第三話 未来を告げる者
アルティは唐突に顔をあげてエイルに問うてきた。
彼は賢王から降りて告げる。
「任せる」
「畏まりました」
彼はアルティに賢王のことを任せた。
賢王は不服そうだったがアルティに近付かれた途端に賢王は不意に顔を引き締めた。彼女がどれほど強者なのかを魔獣は本能的に察したらしい。
エイルは母がいるところをローレスに聞いた後、すぐに母の下へと向かった。
執務室をノックしてから部屋に入り、フォーアは執務机で書類の整理をしていた。
彼は母の近くへと歩み寄った。
「ただいま戻りました。母上」
「そう」
彼女は興味無さ気な声でエイルの言葉に答えた。
今、取りかかっている書類を一区切りさせるとエイルの顔を見た。
「随分と早かったわね」
「自分でもそう思う」
エイルは母の発言に苦笑気味に答えた。
息子の発言などどうでもよさそうに腕を組んで彼を見つめた後、淡々として口を開く。
「今日中にローレスから名剣を渡させるから受け取りなさい」
「どうせ、鉄の剣だろう?」
「ええ」
フォーアは不満そうな声音を響かせるエイルを微笑みながら見つめている。
「その名剣だけど、私の愛剣を作らせた職人の業物だから役に立つわよ?」
「役に立つかどうかは知らないが、くれるならもらっとく」
「素直じゃないわね」
彼女は息子の態度にあまり気にした様子はない。
息子の発言に笑みを浮かべてから伸びをしだしたあと、あまつさえ欠伸までし出す始末だ。
相当、領主代行の仕事は疲れることらしい。
「母上、伯父上はどこにいるのでしょうか?」
「愚兄のことなら、皇都よ」
愚兄とは酷い言い草である。
エイルから見ても叔父――フォルガは愚かな人物ではないということぐらいは分かる。
ちなみにこのベルグラーノ家当主はフォルガである。
その彼が皇都ロスヴァイセに行っているのは何かしらの理由があるとエイルは思っている。
「母上、皇都に着いたら伯父上に挨拶をしようと思っております」
「いらないわ…………と言ってもするつもりなのね?」
「はい」
フォーアは額に手を当てながらため息を漏らし「この性格はあの子譲りかしら?」などと独り言を口にした。
しかし、エイルにはボソボソっとした声だったためによく聞き取れなかった。
彼女は顔あげて我が子を見る。
「明後日にはこの都市を出るように」
「早くないかな?」
エイルは母の発言に苦笑気味になっていた。
彼には母の考えていることはよくわからないが今更、気にしてもわかることでもないので考えるのをやめた。
「白銀の賢王の背に乗って行くのよ?」
「分かってるよ」
エイルは破れかぶれな感じで答えてしまっていた。
そのまま後ろに振り返り執務室を出ていこうとするがフォーアに呼び止められる。
「それとアルティも連れていきなさい」
「なぜだ?」
エイルは顔だけを後ろに向けて母のことを見て言われたことに対しての疑問を口にしたのだった。
フォーアは笑みを浮かべながら告げた。
「それがヴェロニカ殿下の命だからよ」
全くと言っていいほど、敬意の欠片もない淡々とした声音だった。
ヴェロニカの名前が出た途端、エイルは嫌な顔をした。彼女はエイルにとって姉に当たる人物だ。
彼としては正直会いたくはない人物なのだがこの感じだとヴェロニカに会うことは確実らしい。
「会いたくないな」
「それは無理ね」
予想通りの返答が帰ってきてエイルはもうフィリアス学園に行く気が失せてしまったが行かねばならなかった。
ヴェルディン皇国の皇都ロスヴァイセにある宮廷の一室でとある儀式が行われるという話を耳に挟んだ紅のドレスに身を包んだ炎の如き赤い髪をした女性は半信半疑でいた。
彼女は自身の部屋で礼儀正しく椅子に座っていた。
優雅さを漂わせる内装で天蓋付きのベッドやドレッサーと呼ばれる化粧台などの調度品に包まれていた。
「皇女様」
侍女の一人が声をかけてきたので暇つぶし程度の会話をしようかと悩んでいる内に彼女から話を振られた。
「宮廷内に広まっている予言をするという魔導師をいかがなさいますか?」
彼女も気になっていたのだろう。己の主にそのことを問いかけてきたのだから。
「どうもしないわ」
「では、予言されることにも興味はないと?」
「その予言とやらが本物かどうかはわかりませんが怪しさを感じますね」
赤髪の皇女はそう告げた時にノックがかかった。
侍女が声を潜めて話しかけてきた。
「皇女様、返事してはなりません」
「どうして?」
「皇女と言えど、女性の部屋――それも寝室です。そこに訪ねてくる輩は怪しいに決まっています」
皇女は侍女の堅苦しい考えに同意はできないものの理解はできていた。
「招き入れるかどうかは私が決めることです」
「それなら尚更、別の部屋にすべきです。寝室だけは殿方を招き入れてはなりません」
相手が男と決まったわけでもないのにこの言いようで皇女は頭を抱えたくなるような気持ちになった。
再びノックがかかりここにいると相手は知っているような感じがしたのだった。
「わかりました。貴女の言う通り別の部屋にしましょう」
侍女が胸を撫で下ろした時だった。
「ただし、貴女がここを訪ねてきた者に応接室に連れて行くのです」
「それはなりません!!」
潜めた声がほんの少し強張ったような色味を帯びた。
「今がどういう状況かご存知でしょう!」
彼女の言っていることがわかってしまったからこそ皇女は後には引かなかった。
「私もすぐに向かいます。それなら問題ないでしょう?」
「いえ、ダメです。 私が訪ねて来た者を案内した後に皇女様をお呼びに戻ります。それまで大人しくしていて……」
彼女の言葉が途切れたのは突然扉が開けられたからだった。
侍女はその者を見るよりも前に声を張り上げる。
「この部屋をどこと心得て開けたのですか!!」
彼女が頭を上げて告げた言葉がそこから続くことはなかった――いや、できなかった。
「フォレリア……様」
彼女は驚いた表情を浮かべた。
フォレリアと呼ばれた彼女はツリ目がちの目元をしていてプラチナ色の髪を伸ばし放題にした女性だった。
目鼻立ちは整っており美人と言っても差し支えなかった。
侍女が言葉を詰まらせたのは彼女が皇都ロスヴァイセで最も有名な人物だからである。
「元気そうね」
「ええ、貴女が来た途端に気分は悪くなりましたが」
黒いドレスを基調とした鎧はドレスアーマーと呼ばれる防具であると分かる形をしていた。
赤い宝玉が嵌め込まれた鍔、純白の刀身に縦三本の蒼い筋が入った騎士剣が腰に差さっている。
どこから見ても冒険者という風格を感じさせる雰囲気に包まれていた。
「何か用かしら? 無責任な英雄ロゼリュクスの信者さん?」
海のような蒼い瞳から鋭い視線を放った彼女は異常なほど怒っていた。
「ひっ!」
侍女が強張った表情を浮かべた。
「かの英雄を悪く言うことは誰であろうと許しません」
「会ったこともないのにそこまで言えるなんてね」
皇女は楽しそうな笑みを浮かべた。
「ヴェロニカ、貴女が彼になにを思っても構わない。けど、悪く言うのだけは許せないわ」
赤髪の皇女の名を口にしたフォレリアは強い殺意を放ちながら相手を睨みつけた。
「そうですね。彼は英雄――けれど、人間たちは裏切り者と呼んでいます。それは仕方のない事実ではなくて?」
「……」
「貴女は彼を崇拝しているようにも尊敬しているようにも見えますが、本当の彼を知っているのかしら?」
「どういう意味?」
フォレリアが言い返すのがわかっていたのだろう。ヴェロニカと呼ばれた皇女はますます楽しそうな笑みを浮かべて口にする。彼女の発言から自分は会ったことがあるという雰囲気が拭えていないがフォレリアがそれに気づくことはなかった。
「彼が本当は無責任な英雄ではないと言いたいようですけど、貴女達が持っている伝記は“本当の真実”なのでしょうか?」
「真実よ」
「それは“本物の彼”に会ったことがないから言えること」
「違う!」
フォレリアは俯きがちに否定する。気づけば彼女が押され始めている状況となっていた。
彼女を責め立てるようにさらに言葉を続ける。
「元々は青い髪だったとか、彼の縁者に似ているだけで親族気取りですか?」
「……っ」
フォレリアはヴェロニカの言葉に下唇を噛んでいた。
沈黙が辺りを支配し膠着状態に突入していた。
「……あの~」
控え目に膠着状態を破ったのはフォレリアの後ろにいた村娘のような恰好をした十三歳の少女だった。
彼女もプラチナ色をした髪を後ろに結った髪形をしていた。
赤い瞳をヴェロニカとフォレリアの間で彷徨わせる。
「あら、ギルドの受付嬢がいらっしゃるとは思いませんでしたわ」
ヴェロニカが何でもないとでも言うような雰囲気で口にした言葉は一気に周りの空気を変えたが、ただ一人フォレリアだけは違った。
「殿下に許可していただきたい案件がありまして……」
「なにかしら?」
ギルドの受付嬢が手渡してきたのは問題多き遺跡のことだった。
ヴェロニカは難しい表情を作り受付嬢に返した。
「どうでしょうか?」
「許可できません」
やっぱりと言うような色味を顔全体に浮かべて肩を落としたのだった。
だが、彼女はただでは帰れないという表情をに少しだけなってヴェロニカを見た。
「ギルドマスターからのお願いなんですけど」
控え目に口をついた。
「それでも無理です」
「そこをなんとかしてください」
ヴェロニカはため息をついた後に口を開いた。
「今、そこに関して権限を持っているのは“あの子”を支持するアドルフ卿です。つまり、私にはその権限はないということです」
「なぜ、それを言って下さらないのですか」
「アドルフ卿から伝わっていませんの?」
「伝わってたらここには来ません」
呆れたような、疲れたような雰囲気がギルドの受付嬢から漂う。
「フォレリアさん。ギルドマスターの代理で来てもらったのにこれじゃあ困りますよ」
泣き声のような声を出しながら受付嬢はフォレリアを引っ張りながら退室する。
その様子を見ながらヴェロニカは頬に手を当てて口にする。
「ちょっとやり過ぎましたね」
「ちょっとどころではないですよ。皇女様」
呆れたような声が近くから発せられた。
ヴェロニカはその方向に顔を向けると侍女が困り果てた顔をしていた。
外が闇に支配された時間帯に宮廷の一室で行われる儀式にヴェロニカは参加していた。いや、参加せざるを得なかったと言わざるを得ない。
薄暗い室内にいるのはヴェロニカを含めた六人。内一人は黒いローブを纏った如何にも怪しそうな男だった。
その男は目を瞑った状態で何かを念じているような雰囲気が醸し出されているため、奇妙な緊張が周囲を支配していた。
「ヴェロニカ殿下、彼は予言者を名乗っておりますが信用できるのでしょうか?」
そう語りかけてきたのは漆黒のような黒髪をした若い男だった。
男は黒い服に身を包んだ格好をしていた。ヴェロニカはその服が何なのかはよく知っていた。
「いえ、私は全く信用していませんが」
「では、なぜこの儀式に参加を?」
「信用できないからこそ見えるところでやってもらった方がいいからです」
「なるほど」
若い男の名はアドルフ=オベルタという。
ヴェルディン皇国では子爵の爵位を持つ貴族だが、少々変わり者であることが有名な男である。
「敵対勢力に話しかけるなんて随分と余裕があるのですね?」
「いえいえ、余裕がないからこそ話せることが可能な貴女様と話しているのですよ」
アドルフは笑みを浮かべて言う彼からどこか軽々しい雰囲気と礼節さが感じられた。
「探りを入れようと?」
「いえ、ただヴェロニカ殿下は政略に興味が無そうでしたので話しかけたまでです」
食えないと内心でヴェロニカは思う。
そんな印象を彼に言ったところで意味はないことを知っていた彼女は別の相手に意識を向けた。
「レオシア殿下とカルロス殿下のことですかな?」
しかし、彼女の意識が向いているところを的確に見抜くアドルフにヴェロニカは舌を巻いた。
この場にいる政敵の二人だった。
一方は緑を基調としたドレスに身を包んだ金髪の女性、もう一方は軍服に身を包んだ格好の赤褐色の髪をした男だった。
「相変わらず鋭いのね」
淡々と答えたつもりがほんの少し上擦ったような色味を帯びていた。
「いえいえ、我々とて注意をしている相手ですから」
ヴェロニカは本当に食えない男だと心から思う。
「なんでも最近、“彼ら”と接触したようですね?」
「おや、隠しているつもりはなかったのですがいやはや耳が早いですね。ヴェロニカ殿下?」
ほんの少し鎌をかけたつもりで言えば否定もせずに口にしてくる。
黒いローブの男が目を見開き静かに告げる。
「霊剣ヴォルザンスに認められし者、次代の英雄とならんとせし者なり、その英雄はヴェルディン皇国を良い方向へと導いっていき、世界を変えてしまう者とならん」
男は古臭さを感じる口調で予言を告げたのだった。
ヴェロニカもアドルフも驚いたことにこの男がヴォルザンス知っていたことだ。
国宝であるヴォルザンスのことは皇族や一部の貴族しか知り得ないものだ。それをどうやってかローブの男はそれを知り口にしたのか理解が及ばなかった。
「これで予言は終了です」
と告げた声は先程とは打って変わってしがれたような声で老人のような印象を与えた。
ローブの下にどんな顔があるのかは誰もわからない。ただの一度としてローブを取らなかったのだから無理もない。
「ヴェロニカ殿下」
「なにかしら、アドルフ卿?」
「今の予言は本当のことなんでしょうかね?」
「知らないわ」
ヴェロニカは紅のドレスを翻し薄暗い室内から退室した。アドルフは彼女に続くように部屋を出る。
「いつまでついてくるのかしら?」
「いえ、たまたま殿下の行く先が私の向かうところでして」
ヴェロニカはため息をついた。
食えない男と思ってたもののここまでの男とは思ってもなかったのだ。
これから自分が何をするのかを彼は知りたいのだ。
「今の予言、貴方はどうかしら?」
「半信半疑……ですかね」
この男が口にしたことに嘘はないと彼女はわかっていた。
「予言が本当かどうかは私は知りませんし興味もないのですけれど……」
ヴェロニカはアドルフに向かって微笑んだ。
「その予言の英雄は“あの子”とだと思うわ」
「そうですか。では、これからの事はどうなさるおつもりなおですかな?」
これからの事というのは継承争いの事を言っているのだろう。彼の顔はやけに真剣だった。
ヴェロニカもこんなアドルフははじめて見たのだった。
「それはもちろん決まってますわ」
「そうですか。では、私は仕事に戻るとします」
アドルフはヴェロニカの発言を聞き察しがついた上で決意が固まったのだった。
彼女は継承争いには乗り気ではない事もアドルフは分かっていたし、自身が支持する主もまた乗り気ではないことも薄々気づいている。
廊下の十字路に差しかかったところでアドルフは右へと歩いていく。
「ヴェロニカ殿下」
アドルフが振り返りヴェロニカの方を向いた。
「なにかしら?」
ヴェロニカは彼の顔を見てなにかよくないものを見たような気になった。
「少しお願いがあるのですがいいですか?」
「内容によるけど……。いいでしょう、話だけは聞きましょう」
ヴェロニカはアドルフから聞かせれたものについて驚きの表情を隠せなかった。
「貴方、そんなことを!!」
「できませんか?」
「貴方、さっきのことを鵜呑みにし過ぎですわ!」
ヴェロニカはの反応はアドルフにとって予想の範囲内だったらしく驚いたこともしなければ引くような雰囲気もない。
「殿下にとっても悪い話ではないでしょう?」
つくづく食えないと改めて思ったヴェロニカは覚悟を決めて口にする。
「あの方々に任すよりはマシですね」
「ということは?」
「許可しましょう」
彼女は頭に手を当て頭痛に耐えているような表情をしながら立ち去ろうとする。
「ありがとうございます」
頭下げてアドルフは立ち去っていった。
「貸しですからね」
誰にも聞こえないような小さな声でヴェロニカはアドルフが去っていった方向を見たのだった。
アドルフはヴェロニカとの会話を終えた後に考えを巡らしていた。
“彼ら”に皇帝になられるよりはヴェロニカの方がマシと考えている。だが、ここは自分たちの主になって欲しいとは思っている。
彼女に会えて話しかけた理由はそれほどなくただ確認したかっただけなのだ。
アドルフが皇帝になるのは“あの御方”だと信じている。例え彼がそれを望んでなかったとしても。
「お待ちしてますよ。 蔑まれた我らの皇子殿下」
アドルフはその言葉を最後に宮廷を後にしたのだった。