119 どこ
月曜日。
下校中に駅前で信号待ちをしている時、あの空間ができたと知らせるメールが来た。
駅構内ではるちゃんと別れてからメールをよく読んだ。
今日のものはよく侵入者のある地域からは少しずれている。ほとんどが隣の市のものだ。電車で十分、そこから徒歩で……五分以上かかりそう。電車を待つ時間もあるから、行くにはわりと時間がかかる。でも自動車よりはちょっと早い?
とりあえずこれから向かうことを書いて返信した。
ホームで新崎さんを見つけて声をかけた。
「新崎さんは今日は侵入者退治しますか?」
「ああ。お前は?」
「行ってくれって言われてます。変な人たちが来てるかもしれないので」
「そうか。それならついてくるといい」
「はい」
というわけで私たちは一緒に電車に乗って、新崎さんがいつも利用している駅で降りた。私はこの駅は初めてだ。コインロッカーに荷物を預けておく。
新崎さんに連れられて線路に沿って歩いて、隣の市に入って、一度だけ曲がって道なりに進んでいくと半透明の膜が現れた。
膜を通って、アズさんのコートを借りて、それから通信機で誰がいるか確認する。おや?
「新崎さん。この、健弥って人、ご家族ですか?」
「弟だ」
へえ、新崎さんってお兄さんだったんだ。
新崎さんは通信機で弟さんに電話をかけた。
『はーい』
声の感じからして中学生かな?
「お前今どこにいる? 誰かと一緒か?」
『一人。まつだ医院の前にいるよ。にいちゃんは?』
へええ。「にいちゃん」って呼ばれてるんだ。
「田中薬局の近くだ」
『そう。にいちゃん魔獣見た? おれ三匹見たけどみんな弱ってたよ。一匹は超ボロボロで攻撃しなくても良かったよ』
そうなんだ。それなら前回と同じで人はいないかもしれない。
「ボロボロ? 負傷していた?」
『うん。わりとおっきい狼っぽいのでね、尻尾が横向きに半分くらい裂けてた。ズタズタにするタイプの魔術にやられたんじゃなきゃこっち来る時にやられたんじゃないかなあ』
「そうか。変な人間が来てるかもしれないから気を付けろよ。あと不審者がいたら偉い人か俺に連絡しろ。仮面のやつらも不審者だぞ」
『わかったー』
通信が終わった。弟さんは新崎さんと違って堅い感じはなかった。
「弟、中学生か?」
アズさんが尋ねると新崎さんは頷いた。
「中学二年生だ」
「一人でも大丈夫ってことはお前みたいに結構やれるんだな」
「攻撃の威力はあまり高くはないが、近距離でも遠距離でも対応できるやつだ。あと足が速い。危険なものからは逃げられるはずだ」
どうやら新崎さんは弟さんへの信頼が心配を上回っているらしい。
☆★☆
魔獣を探して街を歩いて、小さな神社の前を通った時だった。新崎さんが不意に足を止めて、
「人だ」
そう言うなり駆け足で境内に入っていった。
新崎さんを追っていくと、木の根本に高校生くらいの男子が倒れていた。
「わ、傷がいっぱい……」
何がどうなったらこうなるのか、顔にも手にも傷がたくさんある。擦り傷と切り傷だと思う。何かが強く当たったかのような痣もある。トレンチコートもズボンも靴も何箇所も切れていて、ズボンだけの脚はともかく重ね着しているであろう上半身ですら血が滲んでいる。全身に傷があるのは想像に難くない。
少年の髪の色は暗めのオレンジ色。染めているのでなければ魔力のある人のはずだ。ひどい有様であることを除けば格好は普通。普通の私服の人に見える。
「おい、どうした」
新崎さんが屈んで声をかけても、軽く体を揺すってみても少年は起きなかった。
新崎さんは起こすことを諦めると、なるべく上の立場の人に連絡するよう私に言って、自分は少年の怪我の手当てを始めた。少年の額にかざされた新崎さんの手が光った。
私は新崎さんの指示のとおりにした。立石さんが来ていたので連絡する相手に迷うことはなかった。怪我人のことを伝えると、すぐに向かうから待っているようにと言われた。
新崎さんが少年から手を離した。少年の額の一番大きい傷が少し小さくなったように見える。
「傷小さくなりましたよね? 魔術ってすごいですね……」
「見るのは初めてか」
「はい。怪我を治すところを見るのは初めてです。新崎さんは、治すのはできる方ですか?」
「できない方だ。もう疲れた」
ルーエちゃんならどれくらい治療できるんだろう。
新崎さんは鞄を開けると消毒液やら絆創膏の箱やら包帯やらを取り出した。用意がいい。さすが積極的に侵入者と戦う人だ。私だって絆創膏なら持ち歩いているけれど怪我した時のためのものは他にはない。体調が悪くなった時のための薬ならある。
新崎さんがアズさんの手を借りて少年の頭や腕、脚に包帯を巻いて、私は他の部分の手当をすることになった。
まず、頬がとても痛々しかったのでガーゼを載せてテープで留めた。次に、大きい傷がついている右の手の甲に大きい絆創膏を一つ貼った。手のひらを見てみたところちょっとした傷と、普段から何か握っていそうなたこがあった。
少年は傷口に魔術の水をかけられても消毒液をかけられても起きなかった。
私たちは少年のそばに屈んで、改めて彼をじっくり見た。
「この人、大変な道を通ってきたんでしょうか」
魔獣がボロボロという話だし。こうも傷が多いということは鋭い石か何かが飛び交っていたんだろう。
私が思ったことを言うと、アズさんも新崎さんも私と同意見だと示した。
「迷惑な人たちの一員だと思います?」
「さてなあ。まあそれなりに戦えるやつではあるだろうな。鍛えられた体してるし、大変な道通ってきたっぽいわけだし。迷惑集団の一人じゃなきゃ、何かの選手か、軍人か、軍人になるための学校の学生ってところか」
アズさんが少年の顔をじっと見た。
「北っぽい顔だな」
新崎さんも同じように少年を見た。
「……俺にはよくわからない」
私も当然わからない。でも色白だから寒い所に住んでいる人なのかなとは思う。
「アンレールからずっと北に行くと山脈があってな。その向こうのやつらっぽい顔」
アズさんが少年の髪を触って、比較のために私の髪も触った。
「髪は東っぽいな。アンレールとその周辺の人のは日本人と同じ感じなんだ。で、主のと比べるとこいつのは細い」
気になったので失礼して私も少年の髪を触らせてもらう。
「おお……違いますね」
そして気付いた。枝毛や切れ毛が結構ある。あまりお手入れしていないのかな。
新崎さんが少年のコートの裾をまくった。
「これを見るに、大陸の東部の住人だと思う」
彼が指したのはコートの裏についているタグ。
アズさんが覗き込んで「そうだな」と言った。私も見た。……絵しかわからない。たぶん手洗いするべきもので、日陰に干すべきもの。
「二人とも読めるんですか?」
私の質問に新崎さんもアズさんも首を横に振った。
「いや。だが全然わからないというわけでもない」
「主でたとえると、中国語の文章見た感じが近いと思うぜ」
「といいますと?」
「知ってる字と知らない字が混じって、読めないけど一部は内容を推測できる。そんな感じ」
「なるほどー。じゃあ、この人が起きたとして、リグゼ語は通じないですか?」
私の質問にアズさんは「さあなあ」と言うしかなかったけれど、新崎さんは少し情報を持っていた。
「お互いに学校で習うそうだが」
それなら大丈夫かな。向こうの人たち、読み書きはともかく話すのは大得意だから。
「ちゃんと勉強してるか怪しいぞ、こいつ」
え?
「手のひらのたこはしっかりあるのにペンだこちっちゃいだろ」
アズさんに言われて少年の指を見てみた。右の中指に少しの膨らみがある。左の中指にはそれらしきものはない。
私は自分のペンだこを見た。明らかにぼこっとしている。確かにこれに比べると少年の指の膨らみは小さい。
「立派だなあ」
アズさんに指先でペンだこを撫でられた。
たこが小さいからといって勉強していないというわけではないと思うけれど……この少年は筆記用具でない何かをよく握っているであろうたこが手のひらにある。学校教育をあんまりしない国の人っていう可能性があるのかな。
少年が起きず、魔獣が襲ってくることもなくアズさんと新崎さんと話して立石さんを待っていると、彼はキルスさん(ご先祖様がセラルードさんに負けた人)と一緒にやって来た。二人は少年の様子を確認すると顔をしかめた。
「うわあ……やっぱこれあの道が原因かな」
「そうだとしたら本当に怖い空間ですね」
二人とも少年のそばに膝をつくと、それぞれ魔術で少年を治療した。手を怪我しているというのは不便であることが多いからと指や手のひらの傷を小さくした。立石さんはさすが総長ということか新崎さんとキルスさんより治せていた。
「さてと。端まで行こう。車呼んであるんだ」
立石さんが少年をそっと抱き上げた。
☆★☆
端に移動してきた。森さんが私たちを待っていた。
ここを出た所は雑草の生えた空き地で、今のところ人は――車が来て止まった。運転してきたのは安藤さんだ。森さんが外へ出ていった。
立石さんが少年を地面に下ろして、少年の首に白い石のペンダントをかけた。
「樋本さんの出番だよ」
「私なら外に出せるんですよね」
「うん。この子が歩けたら手を引いてあげるだけでいいんだけど、この場合は引っ張るか背負って出るかしないといけないよ」
少年は起きそうにない。つまり私は、意識がなくてしかも怪我をしている自分より大きい人を動かさないといけない? うわ、大変だ。
「頑張って」
「はい」
というわけで、私はとりあえず少年を後ろから抱えてみた。……で、どうしよう。重い。ろくに動けない。えーと、えーと……。
アズさんに協力してもらって少年を膜に寄りかからせて、外から少年の体を引くことにした。
私が外に出る時、アズさんは一旦鞘に戻らないといけなかった。
私は少年の真後ろで膝立ちになって、彼の両肩を掴んでゆっくり引こうとしたら動かなかった。力を入れてぐいっと引いてようやく少年の上半身が膜の外に出て、
「おわわっ……」
そのまま勢いよく倒れてきた。腕に改めて力をこめてなんとか押し留める。……はぁ、危なかった。頭を地面にぶつけさせてしまうところだった。
「ちょっと引きずりますよ」
聞こえないだろうけれど一応声をかけてから今度は少年を抱えて引っ張って、なんとか全身を引き出した。地球へようこそ。
膜の向こうで立石さんが親指を立ててキルスさんが拍手をして、こちら側では、
「大変でしたね」
「お疲れ様です」
森さんと安藤さんが労ってくれた。二人は少年を車に乗せて組織の本部へ連れていった。
車が見えなくなるまで見送ってから私は膜の中に戻った。
「怪我人に対して乱暴にしちゃったんですけど、大丈夫でしょうか……」
不安になった私に、鞘から出たアズさんが軽く言う。
「あの程度でどうにかなってたら、とっくにくたばってるさ」
そうなのかなあ。悪化させちゃったってことはないのかなあ……。