108 勉強
「で、ひいおじいさんの心配事は去年になって本当になっちゃった、ってことですか?」
私が次の質問をするとユートさんは顔から感情を引っ込めて淡々と答えた。
「そうだ。去年魔獣を送り込んできていたやつらは、どうやってかこの世界の存在を知って、レゼラレムの失踪した王子の行き先だと考えたんだ。魔獣がなぜかティシアに反応するという情報まで手に入れていて、魔獣を使った本格的な捜索を始めたのが去年だった」
私が何も知らなかった頃に活動していた迷惑な組織。あずき色の男の子のおじいさんが長だったというその組織は、不定期にこの世界に魔獣の群れと偵察要員を送り込むようになった。当初は魔獣の群れを立石さんたちに対処されるばかりだった。
「元王子一派はそれまでの魔獣の対処も君たちに、いや、君はいなかったんだったな。彼らにほとんど任せていた。剣のことを隠すにあたって自分たちの存在すら気付かれたくなかったからだ。まあ別に自分たちが原因というわけではなかったから、今の状態に比べれば……そうはいっても君からしたら不快か」
「私は別に」
ちょっと薄情だなと思う程度。私は仮面の人たちがこそこそしつつもちゃんと戦っている状況しか知らないから。
「それで去年のいつ方針を変えたんですか? 駒岡さんが転校してきたあたりですか?」
ユートさんは頷いた。
「去年の十月、あの空間の中で魔獣と一緒にいる人間が見つかった。あの空間が出現することが例年より多くてしかも人間まで来ている理由は剣だとしか思えなかった。だから晶たちも積極的に戦った方がいいんじゃないかという話になったわけだ。晶のいないところで」
(おいおい……)
「それってつまり、家上くんは戦いを押し付けられた感じに……?」
「そうとも言えるが本人はあまりそう感じてはいないな。自分に結構力があって、他の人はそうでもないこともわかっていて……去年のうちは確かに戸惑いが少なくなかったが、今は自分でやろうと思ってやっている」
そっか。今は私やアズさん、立石さんが感じたとおりなんだ。
「戦わないといけなくなって、それで家上くんはいろんなことを知ったってことですか?」
「ああ。晶は祖父から全部教えられた。駒岡が来るのと同時に」
「それじゃあやっぱり駒岡さんが転校してきたのって」
私が全部言わないうちにユートさんが「ふっ」と軽く笑った。何がおかしかったんだろ。
「そう思うだろう? だが残念。彼女は本当は晶や士村と一緒に入学するはずだったのに学力の低さが原因であんな時期に」
「え……たまたま時期がかぶっただけなんですか?」
「ああ。もちろん状況が悪くなった時に学力は後回しで戦力として呼び寄せられる可能性はあったが、そんなことになる前に猛勉強の成果を出して『これなら授業についていける』と判断されて転入することになった」
あらま……。
(えぇ……)
さっきの笑いはたぶん、勝手に深刻な理由を想像していた私に対する「いたずらに引っかかったな」的な気持ちのものだったんだろう。
「一緒に入学する予定だったのは何でですか?」
「護衛のためだ。剣の持ち主を守るためであり、先祖代々の関係が続いているからでもある。駒岡はトーカノラという家の血を引いていて、その家は常に武力としてレゼラレムの国王に仕えてきた」
ユートさんがまた苦しそうな顔をした。
「……クーデターの時も。本当に強かった」
声に憎しみが滲んでいるように聞こえる。
もしかして、家上くんの「好きだけど嫌い」は、ユートさんが原因?
「そのトーカノラさんは元王子様のそばにもいたんですね?」
「子供の頃からの付き合いだったそうだ。士村と誠司――三年生の男子の方も似たようなもので、駒岡と士村と誠司で三大“王家と関係の深い家系のやつ”だ」
家上くんの手がきつく握られた。
(……王家も含めて四大“恨めしいやつの子孫”か?)
(そんな感じですよね……)
恨みに憎しみ、嫌悪、怒り、悔しさと心の中ではいろいろ渦巻いていそうだけれど、ユートさんは落ち着いていると言っていい。家上くんのこぶしはすぐに開かれた。
「駒岡さんは転校してくるまでどこにいたんですか?」
「レゼラレム王国だ」
「そうだと思いました。向こうの世界にいたのならいろいろ納得だなって。例えば、去年だいぶ狂暴だったのは、人間の強さへの感覚が違ったからだって考えるとしっくりきました」
「まさにそれだ。彼女が生まれたのはこの国だし本当に普通に外国にいたこともあるが、受けた教育はほとんど向こうの世界のものだ。しかも強くなるよう育てられてきたものだから、性格も相まってあのとおり、というわけだ。本人としては魔力を使っていないから十分手加減しているつもりで、実に厄介だった」
「どうしてあっちで生活してたんですか?」
「魔力の関係で幼い頃はこっちでは生活しづらかったんだ。魔力を使ってはいけないのがとても嫌だったそうだし、よく怪我をしていたそうだ」
「家上くんのおじいさんたちと似た感じだったんでしょうか?」
「話を聞いての印象だと……怪我の主な原因は強い時と弱い時の差というよりは不自由によるものだ。魔力を使わないでいるのは『動く時は目を閉じなければならない』といったところだと思う。『何で?』とよく思っていたというし。今は晶たちと変わらないようだ。体の成長や戦闘訓練の結果ではないかと推測されているな。彼女は血筋が晶たちと比べると複雑だから、魔力に大きな違いがあるのかもしれない」
ユートさんによると駒岡さんはこう。
元王子様について日本に来たトーカノラさんが駒岡さんの曾祖父。その人は魔力の無い日本の人と結ばれて子供が生まれた。ここまでは家上くんと同じ。トーカノラさんの娘で駒岡さんの祖母にあたる人は魔力関係の病気を持っていて、十七歳の時に向こうの世界に行くことになった。そして向こうの人と結ばれて、日本に戻ってきて子供を産んだ(魔力関係以外はこちらの方が発展しているから)。その子供が駒岡さんの母親。お母さんは日本で育って、たまたま魔力持ちの日本人と出会って結婚した。そして駒岡さんが生まれた。父親側の異世界人のはずのご先祖様は不明。お父さんは立石さんたちが把握していない人というわけだ。
(ふむ。近いのは銃のお嬢さんか?)
(そうっぽいですね)
何にせよ駒岡さんが苦労してきたことはわかった。
「駒岡さんが強くなったのってやっぱりトーカノラさんだからですか」
「そうだ」
「猛勉強したのは、家上くんがあの学校を選んだからですか」
「ああ」
ユートさんは溜め息をついた。
「気に食わないが、彼女がよくやっているのは認めざるを得ない」
「……そうですか……」
駒岡さんは私が思っていたよりずっと努力家で……献身的だ。頼りになる仲間で友達なだけでもすごいのになんて属性がくっついているのか!
(主、すごい関係だからって弱気になることはないぞ)
「他の人たちはどうなんですか……」
なんかさらに打ちのめされそうだけど気になるから聞いちゃう。
「誰のことから話すか……」
しばし考えたユートさんは三年生二人のことから話し始めた。
美男子先輩は小学生のうちから全部知っていた。でもそんなことは特に気にせず家上くんとそのお兄さんとは普通の友達でいた。
美女先輩は去年までの家上くんと同じ程度のことしか知らずに中学生になった。
美男子先輩と美女先輩が中学一年生の時、家上くんのお兄さんである家上彰人さんが私たちの学校に合格した。そこで彰人さんという血筋的に王子様な人の念のための護衛はどうするかという話になって、無理せず入れる子がいたら任せようということになった。その候補から美男子先輩は外れていた。彼は剣を持っている家上くんが進学するであろう所に先に入っておくということになっていたから。
「そんな賭けみたいなことをするより彰人さんに付き合った方がいいように思うんですけど」
「本人の希望だ。何やら大変なものを持たされている弟分の面倒を見てやらねば、と。それと、ただ友達をやっていただけとはいえずっと晶と彰人と一緒だったわけだから高校は別の所に行って気楽にやるのもいいという大人たちの考えもあった」
「なるほど」
一方、学力的に行けるのではと思われて事情を伝えられた美女先輩は「誰もいないなら私が行ってあげる」と了承して、さして苦労もせず成績を維持して無事入試に合格した。駒岡さんと比べるとなんとも気楽だ。入学してみれば美男子先輩もいたので何かと一緒に行動する仲になったという。
次に二年生の話。
士村さんもまた小学生のうちに事情を教えられていた。三大“関係の深い家”は主従関係に対する想いが強いようだ。
士村さんは美男子先輩の代わりだった。なにせ家上くんと同い年で、大体の学校に対応できる成績を出している。男子校は家上くんの選択肢に無いから大丈夫。
家上くんが普通の学校を選んだから士村さんは特に嫌がることなく受験して合格して、家上くんのことを気にしながらも特に何も無いので何もしない学校生活を始めた。
そして涼木さんはというと。
「涼木は晶とほぼ同じだった。晶が全部知ったのと同時に涼木も晶がどういう存在か初めて知った。彼女だけは完全に偶然だったんだ、同じ学校に入ったのは」
しかも同じ組に入れられて……!? うわーっ! そんなの劇的ー! 運命的ー! やだー! 勝てないー!
(遠い学校選んで出会った主の方が強いと思うぞ!)
「最後に一年生の彼女。中学に入学した時にいろいろと伝えられたが、だからといって何かする予定はなかった。だが剣が狙われたものだから持ち主のそばにいて力になるために哀れにも猛勉強することになった。成績の伸びにかなりの達成感を得て、先生や友人から褒められて、結果的には良かったと本人は言ったが……」
「ストレスすごそうですね……」
(原因の一つの先輩をからかって遊びたくもなるだろうな……)
私とアズさんの感想にユートさんは静かに頷いて同意した。




