18話「お買い物」
「白狼、今日の予定、覚えてる?」
夏休み初日の朝。
台所から聞こえたその声に、俺は寝ぼけた頭を軽く振って覚醒する。
「もちろん。ゆめタウン光の森だろ」
「……ならいいわ」
いつも通りクールな声のくせに、朝から髪を丁寧に整えて、うっすらピンクのリップまで塗ってる月猫
どう見ても“ちょっと買い物”の格好じゃない。
「……おしゃれだな」
「別に、普通よ。外に出るだけ」
「いや、普通じゃないと思うけど」
「……うるさい」
頬をほんのり染めて横を向く姿は、もう完全に“出かける前の彼女”だ。
俺はそんな彼女を見ながら、心の中でニヤリと笑った。
ゆめタウン光の森は、夏休み初日だけあって人が多い。
子ども連れ、カップル、友達同士――にぎやかな声とショッピングバッグの音が響く中、俺たちは人の流れに合わせて歩いていた。
「最初はどこ行く?」
「服を見たい。……白狼のも」
「俺の?」
「うん。センス、見てあげる」
「なんか上から目線だな」
「当然でしょ。私のほうがセンスあるし」
淡々とそう言いながら、月猫は俺の袖を軽く引っ張った。
その距離感は、以前よりも確実に近い。
ファッションフロアに入ると、クーラーの涼しさと香水の匂いが混ざって漂う。
月猫はすぐにレディースのコーナーへ。
俺はというと、待っている間、彼女の後ろ姿を眺めていた。
鏡の前で服を合わせる彼女は、いつもより少しだけ柔らかい表情をしている。
クールな印象が薄れ、どこか年相応の女の子に見えた。
「白狼、これどう?」
「似合ってる」
「即答ね。……ちゃんと見てる?」
「見てるって」
「ふーん……ならいいけど」
一瞬、月猫の口元がわずかに笑った気がした。
その小さな変化を見逃さないのが、最近の俺の得意技だ。
「次、メンズ見よっか」
「俺の服も見てくれるの?」
「仕方なくね」
そう言いながらも、彼女は俺の肩に軽く手を添えて、コーナーへと導く。
心臓が跳ねる。
こんな自然なスキンシップができるようになったのが、なんだか不思議だ。
「白狼は黒系が多いから、たまには明るい色もいいと思う」
「たとえば?」
「……白のシャツ。少しラフに着こなして、袖をまくって」
「なんか、妙に具体的だな」
「イメージあるの」
その“イメージ”とやらが、どうせ俺の姿なんだろうと思うと、頬が熱くなる。
月猫はそんな俺をチラリと見て、小さく笑った。
「顔、赤い」
「うるさい」
服選びを終えて、次はゲームセンターへ。
昼過ぎの店内は人が多く、明るい音楽と電子音が混ざって響いている。
「白狼、あれ取って」
「どれ?」
「このぬいぐるみ」
クレーンゲームを指さす月猫。
いつもクールなのに、こういうときだけ少し子どもっぽくなる。
「よし、見てろ」
俺は慎重にアームを操作し、ぬいぐるみを掴む。
……が、途中で落下。
「ふふっ」
「笑うな」
「かわいい」
「どっちが」
「……ぬいぐるみ」
ツンとした口調で笑うその顔が、もうずるい。
再挑戦してようやく取れたとき、月猫は小さく「ありがとう」と言って受け取った。
そして――ほんの一瞬、俺の指先に彼女の指が触れる。
「……」
「……」
無言。
だけど、その一瞬の沈黙が、まるで何かを伝えてくれるようだった。
その後は映画コーナーへ。
ポスターを眺めながら、月猫が言う。
「この恋愛映画、気になってた」
「意外だな。そういうの観るんだ」
「……興味はあるけど、一人じゃ行きにくいでしょ」
「じゃあ、一緒に行くか」
「いいの?」
「もちろん」
言葉に出した瞬間、彼女が少し驚いたように目を丸くした。
そして――ふっと笑う。
「……じゃあ、約束」
その小さな笑顔だけで、今日来てよかったと思える。
フードコートに移動して、昼食をとる。
テーブルを挟んで向かい合う。
月猫はサンドイッチを手に、時々俺の方を見て笑う。
「白狼って、食べるとき静かよね」
「うるさいな」
「ふふっ。悪口じゃないのに」
彼女の笑い声が、カフェよりも少し柔らかく響く。
こうやって外で笑い合えるようになったのが、なんだか夢みたいだ。
食後、雑貨店をぶらぶらしていたとき、月猫が小さなストラップを手に取った。
「これ、白狼に似てる」
「猫のキーホルダー?」
「クールで、気まぐれ」
「……褒めてる?」
「たぶん」
俺も負けじと反撃する。
「じゃあ、こっちは月猫に似てるな」
「え?」
「ウサギ。見た目おとなしいけど、意外と甘えん坊」
「……」
月猫は一瞬黙ってから、ストラップをそっと棚に戻した。
「……じゃあ、交換しよ。猫とウサギ」
「いいのか?」
「別に。記念よ」
レジを出たあと、月猫が小さく呟く。
「……今日、来てよかった」
夕方の光が店のガラスに反射して、彼女の横顔を淡く照らす。
その表情を見て、俺は確信する。
――この夏、きっと忘れられない日が続く。
ゆめタウンを出る頃には、空はオレンジ色に染まっていた。
駐車場を歩く二人。肩は触れないけれど、距離は近い。
時折、風が吹くたびに彼女の髪が揺れ、甘い香りがふわっと届く。
「白狼」
「ん?」
「次は……海、ね」
「おう」
「日焼け止め、忘れないで」
「母親かよ」
「義姉でしょ」
小さく、照れ隠しのように呟いたその言葉が、夏の夕風に溶けて消えた。




