眠いときに書いた謎の話(自分でもわからない)
父親がうるさい。先ほどから寝室で母にゴチャゴチャ会話している。会話というか、ほとんど一方的な言葉のドッジボールだ。決して、キャッチボールではない。やつはいつもこうで、自分がしたい話を自分がしたいときにペチャクチャ語る。だから友達がいない。ということも、自分で気付かないくらいに本人はダメダメなのだ。
私がやつを嫌いになったのは、この前の七月初め。とあるしょうもない理由により、一気に嫌気が差した。声も思考も仕草も。今はもう関わることもほぼないから、日常で接点すらないから、別にいいのだけれど。
もともと嫌いだった。しかし、親に従わなければ、好意を感じさせなければという義務感があった。鳥の雛は親から餌をもらうために必死に自己をアピールする。それと似たようなものだ。
好かれるためには、好きになる必要があった。誰だって、自分に敵意のある者と仲良くしようとは思わない。好意の応酬性、懐く者に与えられる。だから、私もそうした。父に取り入った。いかに可愛がられるか、いかに、その天罰を免れるか。親という強大な圧力は、幼い時分から身にかかるものだった。
「パパが好き」「世界で一番」「ママよりも」「将来は結婚する」
そんな言葉を出した。ある時は両腕を翼のように拡げ、パタパタと仰ぎながら「このくらーい」「もっともっと」とおどけてみせた。全てやつをあざむくために。私という娘の存在を、その相手に対する好意を存分に示すために。
狙っている、と思った。バレるだろうな、こんなにも陳腐な台詞だ。が、十七年隠し通せたのは、私の才覚か、気の所為か、父と私、どちらかのうぬぼれか。
やつは本当に乱暴な男。上手く思い出すことはできないが、また明記する必要性にも駆られない、その気力すらないが。まだ自分でも整理できていないのだ、たぶん。
けれど、確実に言えること。私はやつが嫌いだ。証拠ならある。夢の中。
白い部屋だった。部屋、というより、空間。私は仰向けで倒れている。馬乗りになった父は、グサグサとそのお腹をぶっ刺し続けている。痛みよりもまさる恐怖。血が出ているのかさえ、確認しなかったのは、やつの鬼のような形相に目をすべて奪われていたから。なにを恨んでいるのかわからない。そんなに私が嫌いか。あるいは、私がやつを嫌いなことの投影なのか。
目が覚めると泣いていたことも、あまりにも陳腐すぎる出来事で、一笑に付すべきだ。
それなのに、去年の六月。やつが勧めたアニメを観ていた。この作業は普段の私にとって、必然だ。私は親鳥に開けた嘴の空っぽを差し出すしかない。死なないためにできることをして生きてきたつもり。つまらない作業でも、口が腐りそうな褒め言葉でも。
そのとき、無性に抱きつきたい欲求に駆られた。自分でもわからない。今でも気持ち悪いと思う。やつの横向きに寝っ転がった、その背中。気持ち悪い背中。暴力的な背中、私が死ぬほど嫌いな。
やつが見ているのは、テレビで、私が見ているのはその後ろから。やつに私は見えない角度、位置。とても抱きつきたかった。時間が止まっていたら、そうしただろう。でも、アニメは流れた。やつの好きなアニメ、私の嫌いな。部屋が暗くて、画面がうるさいほど眩しくて、照らされて、父の背中、私。母はいない。寝室に二人だけ。
死ぬほど嫌いなのに、なぜあのとき死ぬほど抱きつきたかったのだろう。信じられない。考えられない。
理性で踏みとどまる。手が伸びていた。こちらを一切振り向かない父の背後に、私の身体が接近した。本当に、あと一秒でも気がつくのが遅れていたら、その愚考が愚行になったのは間違いない。
今でもまったくわからない。なぜ私がやつに忍び寄ったのか。気持ち悪い。どうかしていた。
それ以来、父の夢を見ることはなくなった。代わりに、知らない人の足を舐める夢とか、四つん這いで馬になって中学生くらいの少女に乗られる夢とかを見るようになった。
私の頭がおかしい話は、これで、終わり。
2024 9月頃




