ってアズさん言ってます」
「微妙かあ。うーん……鎖に捕まってて消えたのはインパクトあったと思うから、両方バレたってことにしてこれからは考えようか。そういえば仮面の子にも何か言われてたように見えたけど」
「キルスさんが一番重症だって教えてくれました」
「へえ! 今日はだいぶ協力的だったし、あの子たちのこと見直したよ」
家上くんの印象が少しでも良くなったのなら嬉しいな。
☆★☆
翌朝、登校した私が教室に入った時、家上くんと美少女三人はいつものように過ごしていた。家上くんの趣味仲間たちと一緒に、以前にもやっていた線を引いて陣地を作るゲームで遊んでいた。半日観察してみたところ「いつもどおりだけどやや疲れがある」という感じだった。
そしてお昼に中庭で見た美女先輩は、
「体調悪そうな感じだったね」
と、はるちゃんが言うほどに何も知らない人から見ても弱っていた。歩くのがつらそうにも見えた。美男子先輩と後輩さんは普通だった。
アズさんによると昨日オレンジ美女先輩は敵の攻撃がお腹に当たってしまったらしい。血が出るようなことはなかったけれど、魔力関係を抜きにしてもボールのような物体がそれなりの速さでぶつかったのだから痛かったはずだし、武器にまとわせた魔力が不安定だったから茶髪の青年の力業攻撃より前に体調がおかしくなっていたのは間違いないとのこと。
(朝からあれで登校してくるとも思えないし、弱ったのが原因で風邪ひいて熱が出てきたってところかもしれない)
(でも三年生ですから、つらいけど休みたくなくて来たのかもしれません)
(ああそうか、そういうこともあるか)
「あっ。あれ、薬かな」
はるちゃんに教えられて美女先輩の様子を見てみれば彼女は水筒のコップに口を付けていた。
「もしかして生理かな」
はるちゃんは超小声で言った。私も同じくらいの声量で話す。
「顔しかめてたの、痛いの我慢してたからかもしれないね」
あんな風に見るからに具合が悪いと保健室行きを勧められそうだし、本人も行くことを選びそうだけれど、原因の心当たりとして月経があって薬の備えがあるならまず薬を飲んでみて……と考えるかもしれない。これまでに美女先輩が薬を飲んでいるのを見たことはないけれど、昨日特殊なことがあったのだから彼女の体はいつもと違っているのかも。
(アズさん。魔力が変で、生理に影響が出たということは考えられますか?)
(あー、そういうことも…………あったな。負傷したの肩なのにお腹押さえて、それで……どうなったかわからないけど、とにかく仲間のおかげであの人は……あの人? 誰だ……)
何かの場面だけを話して前後や周囲のことがわからないこの感じ、今アズさんが思い出しているのはきっとセラルードさんの記憶だ。
アズさんはたっぷりと時間をかけて誰かさんが誰かを思い出した。
(思い出した、先輩だ。前に話したのとは別の女の人)
二人目の女の先輩か。でも昔話の新しい登場人物ではなくて今までただ「先輩」とだけ言っていた話の中に出てきているかも。家に帰ったらこれまで聞いた話の記録を確認してみよう。
(……あのさ……)
(何ですか?)
(あのな、オレ、こういうのまだよくわかってないから、言って確認した方がいいと思いつつもためらってたんだけど、いい機会だと思ったから言ってみるな)
どうしたんだろう。とても言いにくそうだ。
(毎月、四日間くらい、主は普通にしてるけど主の不調を感じることがあって、具体的に言うと主が分けてくれるエネルギーが減るんですが、もしかしてあれは)
ああ……。これまでの持ち主が男性ばかりだったから十代女性がどう反応するかわからなくて、しかもはるちゃんとのおしゃべりで話題にすることが滅多になかったりデートの時に忠告を嫌がったりしたから慎重になっていて、私から話を振られてようやくアズさんからも話していいと判断できたんだろうな。
(量が多くて溜め息つきたくなる期間がそれくらいです。前回はいつでした?)
(えっとな……)
アズさんが言った日付は私が思ったものと一緒だった。ちょっと詳しく聞いてみると私の自覚より半日早かった。
(影響あったんですね。私、やだなって思ったり微妙に痛いなって思うことはあっても、具合が悪いって程のことにはならないんですけど。どれくらい減るんですか?)
(まちまち。風邪ひいて熱出てるのかってくらいの日もあれば、体育があったから疲れたってくらいの日もある)
(そうなんですか)
「そういえばさー」
「んー?」
「中学の時の修学旅行さ、私ちょうどかぶっちゃったんだよね」
この話はアズさんには聞かせない。一時遮断して、はるちゃんが別のことを話し始めてから元に戻した。
弁当箱の中身を空にした私とはるちゃんがお茶を飲んでいると、珍しいことにもう家上くんたちが立ち上がった。美女先輩は薬が効いたのかだいぶましな様子で私たちの前を通っていった。
強くて冷たい風が吹いて、パンの入っていた袋を飛ばされた生徒が慌てて追いかけていく。
「私たちもそろそろ退散しよっか」
「うん」
はるちゃんの提案に頷いて私はコップのお茶を飲み干した。
もしかすると美女先輩が冷えないように家上くんたちは早めの解散となったのかもしれない。
☆★☆
土曜日の朝、私は魔獣の核を提出しに出かけた。
窓口にいた辰男さんによると、向こうの世界から来た人たちは金曜日はよく休んで今日は鍛錬しているらしい。
「新しく来た若いのがおめーさんに会いたがってたから行くといいわ。なんつったか、やかんみたいな」
やかん? あ、ケトル?
「えっと、ケトスルエトさん?」
「おう、そんな名前のだわ」
辰男さんに勧められて、私は報酬を受け取った後、体育館に向かった。
入り口から体育館を覗くとシルゼノさんが何か青色の飛ぶ球体に追いかけ回されていた。
(持久力アップのための訓練だな。魔術使ってる方と逃げてる方両方の)
(へええ)
青色のものはネフェスセシカさんが操っているようだ。
走り続けるシルゼノさんが私に気付いて何か言った。すると壁際に座っているデイテミエスさんがこちらを見た。
「ゆかりさーん! 入ってきていいよー!」
私がデイテミエスさんのところまで行くと、彼とその隣にいる人が立ち上がった。デイテミエスさんが隣の人を紹介してくれた。
「トリアス・ケトスルエトだよ。体育会系だよ」
紹介されたのはデイテミエスさんと一緒にこちらの世界に来た人。青空のような色の髪と目を持つ若い男性。ジャージがよく似合っている。
「よろしくな!」
ケトスルエトさんが私に手を差し出してきた。握手に応じたらだいぶ強く握られた。それがデイテミエスさんにわかったらしい。
「こら、魔力が無い人に強くしない」
「あ、悪い」
手が解放された。
ケトスルエトさんはデイテミエスさんと同じくらいの年に見える。何も知らずに彼らを見たら(髪色のことは考えないものとする)、サッカーでもしていそうな大学生二人組と思うかもしれない。
どうして追加の人としてまず来たのがデイテミエスさんたちなのかと聞いてみたら、
「独身で下っ端だから!」
と元気に答えられた。養っている人はいないし、役職は下の方だから抜けてもそんなに困らないし、急なことでしかも期間が不明でも地球行きに対応できたのが彼らである、という話だった。
三人で話していたら、走る音とは違う大きな音が体育館中に響いた。何事かと見ればシルゼノさんが倒れていた。彼はもぞもぞと動くばかりで起き上がらない。脚にも腕にも力が入らないでいるようだ。
「だいぶダメージ受けてるみたいですけど、大丈夫なんですか、あれ」
私が質問するとまずケトスルエトさんが答えた。
「この間とは全然違うから心配しなくていいぞ!」
それからデイテミエスさんから簡単な説明があった。
「大丈夫大丈夫。疲れたところにビビビってきて動けないだけだから。だめならエゼルがすっ飛んでくよ」
そのエゼルさんはというと左手にバインダー、右手にペンを持っていて、何か書き込んでいる。他人の魔力を感知できる彼が寝かせておいているということはシルゼノさんの異常は放っておいて大丈夫なものということらしい。
「あと復帰しようと頑張るのも訓練のうちだよ」
シルゼノさんが四つん這いになった。少し腕が震えている彼にミルさんが何か言った。
(三十秒以内に立ちなさいって。まあ余裕だな)
アズさんの言ったとおりシルゼノさんは立ち上がった。そして疲れた様子はあるものの特にふらつくことなく歩いてエゼルさんとミルさんのもとへ向かった。
一昨日のミルさんは地面に倒れていたけれど車に乗る時は自力で動いていたし今は普通そう。車に乗る前のデイテミエスさんは付き添いがいないと心配な足取りだったけれどもうすっかり元気にしている。そんな二人と同じ車に乗った人の姿がない。
「キルスさんはお休み中ですか?」
質問にデイテミエスさんが頷いた。
「うん。今は治療と検査と休養で向こうにいて、明日戻ってくる予定だよ」
「よっぽどだったんですね……」
「肩に大きめの傷あったでしょ? あの怪我が結構だめなやつだったんだ。毒塗ってある刃で傷つけられた感じ? 毒そのものは大したことないやつだったんだけど、みんながやられたあれが合わさったら厄介なものになっちゃったみたいだよ。あの人先祖代々丈夫だから死ぬことはまずないけど二十代にして五十肩の危機だったよ」
五十肩……おばあちゃんが一時期それでうんと困ったって言ってたなあ。肩の高さまでしか腕が上げられなかったって。
(わざわざ『五十』のあたりたぶん下手したらもっとひどいし一生のやつじゃないか? こいつなら『四十肩ならぬ二十肩』くらい言えそうだし)
ひぇ……。もしかしてデイテミエスさんが「五十」で言ったのって、彼らの一般的な退職の時期が五十代だから……? キルスさんが危機を回避できたのなら良かった。
シルゼノさんとネフェスセシカさんが休憩に入って、次はデイテミエスさんとケトスルエトさんが剣同士で闘う予定だったのだけれど二人の希望でアズさんが先生役をすることになった。
私はネフェスセシカさんたちにも挨拶をして、彼らと並んで見学することにした。
アズさんが若い二人を木の剣で叩いたり突いたりするのを一番熱心に見ていたのはたぶんシルゼノさんだと思う。デイテミエスさんたちがへとへとになって特訓が終わると、自分もやりたいと言った。
「よーし、ボコボコにしてやる」
アズさんもやる気を見せた。
シルゼノさんに厳しくしてもよいとの許可をネフェスセシカさんから得てスパルタ教官と化したアズさんを見て、
「刀のお兄さん、シルくんのこと嫌い? いや逆に大好き?」
デイテミエスさんがそんなことを私に聞いてきた。
「さあ……?」
好きか嫌いかは聞いてみないとわからない。敵対関係に無い場合、魂の本体と分離された部分って間にどんな感情が湧くものだろう。
シルゼノさんは先輩たちに驚かれる程耐えた。魔力のある人たちの分析によるとどうやら彼はアズさんの攻撃をかなり読めているらしい。でも防御が微妙に間に合っていないことも多い。間に合っていないのに耐えるのは頑丈だから。別の世界に使いに出されるだけはある。
シルゼノさんが疲労困憊で動けなくなって指導は終わった。アズさんは床に横になったままのシルゼノさんと何か話した後、彼をひょいと抱えて水とタオルのある場所に連れていって雑に降ろした。そして鞘に戻ってきた。
(あいつ微妙にセラルードの戦い方憶えてるかもしれない)
なんと!
(たまに、オレの動きを読んでる通り越して予知してんのかって時があってな。どうなんだって聞いたら、それらしきものは何も思い出してない、勘だって言ってたけど、今日はよく勘が働いたとも言ってたから、もしかしたら、知識がうっすら……ってのが本当にあるかも)
(それは新しく何か思い出さないかって期待しちゃいますね。次の魔術を斬る練習に付き合ってもらうのはどうでしょう)
(オレもそれ考えた。あいつしっかり魔術使えるし今日の攻撃の読みっぷりがあるから付き合わせる理由にできるな)
よし、じゃあ本人に交渉しておかなきゃ。
私とアズさんはさっそくシルゼノさんに頼んでみた。するとあっさり頷いてもらえた。シルゼノさんも「魔術を斬る」が意味わからなくて興味があるらしい。
訓練の時間が終わって、私は喫茶店にでも行こうと思ったのだけれど、ひょっこり現れた立石さんに「樋本さんの分も用意したよ」と言われて、今日もお昼をいただいてから本部を出た。