117 この状況で
施設を出て、またのんびりと歩いていく。行き先はテレビドラマで犯人が罪を告白した場所。崖ではない。私たちが歩くこの道も撮影地だ。ドラマの情報は先程見た展示にもばっちりあった。
目的地である広場ではいろんな人が思い思いに過ごしていた。原っぱを走り回ったり、ベンチで飲食したり、風景の写真を撮ったり、犬と一緒にくつろいでいたり。岸辺に佇む人は川の流れていく先に思いを馳せているのかもしれない。
私たちはテレビに映っていた物を近くで見た後、原っぱに点在する岩の一つに腰掛けてみた。
「樋本さんって黒以外には何が似合うかな」
家上くんが急に不思議なことを言った。
「え、私、黒似合う?」
どこでそんな判断を? 私があの空間で黒コートを着ているから? ユートさんはああ言ったけれど家上くんも気付いて……?
「ああごめん。髪の毛の色の話。暖色よりは寒色かな。でもピンクとかでも」
「ピンク?」
ルーエちゃん的な?
「うん」
「何でもないことみたいに言うね」
夢であっても私が向こうを知っているという反応は避けるし全然知らないふりだってする。そうユートさんに指示された。
「……あ。いや、この前テレビで見た人に真っ赤とか青とかいて普通に選択肢に入れてた」
赤い人や青い人をテレビで見たのは嘘ではないのだろうけれど、駒岡さんや涼木さんで見慣れているのが大きいんだろうな。
不意に家上くんの手が伸びてきた。
え、何、ひょわああああっ!
髪を触られたというか頭を撫でられたというか!
ななな何これ!? ユートさんの判断?
「紫良さそう。ゆかり、だし」
「そ、そうかな? 紫っていうと朝見かけるお婆さんが思い浮かぶんだけど」
本当は立石さんやデイテミエスさんやディウニカさん、その他紫系の人たちも参考にできるけれど。
「私のことお婆さんだなんて言わないよね?」
確認を兼ねつつ、ちょっとかわいこぶって十七の女子っぽさを出す発言をしてみた。すると家上くんは慌てた。
「言わない言わない!」
この反応は家上くんだよね。
「樋本さんのことは十代のかわいい女の子だって思ってる!」
……!
きゃーっ!
ユートさんに家上くんの考えを教えてもらった時とは威力が全然違ーう!
「あ」
私の反応を見て自分が何と言ったか気付いたのか、家上くんまで顔を赤くした。
「あ、ありがとう!」
「うん」
歩いていた時とは違う理由で二人して黙る。へへへへへ。
強めの風が吹いてその冷たさでちょっと落ち着いたところへ、家上くんが手を重ねてきた。と思ったら握られた。照れていたら指を絡められた。その後も甲をさすられたり向きを変えて握り直されたり。家上くんはうっすらと笑っている。どんな感情によるものかはわかるようでわからない。
何これ何これ。さっきの頭撫でたのといい何。
友達にすることではないことはわかる。じゃあ誰にすることかといえばこれは、この雰囲気はなんだか、まるで……あわわわわ、ひゃー!
頭が回らなくて心の中で騒ぐだけでされるがままになっていたら家上くんの手がぴたりと止まった。
「これ以上はまずい」
うん? ユートさん?
手が離れていった。寂しい。
「あ、あの、何ですか、今の。何がまずいんですか」
「君を意識しすぎるようになりそうだった。君の反応のかわいさに晶の良くないスイッチが入りかけた。嫌がる様子がなくて、顔を真っ赤にして、何をされているかわかっていないようなのに嬉しそうに受け入れているようにも見えて」
「はぁ。それで、何だったんですか。なんか家上くん珍しい表情してましたけど」
「俺にもよくわからない」
「え。ユートさん関与してないんですか?」
「ああ、俺も驚い……あ。……あぁ……。わかった。間のやつの記憶が少し戻ったんだ」
あらま。何で? ユートさんを思い出した時の話からしてきっかけは今の状況? その人の何を思い出した結果がさっきの甘い感じのする接触なの?
「……その、女性を相手にする仕事を――ホストのようなことをしていたやつで。樋本さんを楽しませるには、と晶が考えた結果出てきてしまったようだ」
「楽しませるっていうか、勘違いさせる感じでしたよ……?」
「……恋人がいたようだから、行動が混ざったのかもしれない……?」
詳しいことはユートさんにも不明なようだけれどとにかく女性に触れ慣れていた人生があったらしい。
以前にはるちゃん(とアズさん)と少し話したことを思い出した。家上くんの前世だの徳だののこと。
「……その人、恋愛感情が原因の困ったこととか起きませんでしたか」
「……どうだろうな……怪しいな……」
困惑したままユートさんは引っ込んだ。
また家上くんと二人で一緒にいるだけの時間が過ぎていく。
ここの次に行くのは、朝降りたのとは別の駅。そこがデートの終わりになる場所。
……夢の扱いになるんだし、今ここでくっついてみてもいいかな……?
思い切って家上くんに体を寄せてみた。彼は慌てたけれどすぐ受け入れてくれた。
えへへ、くっついちゃった。……ずるいことをしている感がすごい。許可が早かったのはユートさんの判断があったからだろうし……。
私は元の位置に戻った。
「ごめんなさい……」
「? 何に対する謝罪?」
「私が不甲斐なくて家上くんの弱みに付け込んでること……」
「ええ……?」
「……しばらく私と一緒にここでのんびりしててくれる?」
「いいよ」
「家族で来た時のこと、聞かせてほしいな。どうやって来たの? 電車?」
「車。あっちこっち行ったよ」
家上くんは憶えていることをぽつぽつと話してくれた。
☆★☆
駅に着いた。時刻表を確認する。私が乗る上りの電車が先に来る。
夕方なだけあって待ち時間はあまり長くない。待合室に空きがあるけれど私たちはホームにいることにした。ベンチに並んで座る。
「よく歩いたよね」
「だよなー」
「あの。残ってるおにぎり貰える?」
「もちろん」
家上くんはリュックから出したナフキンを開いて、私にアルミホイルの包みをくれた。
「お茶もいる?」
「うん」
私はおにぎりを食べて、家上くんは果物を食べた。
水筒を空にして家上くんに返す。
こうして一緒にいられるのもあとちょっと。
最後だし、何か大胆なことを……でもただでさえ勇気がないのにすぐ近くに他人がいる状況でなんて……と悩んでいたら、家上くんが喋った。
「今日はありがとう。楽しかった」
「こちらこそありがとう。私も楽しかったよ。すごく」
「良かった」
家上くんは本当に安心したように言って、それから、
「今日の樋本さん、いつにも増してかわいかった。見とれた」
!?
……? ちょっと待って……今、二度目のことがあった。褒め言葉をまたもらった。それも「いつにも増して」なんてのが付いていた。
さらに、見とれた? 家上くんが? 家上くんが私に見とれた!?
「ふぇ……み、見とれたって、いつ?」
そんなことあった?
「いろいろ。にこにこしてた時とか、顔赤くしてた時とか、風に吹かれてた時とか、きらきらした水面が背景になってた時とか。あ、もちろん今もかわいいよ」
「……ひぇ」
衝撃的な発言に混乱する私が面白かったのか何なのか家上くんは笑った。いたずらしてにっこり、ではなかった。優しいというかなんというか私の勘違いを誘発しかねない笑顔だった。また前世の記憶を参考にしたんだろうか。
「それじゃ、これで」
家上くんが目を閉じた。その状態で何もしないで大体三十秒後に目を開けると顔を寄せてきて小声で言った。
「晶は眠った。……君、また真っ赤になってるぞ」
「ぁ、当たり前ですー……!」
近くに人がいるのでこそこそとユートさんと会話する。すっかりユートさんでも家上くんの顔が近いというのはやっぱり落ち着かない。
「今日はどうでしたか……?」
「とても良かった」
「ほんとですか」
「駒岡に慣れすぎて君は本当に癒しだった」
基準が狂ってる……。
「そしてもちろん観光を楽しみもしたからこちらに対する良い印象が強まった。ありがとう」
「どういたしまして」
「君の刀はどうしている?」
「寝てます。何か話したいこととかありますか?」
「いや。気になっただけだ」
内緒話が終わった。
それから少ししてアナウンスがあって、電車が来た。私たちは立ち上がった。
「それじゃあ家上くん。さようなら。またね」
「さようなら。また学校で。気を付けて帰って」
「家上くんもね」
電車に乗った私はアズさんを起こした。
(楽しかったようで何より)
(楽しかったです。でもですね)
(うん?)
(私は家上くんのこといろいろ聞いたんですけど、逆はほとんどなくて。しょうがないことなんですけど。家上くんが私に興味関心が無いみたいで、ちょっと切なかったです)
今日のことは家上くんの楽しい夢。だから彼が私のことを知るのはおかしい。私の情報は夢の細かい部分として曖昧になったり忘れたりする。つまり聞く意味がない。
(……無いみたい、なんて言っちゃって……本当に全然興味を持たれてないのかもしれないのに、私ったら)
(まさか! デートして楽しかったのに弱気だなんてな。あいつが計画したせいか? やっぱり日時も場所も二人で決めるべきなんだろうな。次のデートはそうできるように頑張ろうぜ。でも今はそんなことより何したか聞かせてくれないか? 主の幸せな感じからして手を繋いだと見た)
手……。やだ、こんな人がいっぱいいる所で赤くなっちゃう。
(それにつきましては電車降りてからで!)
(じゃあどこに行ったかから)
電車に乗っている間も、帰り道を歩いている間も、アズさんとはずっとデートの話をした。アズさんも詳細不明な前世さんのことは何らかの事件の渦中にいたのではと疑った。
☆★☆
家に帰った私はさっそく漢和辞典を開いた。字の成り立ちは会意とされている。でもユートさんが言ったとおりの説も紹介されていた。