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1 普通の日だと思ってた

 私には好きな人がいる。

 彼は、そこそこの容姿、なかなかの学力、まずまずの体力をもっている。


「ぐええええええ!」


 ああ、また彼は暴力を振るわれている。助けたいけれど、情けないことに怖くて私にはできない。


「ぁ、謝るから、離し……」

「やかましいっ!」


 彼を苦しめているのは、このクラスで一番美人の駒岡(くおか)さん。彼の発言が気に入らなかったようだ。彼が何を言ったかは私には聞こえなかったからわからない。

 駒岡さんのことを私は好きになれない。嫌いと言ってもいいかもしれない。彼女は、短気で血の気が多い、面倒くさい人だと思う。


「ご、ごめ……」

「あんたって学習しないわねー」


 彼にそう冷たいことを言ったのは、クラスメイトの中では大人っぽい涼木(すずき)さん。彼女も美人だ。今どんな顔をしているかここからは見えないけれど、ニヤニヤした感じで笑っているんじゃないかと思う。声が笑っているから。苦しむ人に冷たいことを言って笑うなんて。


「ごめんなさ、痛っ、いだだっ」

「やり過ぎちゃだめですよー」


 のほほんとした声が駒岡さんにかけられた。彼女は士村(しむら)さん。全体的にふんわりした感じの人で、癒し系と言われることも少なくない。綺麗というよりは、かわいいと言った方がいいかもしれない。彼女は、彼と駒岡さんの様子に微笑みを浮かべている。……やり過ぎるな、と声をかけるだけましな方か。

 ……美少女三人を批判したけれど、一番ひどいのは、自分の安全のために彼を助けないでいる私。彼のことが好きなのに。

 涼木さんと士村さんの様子からして、彼が駒岡さんに言ったことは、それほどひどいことじゃないと思う。だから、きっと、彼はあそこまで苦しむ必要はないはずだ。それに彼は何度も謝っている。助けなきゃ。でも怖い。止めにいったらきっと、駒岡さんと喧嘩になる。そうしたら、私がボロボロになって負けて終わるに決まっている。強気で、すぐに手や足が出るような短気で、運動神経抜群で、大柄な男子生徒でさえあっという間に組み伏せてしまうような人を、私がどうにかできるわけがない。


「ちょ、まっ、これ以上は! 許してくれよ、帰りになんか奢るから!」

「ったく……約束よ! 破ったら許さないから」


 ようやく彼は駒岡さんから解放された。

 今日もまた、彼はしなくていいはずの出費をすることになった。



 彼の名前は家上(かがみ)(あきら)

 高校二年生で、私の同級生。そしてきっと、普通の人じゃない。


☆★☆


 午前の授業が終わって、お昼休みになった。

 家上くんはお弁当を持って、駒岡さんと涼木さんと共に教室を出ていく。晴れている日はいつもこう。家上くんたちは隣のクラスの士村さんと合流して、中庭へ向かう。中庭には、彼らの先輩二人と後輩一人も来て、計七人のグループで彼はお昼を過ごす。

 それを私が知っているのは、私も中庭に行くから。もちろん家上くんが目当て。

 ぼんやりと家上くんの背中を見ながら歩いているうちに、中庭に出た。

 この学校の中庭は、園芸委員会によってよく整備されている。

 煉瓦が敷かれてできた道は上履きで歩いてもいいことになっていて、道の脇や行き止まりには手作り感溢れる木のベンチが設置されている。場所によってはテーブルもあったり、日除けになる木が生えていたりする。

 奥の方のテーブル付きの場所を家上くんたちはよく使う。いつものその席に、女子生徒の姿がある。ここからでは顔はよく見えないけれど、誰なのかはわかる。家上くんのグループで唯一の一年生の子だ。名前は知らない。今日はあの子が一番乗りらしい。あの子もかわいい。駒岡さんたちと一緒にいても決して見劣りしない。

 家上くんと美少女たちに気付いた後輩さんが手を振る。うらやましい。私もあんな風に、彼に手を振れたらいいのに。

 私は家上くんたちから離れた場所に座る。声は聞こえるけれど、何を言っているかはわからない距離。

 それから少しして、家上くんの先輩二人が姿を現した。美女と美男子。二人は交際しているとの噂があるけれど、それは嘘だと私は知っている。

 男子二人と女子五人。どういう関係なのかは知らない。ただ、家上くんがグループの中心らしいのはなんとなくわかる。たとえ暴力を振るわれていても、奢らされていても、それでも中心は彼だ。

 七人は、賑やかに、楽しそうにお昼を過ごしていく。私はそれを今日は一人で眺める。いつもなら横に友達がいるけれど、あの子は熱を出して学校を休んでしまった。

 楽しそうな家上くんを見るこの時間は幸せだけれど、同時に、彼の心に私がいないのがよくわかって、悲しいような寂しいような気持ちになる。少し、つらい。

 私は、彼に告白する勇気がない。特に用もないのに話しかける勇気もない。今までにできた特別なことといえば、バレンタインにチョコを贈ったことだけ。あの日はいつもよりずっと早い時間の電車で登校して、誰にも見られないようにこっそりと彼の机の引き出しにチョコを入れておいた。彼があのチョコをどうしたかはわからない。贈り主不明の怪しいものと認定して捨てたかもしれない。

 彼はどういうわけかあまり自分に自信がないらしくて、本命のチョコなんか貰えっこないと思っていたようだった。だから、引き出しの中のチョコが彼に贈られたものだと、誰かの机と間違えていないのだとわかってもらうために、紙に「家上くんへ」と書いてチョコと一緒に袋に入れておいた。けれど誰が贈ったかは書かなかった。書いたら告白するのと同じだ。告白する勇気のない私が自分の名前なんか書けっこない。


☆★☆


 特に変わったことはなく一日の授業が終わった。

 家上くんは部活に入っていない。それに今週の彼は掃除当番から外れているからもう帰ることができる。でも彼は帰らないで駒岡さんたちが掃除を終えるのを待っている。駒岡さんとの約束があるからじゃない。彼はいつも彼女たちと一緒に帰っている。だから今日も一緒に帰るために待っている。

 このことは私にとって、嫉妬したくなると同時に少し嬉しいことだ。家上くんは教室の掃除を手伝いながら駒岡さんたちを待っているのだけれど、彼女たちの掃除場所は教室じゃない。そして私の掃除場所は教室。つまり家上くんは私を手伝ってくれていると言える。他の人もいるけど。

 ドサドサ、ガチャガチャと何かがいくつも落ちる音がして、


「あー……」


 と家上くんが声を出した。何事かと振り向いてみれば、彼は運ぼうとしたらしい机の引き出しの中身をぶちまけてしまっていた。

 私は床に落ちたものを拾って、家上くんに差し出した。すると家上くんは笑顔になって、


「あ、ありがとう。樋本(ひもと)さんは優しいなあ……」


 うわああああ! 名前呼ばれたっ!


「どういたしまして……」


 別に私は優しくないと思う。でも、好きな人にそう思えてもらえたなら、わざわざ否定することもない。……よね?


☆★☆


 掃除を終えて、幸せな気分で学校を出て駅まで歩き、電車に乗って揺られて降りて、また歩いていたら、変なことになった。

 前の景色が白っぽい。急にそう見えるようになった。なんだか半透明の膜でも通して見ている感じだ。まばたきしたり、目をこすったりしても見え方は変わらない。目とか頭が変になったのかと思ったけれど、後ろや横、足下は普通に見える。

 後ろからきた車が全く速度を緩めずに白い方へ行って、そのまま走っていった。その後ろの二台も同じだった。

 向こうから歩いてくる人がいる。その人はスマホをいじりながら歩いてきて、普通に私の横を通っていった。

 携帯をいじるふりをして歩行者や乗り物に乗る人をしばらく観察してみたけれど誰も私のように止まらないし、何か変なものがあると思っているようでもない。となると私の体がおかしいのかもしれない。早く家に帰って休んでお母さんに相談しよう。

 携帯を鞄にしまって、白い方へ行く。

 手足や顔が何かに触れたような気がした次の瞬間、街の景色は急に普通の色になって、人と車が消えた。いや車はあることはあるけれど、車道を走っているものは一台もない。

 車のエンジンの音が後ろから小さく聞こえる。

 振り返ってみると、ついさっきまで私が立っていた所が白っぽく見えた。

 やっぱり、何か、膜のようなものがここにある。……と思う。

 車道を車が走ってくる。でも私の横を通っていかない。膜のこちら側に来るかと思った途端に消えてしまう。逆に向こう側では、膜の辺りからふっと現れてそのまま走っていく。

 これは一体どういうことだろう。自然の神秘? それとも……幻覚? 何か変なもの食べたっけ。

 膜に左手を伸ばしてみる。……ぶつかった。固い。まさか。

 慌てて手に力を入れてみると、紙を突き破るような感触がしたかと思えば手首から先が膜の向こうへ行った。良かった。戻れないかと思った。

 誰もいないのは不気味だから、膜を通って戻ってみた。

 こちら側から見ると、膜の向こうにも人や走る車の姿がある。

 本当にもう、どうなっているのだろう。

 ここに不思議なものがある。けれど他の人は特に何かがあるとは思っていないらしい。

 何で、あっちに行ったら人が消え……ているの? いなくなるの? 見えないだけ?

 タイミングよく中学生が後ろから歩いてきた。その中学生の後について膜を通ってみた。

 中学生の姿が消えた。どこにもいない。すぐ前にいたはずなのに。手を伸ばしてみても、追突覚悟で少し走ってみても何にもぶつからない。見えないだけじゃなくて、いないということなのだろう。

 元の場所に戻ってみると、膜の向こうをスタスタと歩いているのが見えた。

 私だけが周りに誰もいない変な状況になってしまうらしい。

 どうしたらいいんだろう。わからない。

 ここは諦めて、別の道を行こうか……。

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