2話「引越しと新しい家」
衝撃的な昨日から日を跨いだ、熊本の空は雲ひとつない快晴だった。
玄関前にずらりと並んだ段ボール、そして何度も往復する引越し業者の人たち。家の中はまるで戦場のようにごった返していた。
「白狼、そっち持てるか?」
「大丈夫、父さん」
俺は、4月で肌寒いが普段動かないため汗ダラダラで段ボールを抱え上げる。
母を亡くしてから父と二人で暮らしてきた家に、新しい家族がやってくる。
東京からはるばる引越してきた千鶴さんと、その娘の月猫。
「……ふぅ」
リビングに足を踏み入れると、月猫が大きな段ボールの中に埋まっている。
長い黒髪が少し乱れていて、普段は冷静そうな切れ長の瞳も、今はわずかに困惑を浮かべている。
「何、サボっているんだ?」
「サボっていないわよ。見てわかんない?」
「段ボールに埋もれてるのが、か?」
「……っ!」
月猫はむっとして顔を赤らめた。
その様子がまるで段ボールに捨てられた猫みたいに見え可愛いと、思わず笑ってしまう。
「な、なに笑ってるの」
「いや、熊本に来て早々、月猫が段ボールに埋まっているのが面白くて」
「うるさいっ!」
ぷいとそっぽを向きながらも、月猫は立ち上がり、無理して小さな段ボールを持ち上げようとする。
だがすぐに「重っ……」と呟いて、結局は床に置き直した。
「だから言ったろ。無理すんなって」
俺は代わりに段ボールを抱え上げ、廊下へ運び出す。
後ろから月猫が、少し悔しそうに睨んでいるのを感じた。
東京から熊本へ。
都会で育った彼女にとって、この地方の家並みや方言はまだ馴染みのないものだろう。
それでも、こうして同じ空間で過ごしていくのだ。
「ねえ、白狼くん」
不意に、月猫が声をかけてきた。
「ここって、私の部屋になるの?」
「そうらしい。日当たりもいいし、静かだぞ」
「ふぅん」
月猫は窓の外を眺めて、小さく呟く。
「東京と全然ちがう景色だね。山が近いし、空が広い」
「悪くないだろ?」
「そうだね」
その横顔は、どこか寂しげで、でも少しだけ期待を含んでいるようにも見えた。
新しい生活はまだ始まったばかり。
熊本での日常に、月猫はどんなふうに馴染んでいくのだろうか。
胸の奥に小さなざわめきを抱えながら、俺は再び段ボールを抱えに玄関へと向かった。
廊下を抜け玄関へ戻ると、外からは近所のおばちゃんの明るい声が飛んできた。
「おー、引越してきたとね! よろしくねー」
父が慣れない様子で頭を下げ、何度も「こちらこそ」と返している。
熊本特有の方言に、月猫は「今の、何て?」と小声で俺に聞いてきた。
「ただの挨拶だよ。これからよろしくお願いします”って」
「ふぅん。東京じゃ、近所の人とこんなに気軽に話さないから、ちょっと新鮮」
小さく笑った横顔が、ほんの少し和らいだ気がした。
夕方になり、荷解きがようやくひと段落する。
リビングのテーブルに並んだのは、出前の寿司と、父が張り切って買ってきた熊本名物の馬刺し。
「これ馬?初めてみた。 本当に食べるの?」
「最初は驚くけど、美味いんだぞ」
恐る恐る口にした月猫の表情が固まり、すぐに目を丸くする。
「美味しい。思ったよりさっぱりしてる」
「だろ?」
自然と笑い合い、気まずさの中にも少しだけ温かさが芽生えた。
段ボールの山に囲まれた新しい家。ここから始まる日常が、少しずつ「家族」という形に変わっていくのだろう。
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