午前3時ロックンロールを掻き鳴らす準備をしよう
久しぶりに小説を書いてみています
□ドゥーユーノウロケンロー?
歌を歌って、ギターを弾いて、ベースを鳴らして、ドラムを叩く。
ついでにそれが五月蠅ければ、さらに最高。
『ロックってなあに』
私が高校生の時分に、父親にその疑問符を投げつけた時の返答はそれだった。
『五月蠅けりゃあイイんだよ、五月蠅けりゃあ。そんでビールが飲めりゃ最高』
テレビからは少々過激なバラエティ番組、テーブルの上にはジャーキー、ボロいソファに横になって、ビールを片手にそれらの惰性を貪る父に、嫌悪感を抱くよりかは呆れ、「しょうもな。岩でいいじゃん岩で」と言った。「岩、そう!岩だ!ロック!」
「岩でいいんかい」
テレビの画面の中では、バラエティ番組の中で、芸人が対芸人との勝負に負けて、罰ゲームをやらされているところだった。バットを軸に10回回り、とても苦そうなお茶を飲まされている。リアクションが大袈裟なように見えて、なんだか癪に触るが、父はそれを見てゲラゲラと笑っていた。そんな様子を、私は風呂上がりの髪にしたたる水ををタオルでふきながら、「しょうもな」と軽蔑した。
『あのな、ハナ』
と、父はそんな私を見て、ほんの少し改まったようにビールの缶を持ったまま上半身を起こし、「ロックっつーのはな」と、私の目を見据える。
『岩みてえに、硬い意志と、岩みてえにデカイ夢を持つことだ。それが岩を貫くより難しいから、みんな性懲りもなく歌ってんだ』
何故だかその言葉は、今でも私の頭のなかにこびりつく鉄錆のように、剥がれ落ちない。
父は、そして一呼吸置き、
「ロックっつーのは、自分の信じた正義を貫き通すことだ」
そう言い切ったのだ。
□午前3時ロックンロールを掻き鳴らす準備をしよう
「いってきます」
まるで街中で出会った、会うことがさほど珍しくもない友人に挨拶するかのように、掌を敬礼するように一度振り、小さな仏壇”もどき”の前を横切る。
記憶の中の父はいつだって若々しく、いつだって粗暴で、いつだって真っ直ぐだ。彼はきっとあのまま年老いていても、変わらず同じ事を言っていただろう。いつまで経っても若々しく、いつまで経っても粗暴で、いつまで経っても真っ直ぐでいるのだろう。その予想が当たっていたかどうかは、今となってはもう神様か閻魔大王様ぐらいしか知らないだろう。私の父、阿賀川章吾は私が高校1年の夏、37歳の若さで他界した。
「あんた、早く出らにゃ、遅刻するよ?」
と、どたばたと登校の準備をする音で目が覚めたのか、起き抜けの母が、煙草をふかしながら、割りと遅刻するかどうかなんてどうでも良さげに、私を急かす。当の本人は、のんびりと自分が飲むためのインスタントコーヒーを、亀のように愚鈍に作っているところだった。
「お母さん、お弁当、テーブルの上に置いてあるから。晩御飯、麻婆豆腐でいい?」
「オッケー牧場」
すっとんきょうなその返事に呆れ小さな溜息をこぼしつつ、はーいと返事をする。
「いってきます」
「ハナ、ちょっと待って」
「何?」
呼び止める母を一瞥すると、母はテーブルの横に立て掛けてある″それ″を指差している。「忘れ物」
「あっ」
不意を突かれたような声を出していまい少々恥ずかしかったが、気にせず私はそれを担いで、今度こそ玄関のドアを開ける。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
こうして今日もまた新しい一日が始まる。
高校生3年の春と夏の境目。日差しが既に暑い5月。17歳。
名前は蒼井ハナ。
今日もソフトケースに包まれたギターを担いで登校する。
哀川、相田、私の出席番号は、それに次いでの3番目だ。
「蒼井」
「はい」
「抜き打ちだが、小テストでこの得点はなあ、渋いぞ」
「はい」
「次からは予習しとくように」
ひらり、と重力に負けるほどの薄っぺらいその紙の隅には、赤い文字で25点。抜き打ちの5点問題×20問のうち、5問正解、ということ。
担任教師のその言葉に、返事ではなく、「ぐへぇ」という感じの感嘆符で返す。言われなくても分かってるよ、を感嘆符にすると「ぐへぇ」なのだ。
その後担任は、何事もなかったかのように、石田、井上、内山と名前を挙げては、一言添えて答案を返していった。
数学の時間はいつだって憂鬱だった。
阿賀川章吾は、私の父親であったが、母とは入籍していなかったらしい。
母の名前は蒼井花織。37歳。19歳の時に私を産んだ。
父は、当時21歳。ロックバンドのボーカリスト。母はライブハウスのスタッフだった。
しがない舗装工で、ガラの悪い酔っぱらいで、二児の父親であった彼は、とある界隈ではまた別の一面を持っていたらしく、私からすればピンと来ない話だが、当時の地元のバンドの中で郡を抜いて人気だったそうだ。その人気に比例するように、やんちゃなこともしていたようで、いくつか”伝説”と揶揄されるような話を人づてに聞いたこともあった。
昔まだ父親と一緒にお風呂に入っていた頃、「ぱぱの背中にはなんで虎さんがいるの?」なんてことを当たり前のように聞いていたが、今思えば、なかなかどうして、クレイジーな質問だ。かくいう父本人は、そんな事を気にする性分でもなかったらしく「男は、強くなると背中に虎を飼えるようになるんだよ」なんて言葉が返ってきたのを覚えている。
そんな日常の端々から、ある程度物が分かる歳になった頃には、父がどんな風に生きてきたか、なんとなしに想像できるくらいにはなった。
母親は父の事が話題に挙がる度に
「昔のお父さんはね、もう、なんていうか、すごかったのよ」
なんて、煙草をふかしながらケラケラ笑っていた。
父は亡くなる直前まで、バンドをやめなかった。
そんな父親の背中を見ていたら、なんとなく、母の言っていることがわかった気がした。
「ハナ、なんか今日ぼーっとしてんね」
友人のそんな声で我に帰った時には、もう既に放課後のチャイムが鳴った後だった。
「ん、そうかな」
校内の生徒はまばらで、遠くの校舎からトランペットの音や、グラウンドの野球部やサッカー部の掛け声が微かに聞こえる。
「ん、そうかも」
肯定の返事をするのも、思い当たる節があるからで。
「なんか今朝、懐かしい夢見ちゃって」
生前の夢を見たからで。何となしに父のことを思い出していたからだ。
「どしたん、センチメートル?」
「それいうなら、センチメンタルね」
「桜の花びらが落ちる速度は秒速5センチメートルなんだよ」
「たしかにその映画はセンチメンタルだね」
ははは、しょうもな、と、二人して笑う。教室には私達以外誰もいない。時計を見る。午後4時過ぎ。よし、と私は席を立つ。
「行こっか」
私は、教室の後方にあるロッカーに立て掛けてあるギターを担ぎ上げる。
「はよ行こ」そう急かす友人の背には薄い円柱を横に倒したしたような丸い形のリュック。リュックに見えるがこれはスネアドラムのケースだ。要は、太鼓だ。そしてスクールバッグから覗く二本のスティック。
「スタジオの予約、何時やけ」
「5時から。だけん、はよ」
「まじか、急がな」
そう会話を交わし、私達はそそくさと教室を後にした。
さあ、ロックンロールを掻き鳴らす準備をしよう。