星月夜
人が何かを始める時、そこには二つのパターンが存在する。
一つは、自分でスタートの時機を見極めてから始める場合
一つは、気がつくとスタート地点に立たされていた場合
じゃあ、
僕たちの始まりは、何だったと思う?
――ワーテル王国 ペルルノ離宮 とある建物内
見たことのない場所で、僕は目を覚ました。
背中側に固くヒンヤリとした感触を覚える。
薄眼を開けてぼうっとしていると、近くで誰かの声が聞こえた。
声自体はそれほど大きくはないけど、複数の声が重なっている。
僕は頭を動かさないまま、慎重に横を覗き見た。
ワインレッド色の長いローブを身に纏った男性が五名、こちらの様子を伺っている。少し離れたところに立っている彼らは、一様に赤い髪をしている。
指先とそれから足先も動かしてみるが、特に支障はない。おもむろに上体を起こすと、こちらを伺っていた男たちが一斉に歓声を上げた。みな興奮気味に肩を叩き合っている。
あまり予期していなかった反応に若干ビビりながら、僕はそれを表には出さないようにした。
彼らの背後に目をやると、乳白色の高い天井が目に入った。祭壇らしきものも目に入り、最奥部にはガラスの大窓が見える。大窓からは柔らかな光が降り注ぎ、細かい塵が反射してそこに光の道があるように見えていた。
横壁にはもう少し小さな窓が並び、周囲の壁には直線的な美しい彫刻が施されている。その下にはおそらく、意図的に重なるようブドウの若木がいくつも植えられていた。どれも細部にわたり美しく剪定されている。
おもむろに立ち上がると、自分の足元に不思議な模様の描かれた石床を見つけた。
「なんだこの絵…?数式のような、それとも…」
初めて見る場所。直前の記憶と現状の整合性が取れない。
じっと足元の模様を見つめていると、前方より声がかかった。
「――――!」
「え?ああ、ええと申し遅れました。僕はゲントと…」
「――――――――――」
「ん?……“I’m Gento, Could I get..”」
「――――?」
「じゃあ…¿Dónde estoy?」
「――!」
「―?」
「……Fursa sa’ida」
「――――」
「うーん、軒並み通じない」
根気よく話しかけてみたが、互いに理解できる言葉は見つからなかった。僕は、彼らの言葉を知らないどころか、言語系統さえ分からなかった。
「こんなことは初めてだなあ」
ポツリと呟いた僕をよそに、彼らはぞろぞろと扉の外へ出ていった。残された数名が、小さく寄り集まって話をしている。
そのうちの一人が、僕に近づいてきた。
「―――――?」
男に対する第一印象は「良く日に焼けているな」だった。
この中では一番若い人間のように見えるが、それでも40歳代くらいだと思う。整えられた黒髪は頭頂部分にのみ広範囲の白色が見えたが、これは白髪ではなく“元からそういうもの”のようだった。
男は何かを案じている表情をしていて、そこには一切の嘘が見えない。なるほど実直そうな男だと思った。
僕は半ば無駄だと理解しながらも、あらゆる言語で話しかけてみた。
この「あらゆる言語」というのは、身振りや、手振り、表情だけのコミュニケーションを含む。よってしばらく時間が掛かったのだが、彼はそれに根気よく付き合ってくれていた。
「..Madloba」
「―――」
彼の憂いをおびた表情に変化はない。
そのうち別の男がやって来て、なぜか僕に白い薄手のシャツ手渡した。先ほどからひたすらに話しかけていたのが、何かを要求していると伝わったのかもしれない。
渡されたそれをとりあえず羽織ると、持ってきた男は満足気な様子で、僕と話していた男を連れて戻っていった。また一人になる。
「……え、僕は?この上から動いちゃダメな感じなのか」
独り言ちながら特に何ができるわけでもなく、周囲を観察してみる。
今いる人間は全部で四人、全員男性、武器の所持はなし。
左手奥の男性は動き方から察するに、右足に怪我を負っている。
「ふむふむ」
職業柄、観察とコミュニケーション(要共通語)は得意としている。
例えば、目の前の彼らは全員やや興奮状態だが、心身ともに正常の範囲を超えない。僕に対する敵対的な態度も見られない。
次に「今すぐこの建物から脱出するには」を考えて観察してみる。
先程大勢が出て行った大きな扉、その他には最初に目に入った大窓の下、左壁のブドウの木の後ろあたりに、隠されたドアの存在が見える。
他にも色々と観察・整理して僕が出した結論は、「何もしない」だった。
**********
建物の外に連れ出されると、高くよく晴れた青空が僕を出迎えてくれた。
前方には反対側が見えないように垣根があって、地面は石畳の歩道で整備されている。また、ここの立地は少し高さがあるようで、ずっと遠くに広大な緑の大地が見えていた。
振り返って確認すると、先ほどまでいたのが聖堂のような建物だったと分かる。
後ろには木々が鬱蒼と生い茂っていて、枝葉の隙間から僅かに鉄柵が確認できる。それが示すのは一体何なのか考えてみる。例えば、ここが何らかの制限区域内であるとか、あるいは外側だとか。
僕を外に連れ出した男たちは、今は僕そっちのけで雑談に興じている。
はじめは僕を監視しているのかと思ったが、少し離れた場所でゲラゲラと笑い合う彼らには全くといっていいほど警戒心が感じられなかった。
僕が垣根周辺をウロウロしてみたり、不意にしゃがみこんだりしても、そのことを気にとめる者は一人もいない。不思議と強く信頼されているようだった。
それでもとりあえずは、大きく反抗する理由もないので流れに身を任せることにする。そうして見上げた空には、雲一つなかった。
「快晴なんて、久々に見たな」
目を閉じると、じんわりと温かい太陽の光を感じる。僕は省エネモードの気分で、花壇脇に座り込んだ。
瞼越しにも届く光に、ポカポカと暖かな陽気。年中こんなかんじの気候だといいな、なんて考えながらのんびりしていると、突然、トンッと体の上に小さな温もりを感じた。
「にゃあ」
「わあ、ネコちゃん」
「にゃあ~」
手入れの行き届いた純白の長毛に、顔回りだけ茶色のたてがみの様な模様が入った成猫だ。ナデナデしていると、何度か体を擦りつけながらゴロゴロと喉を鳴らした。
「可愛いッ!君、らいおん丸と呼んでも?」
するとネコちゃんは、ピタリと鳴き病んで聖堂裏の森の方へ歩いて行った。
「だめか」
はじめ僕はそれを見送ったのだが、ネコちゃんはウロウロと行ったり来たりを繰り返した。にゃあにゃあと声をあげて、僕に「ついてきてほしい」と言っているのだ。
僕はその声に従うか逡巡して、男たちの方を確認した。
彼らはこちらには全く気がついていなかった。そもそも興味が無いのかもしれない。
でも、わりと騒がしくしているのに一瞥もくれないものなのか。
彼らが視線ひとつ寄越さないことが、僕にはどうにも不思議でならなかった。
「ま、いいか」
別に自分とあのおじさんたちは、何か約束を取しているわけでもない。暇を持て余していた僕は、ネコちゃんについて行くことにした。
だって、動物のこういうあからさまな「ついてきて」は、他の子を助けてほしいとか、何かのっぴきならない事情があるのかもしれない。
「そう、君たちは賢いんだ。僕はそういう動画を、ネットで見たことがある」
森に入って間もなく、先ほど見つけていた鉄柵に行く手を阻まれた。
ネコは柵の隙間をスルリと通り抜けていくが、僕の身体では少し難しそうだ。
「ごめんねえ、僕はここまでだ」
そう言って頭を撫でると「ニャ」と反抗的に鳴いたその子は、少し歩いたところの鉄柵の前に座った。ネコちゃんが前足でその鉄柵を軽くと押すと、その箇所がキイっと開いた。そこには人ひとりが通れる分の大きさの扉になっていて、あるはずの場所に鍵は存在していなかった。
「ホントに賢い!手品ネコの動画は、AIじゃなかったんだ…!」
それから僕とネコちゃんは、数十分ほどかけて森をお散歩した。
その頃には僕も、ネコちゃんに目的地があるわけでもなさそうなことには気がついていて、単純にその時間を彼の友人として楽しむことに努めていた。
すると、ある陽だまりになっている場所でネコちゃんがゴロンと横になった。目を閉じてすごく気持ちが良さそうだ。僕はすぐそばにしゃがみ込む。
「いいね、ちょっと休憩しよ」
地面はふかふかで、陽光はぽかぽかと温かい。
数秒もかからないうちに、その場に聞こえるのは二匹の寝息だけになっていた。
**********
憶えているのは、とても狭い空間にいたこと。
目前にちょうど顔ほどの大きさの窓があったこと。
背中側はふかふかのベッドになっていて、まるで雲の上にいるような心地だったこと。
僕は安心して目を閉じた。
はじめて自分の体が軽いと感じていた。
もう一度だけ窓の外を覗いてみると、そこに見えたのは。
僕といつも一緒だった、彼女は
――ガタン!と全体が揺れ、瞬きをする間に全ての光が消えていた。
音もない、真っ暗な虚空を見つめる。
そう、ここで終わり。
**********
「――――!」
まるでプツリと電源を入れたように「続き」が始まった。
大きな音が響く中、なぜか僕の視界は覆われていた。
真っ暗の中に聞こえてくるのは、誰かが殴られる音、金属のぶつかり合う音、それに――
「血の匂い」
そう言葉を発した瞬間、誰かが息をのむ音が聞こえた。僕は思わず「え?」と声を漏らす。視界が覆われていたのと外の喧騒で気が付かなかったが、集中して耳を澄ますと、確かにここには四人分の人間の呼吸音があった。
「てことは、アレ?ネコちゃんがいない」
小さな友人は去ってしまった後らしい。
近くでは怒号が飛び交い、馬のいななきが聞こえた。
この四人ではない他の誰かが大声で揉めている。
ほどなくして、周囲は静けさを取り戻した。
少し離れた場所で知らない誰かの声が聞こえており、声の行方を追っているとすぐに僕の近くまでやって来た。
すると突然、頭上でバサリと音がした。
外気が一気に入ってきて、腐葉土の香りが鼻腔をくすぐる。このとき僕は、自分がまだ森に居て、何かの内側――例えば荷馬車や貨物車の中とか、そういう場所にいたのだと理解した。
そしてガシャン、と重たい金属の扉が開く音が鳴る。
「―――」
「―――――――!」
その人物は何か言いながら中に入ってくると、僕の肩をガシっと掴んだ。
揺すりながら話しかけてきたのは男の声で、しかし例によって僕は、何を言われているのかサッパリ分からない。
「どういう状況?」
「――!!!!」
「うわ!びっくりした!!」
お互いに慌てていると、首根っこをガシッとつかまれた。
「ぐえ~」
僕は大人しく引きずり出されると、何かの上にどかっと座らされた。
そしてついに目隠しが外され、目に映ったのは数時間ぶりの明るい世界――
「――――――――――?」
ではなく。夜の闇、星だけの世界。
揺れる松明の光を背に、深く燃える瞳でこちらを覗き込む金髪の美しい男の姿だった。




