12 別の世界を、少しだけ
「質問に戻るわね。彼は自分のことどう思ってるのか聞いたことはある?」
「武器でたぶん男、って思ってるみたいです」
「あなたのことは? あなたの持ち物らしくしてる?」
「私のこと、主って呼んできます。私の希望は聞いてくれて、授業とか集中したい時は私が何も言わなくても話しかけてこないです」
黙っているというよりは寝ているから静かなだけとも言えるけれど。
「あなたに従っているのならそれでいいわ。彼の思い出話は聞いたことある? 彼に記憶はどれくらいありそう?」
「昔のことはかなり忘れたしそもそも覚えられなかったって言ってるんですけど、三人前の人からのことはよく覚えてるみたいで、持ち主家族だけじゃなくて近所の人の名前まで言えます」
しかも、お隣の何とかさんの長女の何とかちゃんがどこへ嫁いだだの、お向かいの何とかさんの次男の何とかくんは何歳の時に超美人の嫁をもらっただの細かいことまで覚えている。これが昔となると、“どれかの家”の“誰か”がだいぶ年を取ってからようやく“どこか”に嫁に行った、になる。その上どの持ち主のご近所さんかあやふや。
「きっとその頃になってようやく魂が安定したのね」
……何だろう。すごく胡散臭く思える言葉を聞いた気がする。「魂が安定する」って、変な宗教とかの人が言いそうなイメージだ。でもきっとウィメさんの言うとおりなんだろう。アズさんの魂はかけらであって丸々一つではないから、不便なこともあるのだと思う。
「彼の魂がどういうものかは聞いてる?」
「どういうものって……」
「どうやって用意したものなのか、何も残されていなくてさっぱりわからないの。あまり良い方法でないということだけ伝わっているわ」
なんとなくとぼけてみて正解だったらしい。ウィメさんは“アイレイリーズ”の本当の由来を知らないようだから。アズさんを作った人たちがあまり広めないようにしようと思ったことを私なんかが言ってしまってはいけない。
「本人にも聞いてみるのはどうですか? どういう理由で作られたか知ってるので、作り方も知ってるかもしれません」
「ええ、そうさせてもらうわ。それにしても」
ウィメさんが再びアズさんに目を向けた。
「本当に強いわねえ。昔の人は偉大だわ」
三、四人目にあっさり勝ったアズさんは今、五人目と戦っている。今の相手は二刀流の日本人だ。緑色の髪になった彼との勝負は、どうやらアズさんが優勢だ。たぶん五連勝する。
「ねえ樋本さん。アイレイリーズのこと、大事にしてあげてね」
「はい」
もちろんだ。私を守ってくれるだけでなくてわがままにまで付き合ってくれるというのだから、とても大事にしなければ罰が当たる。
アズさんが相手から片方の木刀を奪い、それを使って残った方を弾き飛ばした。やっぱり五連勝した。
「はーい、お疲れー。休憩しようかー」
立石さんがそう言うと、アズさんは彼に木刀を渡して消えた。
(あー、癒されるー)
なんだか温泉にでも入っているかのような、ゆるゆるの声が聞こえた。全然そんなようには見えなかったけれど、アズさんは疲れていたらしい。
(お疲れ様です。かっこよかったです!)
(主にそう言ってもらえるとすごく嬉しい)
ウィメさんが、立石さんに預けられた木刀と私を順番に見て言う。
「あら、残念。話を聞きたかったのに」
(ん? 何だ?)
私にウィメさんのことを聞いたアズさんは、少しの間を置いて答えた。
(……教えてもいいが、ここじゃ言えないな)
そんなわけで私とウィメさんは体育館の外に出た。
私の手の上に乗ったアズさんを見たウィメさんは、
「――! ――――」
私にはわからない言葉で何かを言った。しげしげと眺めているあたり「綺麗」とかそんな感じじゃないだろうか。美世子さんも辰男さんも立石さんも見つめていたから、アズさんの刃には魅力という意味の魔力があるのかもしれない。
「……話、始めていいか?」
アズさんが喋って、ウィメさんははっとしたようだった。
「私ったらもう。ごめんなさい。話してくれる?」
アズさんはまず、これから聞くことをできる限り秘密にするとウィメさんに約束させた。それから一昨日と同じことを話した。
「……まさか、本物だったなんて……私は人工物だとばかり」
ウィメさんの顔に驚きと困惑が浮かんだ。ウィメさんはアズさんの魂を人工的なものだと考えていたらしい。
「どうしてセラルード・アイレイリーズの魂を使おうってなったの?」
「生まれ変わりがその人生を思い出していたからだ。そうでなけりゃオレの部分を取り出すことはできなかったし、そもそも人の形を取る魂として採用することもなかった」
もし、思い出した人生が別に強くもない人のものだったら、刀に付けられることはなかったそうだ。
質問に対する答えを聞いたウィメさんはあごに手を当てた。
「奇跡的に良い材料が用意できたから作った、といったところかしら……?」
「さあな。そこまでは聞かされてない」
「そう。……教えてくれて、ありがとう。約束どおり、広めるようなことはしないわ」
話が終わった私たちは体育館に戻った。
それからアズさんが十連勝して、立石さんが「お昼にしよう」と言った時、私はやけにお腹が空いていた。何もしてないのに……と呟いたら、アズさんが、
(それだけオレが主からエネルギーをもらったんだ)
と、空腹の原因を教えてくれた。
こっちで用意するから、と立石さんに言われていた私のお昼ご飯は、彼が早起きして気合いを入れて作ったというお弁当だった。蓋を開けたら、
「か、かわいい……」
(凝ってんなあ)
ご飯で作られた猫がいた。立石さんは新崎さんにもお弁当を用意していて、それにはかわいい犬が入っていた。
お昼の後も、アズさんは何人も相手にした。戦うのが二度目の人もいた。アズさんは二人を同時に相手にしても勝ってみせて、三人同時はさすがに勝てなかったけれど、かなり粘った。
とにかくアズさんが強いとわかった立石さんは、
「ありがたやー……」
と、どこかに向けて手を合わせた。私が不思議に思っていたら、その方向にこの土地の守り神が祀られている神社があるのだと新崎さんが教えてくれた。
全部終わった頃、私はまるで水泳の授業の後のようになった。しかも午前の最後の時間にある水泳だ。疲れたしお腹空いた……。でもあれだけ戦ってこれで済むのだと考えるとアズさんはすごい。
帰りに何か買おうと思っていたら、髪がピンク色の、十二、三歳くらいの少女が小さな丸いパンをくれた。薄桃色のクリームがおいしいけれど何の味かわからない。
「このクリーム、何の味?」
「トア。えっとね、えっとね、りんご? みたいな丸いもの」
彼女は斜め掛けのバッグから空の袋を出した。たぶんパンが入っていた袋だと思う。ぱっと見ローマ字の謎の文字の横に、赤くてこぶのある丸いものの絵がある。これがトアというものらしい。
私は、お礼としてはいまいちだけれど何もないよりましだと思って、鞄に入れておいたぶどう味の飴を彼女にあげた。
☆★☆
ぞろぞろと体育館から人が出て行く中で立石さんが、
「向こうの世界見にいこっか」
と、とっても気軽になんかすごいことを私に言った。
「ここのエレベーターのメンテナンスは向こうの人にお願いしてるんだ」
などとのんびり話す立石さんに連れられて、私は一階まで降りた。
エレベーターを出てすぐは通路というか廊下で、やっぱり戸があった。
戸の中は、妙にゴージャスな鳥居があるだけの殺風景な空間だった。広さとしては学校の教室二つ分くらいだろうか。
鳥居の前には別の世界から来た人たちがいる。
「ここ何ですか?」
「ここはね、あっちの世界とこっちの世界を繋ぐトンネルの出入り口の一つだよ」
立石さんが言うことには、あの鳥居の内側に世界を繋ぐトンネルが現れるらしい。鳥居はその出入り口の印として置いてあるもので、鳥居自体には特別なことは何もないそうだ。ちなみに設計、制作共に別の世界でされたもの。
トンネルの出入り口は市内に三ヶ所あるけれど、今はここだけ使っているそうだ。アズさんがこの世界に持ち込まれた時に通ってきたのは別の所で、立石さんの親戚が管理しているとのこと。
「――――――。――、――――」
鳥居に一番近い所にいるウィメさんが、大きめの声で何か言っている。何だろうと思っていたらアズさんが教えてくれた。
(全員いるか、忘れ物ないか確かめてる)
学校の先生みたいだ。
「あら、何か?」
私と立石さんに気が付いたウィメさんが首を傾げた。立石さんが答える。
「お見送り兼見物に」
「そうですか。――樋本さん、ここに来て」
何だかわからないけれどウィメさんに呼ばれた。
「今から私たちは向こうの世界に帰るわ。見ていてね」
近くで見せてくれるということらしい。
ウィメさんが両手を鳥居の前に出した。その手は、彼女の髪と同じ色のぼんやりとした光に包まれた。
鳥居の内側に、あの白っぽい膜がふっと現れた。半円形のそれは、みるみるうちに濃さを増して、向こう側が見えなくなった。そして、強く光った。とても眩しくて私は思わず目を閉じた。
二秒くらいで目を開けると、膜はぼんやりと光る白いトンネルになっていた。
「えっ? え?」
明らかに鳥居から壁よりも奥行きがあるし、向こうに見える景色はここの壁じゃない。
ウィメさんがトンネルの向こうを、もう光のない手で示した。
「あそこが、私たちの世界よ」
……近っ。別の世界超近い。徒歩何分とかじゃなくて、何歩とかのレベル。足が遅い人でも十秒かからずにたぶん行ける。
(ああ、あ、アズさん。これが“ちゃんとした道”ですか?)
(そう。魔獣だろうと何だろうと、これを通れば閉じこめられない)
トンネルの向こうに、オレンジ色の髪の人が姿を見せた。手を振っている。
「あの人、私の上司よ」
「そ、そうなんですか」
少し距離があるせいで顔はよく見えないけれど、体格からしておじさんだと思う。
「それじゃ樋本さん、またね」
「え、あ、はい。今日はありがとうございました」
ウィメさんがトンネルに足を踏み入れた。私は帰る人たちの邪魔にならないよう脇によけた。
電車に乗るように人がトンネルの中に入り、歩いていく。トンネルが何でできているのかわからないけれど、固いものらしい。カツカツという足音が聞こえてくる。長いものではないので、すぐに全員が向こうに着いた。
パンをくれた少女がこちらに手を振ってきて、私は振り返した。
向こうで何かしたのか、自然とそうなるのか、トンネルの出入り口に膜が張られたかのようになった。膜はまた濃くなってトンネルの向こうが全く見えなくなった。そして、トンネル自体がすうっと消えた。
鳥居の向こうに見えるのはただの壁。ここには十九人がいたのだけれど、残ったのは三人。私と立石さんと、この組織では立石さんの次に偉い、森さんという人。彼は当初のお見送り役としてここに来ていた。
「どうだった? あっちの世界は。と言っても建物の中しか見えてないけど」
立石さんがにこにこしながら私にそんなことを言ってきた。
「……すっごく、近いんですね……」
あれ、答えになってない気がする。
「あっちから開いた時は走っても五分はかかるよ」
「それ全然遠くないと思います……」
「まあね。でも来るのは本当に大変なんだよ。簡単には開かないから」
ウィメさんがやったことは、簡単なことだったのか。
お見送りをしてこれで終わりかと思いきやまだあった。
今度は五階に上がり、そこで私は物をもらった。
まずもらったのは地下でエレベーターに乗るためのカード。字は一切書かれていない。柄が何種類もあって、好きなものを選んでいいと言われたので、梅の花柄のものをもらった。
次は小瓶で、これは魔獣退治の証拠になる魔獣の核を入れておくためのものだそう。
三つ目はやけに重くて厚みのあるお守りだった。水色で、ただ「御守」とだけ書かれている。
「それはね、通信機が入ってるんだ。だから開けてもいいよ。っていうか開けて」
と、立石さんが言うので、袋を開けて中を見る。画面とボタンの付いている四角いものが入っていた。ボタンの少ない携帯電話……いや、ボタンが増えて四角くなったおもちゃ? 画面の形としては電卓か。あ、何か引き出せるっぽい。
「それアンテナ」
引っ張ってみたら本体より少し短いくらいまで伸びた。
「複製空間に携帯は持っていけても連絡できないからね。それを使うんだよ」
通信機の使い方や魔獣退治の証拠提出の方法などの説明を受けて、今度こそ今日の用事が終わった。
☆★☆
バス停でバスを待つ間、ウィメさんたちから聞いたことをアズさんに話した。私が全部言ってから、それまで相槌を打つくらいだったアズさんが話し出した。
(まだ伸びるとは思ってたが、まさか百三十とはな……。みんな八十まではいくんだ。遅い人でも半年あれば六十辺りまで伸びて、それからまた半年で七十を越えるくらいになる。その後は速いとか遅いとかなくなって、誰でも三年で十センチくらい。それから先はもっともっと遅くなって、十年で一センチ伸びるか伸びないかって感じ。主はどうなるんだろうな)
(私たち、相性いいと思いますか? っていうか、相性って何ですか? 性格が合うとか合わないじゃないですよね)
(何だろうなー……作ったやつもわかってなかったんだよな。なんか知らないけど合う合わないがあるって感じで)
えー? 今の人ならわかるのかな……今でもわかっていないかもしれない。わかっていたら教えてくれたと思う。
(でもな、性格ってのもあると思う。『心身共に健康なら』って言われたんだろ?)
(はい)
(それはオレだけのことじゃない。武器が大きくなることには、心とか精神ってものも関わってるんだ。それでさ、オレの場合は持ち主とオレとで心が二つ関わるから、行き違いとか衝突みたいなのがあって伸びにくいかもしれないってことを、作ったやつに言われた)
(……アズさんと仲が悪いと伸びにくいってことですか?)
(そう。で、仲がいいなら伸びやすいってわけじゃなさそうなんだ)
仲がいい状態では普通、ということらしい。
(こんなこと言うのも変だけど……)
アズさんの声が遠慮がちになった。
(オレと、仲良くしてくれるか?)
(はい。アズさんとは仲良くしてたいです)
私たちの仲は今のところ、良いと言っていいかわからないけれど、悪くはないと思う。私にとってアズさんは、かなり話しやすい上に親しみやすい存在だから、いい関係を築ける気がする。去年の四月、会ったばかりのはるちゃんがちょうどこんな感じだった。
(ありがとう、主)
今度はほっとしたような声だった。




