指輪を外す婚約者
「お嬢様! その指輪は緊急時のみ外すのではございませんでしたか?」
王都のとある宝飾店の店内に、メイドの焦る声が響いた。
しかし、彼女は構わず、金の指輪を左手の薬指から外す。
その途端、黒く小さな竜巻が現れて消え、戦装束の魔法使いが一人現れた。
「ハニー、呼んだかい?」
「ダーリン、お仕事中ごめんなさい!」
「君の為なら、仕事なんてどうでもいいさ」
「嬉しい! あのね、こっちのネックレスと、あっちのネックレス、どっちが似合う?」
「うーん、そうだね。こっちの濃い色の宝石が使われてる方が似合うかな?」
「やっぱり! じゃあ、これにするわ」
「迷ったら、店ごと買ってもいいんだよ」
「ダメよ! 婚姻したら、そのうち、あ、赤ちゃんが生まれて物入りだもの」
彼女は真っ赤になって俯く。
「可愛いハニー、おまけにしっかり者だね。愛してるよ」
「わたしも!」
「名残惜しいけど、前線に戻るよ。いい子でね!」
「はい、いってらっしゃい、気を付けて」
再び黒い竜巻が魔法使いを包み、やがて消え去る。
「じゃあ、こっちをいただくわ」
「は、はい、畏まりました。
あの失礼ですが、今の方は、もしかして王立魔法師団の?」
「ええ、その筆頭よ。わたしの婚約者なの」
「さ、さようでございましたか」
応対していた店員は、彼が店ごと、と言った意味を理解した。
泣く子も黙る凄い魔法使いの彼なら、あり得ないとは言えなかろう。
二日後のこと、国境近くの魔獣討伐から帰還した魔法師団の筆頭は謁見の間にいた。
「報告書を読んだが、前線を一時離れたそうだな」
「はい、婚約者に呼び出されまして」
規則に触れたことを仄めかす国王の質問にも、彼は狼狽えない。
「呼び出された?」
「ええ、そのための宝飾品を預けておりますので」
「緊急の用事だったのか?」
何を当たり前のことをという表情で、彼は言い放つ。
「私の婚約者の用事は、いかなる国の大事より優先されるに決まっておりますが」
「き、決まっているのか……」
「そもそも、前線に何ら問題はございませんでしたでしょう?
だいたい、他の魔法使いも、そろそろ私に頼らず戦うべき時期です。
そう思って日々、彼等を鍛えているのですから」
「お前はまだ若いだろう?
まだまだ戦えるはずだ。
だいたい、前線から退いてどうするつもりだ?」
「婚約者と速やかに婚姻し、諸国漫遊の旅に出る予定ですが?」
「そんな勝手が許されるとでも?」
やや威圧的になる国王。
しかし、彼も負けてはいない。
「彼等が育ち切るのを待たず、今すぐ国を出てもいいのですよ?」
その言葉を聞いて、宰相と騎士団長が高速で首を横に振る。
少し冷静になった国王は質問を変えた。
「諸国漫遊とは夢があって結構だが、資金はあるのか?」
「お金なんて、何とでもなりましょう?」
彼は余裕気に微笑む。
国王は、その表情を見て、彼がなにがしかの不正を働いていると感じた。
しかし、宰相と騎士団長が再び高速で首を横に振っているので、突っ込むのを止めた。
そもそも、魔獣退治に出陣して何を何頭倒したかなど、正確には計れないものだ。
最初から首が三つある魔物もいれば、突然変異の個体が出てくることもある。
何を数えるかで結果は変わってしまう。
一番確実なのは一個体に一個の魔石を数えることだが、小さすぎて見落とされることもあれば、戦闘中に破壊されて見つからないことだってあるのだ。
もちろん、それを理解している者は、こっそりめぼしい魔石をポケットに隠すことを考える。
だが、戦場での余計な行動は命取りになりかねない。
真に強者であり、真に卑怯な者にしか出来ない手口であった。
そして、魔石は全世界で価値を認められている。
すなわち、外国へ持ち出して売ることも可能。
無限の収納空間を持っている彼が、魔石をくすねない理由は思い当たらないのだ。
まだ若く、正義感が勝る国王がこれ以上何か言い出さないうちに、と宰相が後を引き受けた。
「時に筆頭殿、その呼び出しの付与魔法は難しいものなのか?」
「いえ、十秒もあれば何にでも付けられますし、半永久的に機能します」
「……」
相変わらず規格外の彼に、宰相は今回も驚かされる。
しかし、思考を止めている場合では無い。
「君が転移できる距離の制限は?」
「ございません。どこからどこまで転移しても、たいして魔力も減りません」
「……」
宰相は頭をフル回転させる。
彼の意志を曲げさせず、その能力を王国のために活かしてもらうには。
「他の魔法使いが、君に頼らずに戦うべきだという意見には、私も賛成だ。
しかし、大量の魔獣発生が突然起こることもある。
そんな時には、君の力が必要なのだ」
「はぁ」
「しかし、こちらの都合だけで、君を縛り付けるのは本意ではない。
そこで、他の魔法使いだけではどうしても力不足な時に、パートタイムで前線に来てもらうことは出来ないだろうか?」
「パートタイム」
彼は考え込んだ。
宰相は固唾をのむ。
「……いいですね。一旦、魔法師団を退団して婚姻後、旅に出られる。
そして、そちらがどうしても困った時だけ助けに来る、と。
そうすれば、彼女といる時間が増えるし、仕事時間は減る。
ああ、どうして今まで思いつかなかったんでしょう!
宰相様は天才です! 是非、そうしましょう!」
「ああ……良かった、引き受けてくれて。
それで、報酬についてだが」
退団すれば給料は出ない。
報酬をどうするか決めねばならぬのだ。
「あ、それは結構です」
「報酬は要らないのか?」
「はい。その代わり、討伐対象の魔石を一割まで、懐に入れるのを見逃してください。
一割程度なら、同規模の討伐であれば今までと収支は変わらないはずです」
黒だ。こいつは今までも、一割前後はくすねていたのだ。
だが、今は見逃すしかない。
「わかった。その方向で契約を詰めよう」
「よろしくお願いします!」
半年後、王国魔法師団の筆頭が辞職した。
彼はすぐに愛しの婚約者と婚姻式を行い、諸国漫遊の旅に出た。
国に預けた呼び出しの魔法付与具によって時々魔獣討伐に駆り出されたが、彼にとってはほんの暇つぶしであり、気分転換だ。
十年をかけて、ゆっくりと世界を回った後、彼は妻と二人の子供を連れて生国に戻る。
その後、請われて魔法師団の顧問となったが、意外にも教育熱心だった妻に感化され、しっかりと後輩たちを導いた。
顧問の教育結果が出る頃、元宰相は自分の采配の結果にやっと満足し、ひどく安心したのである。
今夏の脳内BGMは「SUMMER SUSPICION」と「ふたりの夏物語」です。
というわけで、指輪を外すところから始まる話が書けないかなと思いまして、書いてみました。
歌ってみたり踊ってみたりは出来ませんが、書いてみるだけは出来る!