第九話 慰問
第九話 慰問
初夏、近年の夏の暑さは凄い。 毎年のように四十度を超える暑さになっている。
撫子もバテていた。
「暑い……エアコンが効いてないみたい……」
室内の温度を確認すると、三十一度。 これでもエアコンを付けていての温度になる。
“ピッ ” 撫子はエアコンの設定温度を下げる。
この日、カウンセリングの予約は入っていない。
暑さで外に出るのが嫌になったか、カウンセリング室は空いていた。
撫子は心理の本を読む。 いつでも勉強しようと心掛けている撫子は、気になる本を読みふけいっている。
そんな時、スマホの着信が鳴る。 相手は八田だった。
「先生、先日はお世話になりました」 撫子が礼を言うと、
「いえいえ、その……久坂さん、今度の日曜は空いていますか?」
突然、八田が撫子を誘う。
(まさかデート?……いや、そんな事ないか……)
八田は五十近く、まだ三十にもならない撫子は少しでも考えた事を恥じた。
「はい。 何かありましたか?」
「はい。 東京の少年院に慰問に行くのですが、ご一緒できないかと……」 八田が説明すると、
「はい。 よろしくお願いいたします」 そう言って電話を切った。
そして後日、八田との待ち合わせ場所に向かう。
「お待たせしました」 撫子は五分前に到着すると、八田はすでに来ていた。
「行きましょう」
そうして二人で少年院に向かう。
「本日はよろしくお願いいたします」 到着するや早々と職員に出迎えをされる。
「こちらこそ よろしくお願いします」 こうして中に入るのだが……
「なんか雰囲気いいですね~」 撫子が呑気な事を言っている。
ここは少年院である。 厳しく律する為に普通の環境とは違い、洗練された場所なので空気が違って当然だ。
撫子や八田が見物している時間が終わり、本来の目的に入る。
「では、ここに入っている方と面談していただきます。 では、こちらへ」
刑務官の言葉で、撫子と八田が面談室に入る。
緊張する時間である。
『コンコン』 「どうぞ」 八田が声を出すと、
「失礼します……」 一人の青年が面談室に入ってくる。
この青年は、吉田 英治という。
「吉田さん、お掛けください」 撫子が声を掛けると、吉田は座る。
「では、ここの入院についてお伺いします。 どんな事で、こちらに来るようになりましたか?」 八田が聞くと、吉田は淡々と答え始める。
撫子がメモを取り、後に分析や追加の話しをする係になっていた。
八田や吉田の表情を見ながらメモを取っていくと、
「私からも、よろしいでしょうか?」 八田の質問が終わり、沈黙が流れ始めたところで撫子が手を挙げる。
「はい」 吉田が返事をすると、
「今の暮らしはどうですか? また普段の生活に戻りたいですか?」
撫子の質問はシンプルだ。
「まぁ、普通ですね」 吉田からの返事もシンプルだった。
吉田は十七歳の青年だ。 まだ少年とも言える。 だが、この少年院に入った理由は「強盗」である。
この生き方になる前、どんな岐路があったのか…… 撫子は興味が沸いていた。
そして撫子が続ける。
「現在の満足度について、教えてください。 一番上が満足。 二に想定通り。 三に不満足です。 どこに該当しますか?」
吉田は答えられなかった。
「ありがとうございます」 撫子の質問が終わった。
その後、八田はステージ上で講演をして少年院の慰問が終了する。
「久坂さん、お疲れ様でした」 八田が言うと、
「こちらこそ、ありがとうございました。 かなり勉強になりました」
撫子が頭を下げていると、
「少し、お聞きしたいのですが……」 八田が言い始める。
「はい。 どうかされました?」 撫子がキョトンとする。
「はい。 吉田さんの面談ですが、どうして満足かを聞いたのです?」
八田が聞くと、
「これは満足指数を聞いて、自分の犯した罪を理解しているのかを探りました。 しかし、吉田さんから不満足というものを感じられませんでした…… これは、まだ自分を客観視できていないのかな~と思いまして……」
「なるほどですね……」 八田は満足そうだった。
教えていた子が立派になっていたことが嬉しかったようだ。
「今日、私も久坂さんに感謝しなきゃです。 初心に帰ったような気持ちになりましたよ~」
「いえいえ……」 ただただ恐縮する撫子であった。
その後、撫子は犯罪心理学という本を読む。
「……なかなか難しいぞ……」 そしてページをめくる。
(この思考は……) 撫子が興味を持ち、本に付箋を貼る。
そこに書いてあったのは、
“アノミー論 ”である。
これは夢や目標に対し、現実とのギャップである。
その言葉を詳しく読んでいくと、
「あれ? 十時……?」 遅い時間まで本を読み倒した撫子は帰る時間を忘れていた。
そして慌てて帰る用意をすると、飛び出すように帰宅していく。
翌日、事務所に出勤すると
「うげっ! クーラー付けっぱなし……」 頭を抱える撫子は、
諦めてコーヒーを飲んでいた。
後に、八田から連絡が入り、
「またお願いできますか?」 こんな内容だった。
(しかし、病院なら もっと居るだろうに……)
撫子は思ってしまった。
そんな時、同期だった小坂から電話が入る。
「由奈~ どうしたの?」 撫子は、最初の言葉で雰囲気の違いに気づく。
「ナデシコ~」 由奈の声は泣きそうだった。
事情を聞くと、由奈も犯罪心理学で詰まっている状態だった。
「これは……プロファイリングなどを参照してみたら?」 撫子のアドバイスを受け、由奈は気を取り直したが
「勉強、付き合って~」 由奈の言葉に、撫子は思わず
「あははは……」 笑うしかなかった。
(どうやって時間を作るのよ~)
その後、カウンセリングが空いた時間に本を読み進める。
大学院時代に聞いたことのある単語はある。 しかし、普通のカウンセラーをしている撫子の頭には残っていなかった。
そんな時、新規でのクライアントから連絡が入る。
予約を受け、日程の調整をすると
『ピンポーン』と、チャイムが鳴る。
慌てて玄関に向かうと、クライアントが来ていた。
「今日はよろしくお願いします」
「えと、はい。 どうぞ」 カウンセリング室まで案内をする。
「こちらが問診票になります。 できるだけ埋めて頂けると助かります」
そう言って、撫子はクライアントが書いている姿を見て把握していく。
「出来ました」 クライアントが書いた紙を撫子に戻すと、
「相談なんですが……」 いきなり相談を出してくる。
「す、すみません― お名前から確認させてもらってからでもいいですか? 時間には入りませんので」 撫子が説明をすると、クライアントは待ってくれた。
「お名前は、梶さん。 梶 美恵子さんでよろしいですか?」
「はい。 そうです」 梶が答えると、カウンセリングがスタートとなる。
「では、よろしくお願いいたします」 撫子が頭を下げる。
「早速ですが……」 梶が話し出す。
(気が早い…… 何か焦っているのかな?) そんな気がしてならない撫子であるが、
「先日、息子のカウンセリングを担当してくれた方ですよね?」
梶が言い出すと、
「えっ? っと……」 撫子は、今までのクライアントの中から『梶』と言う苗字を思い出すが、出てこない。
「すみません。 私の勘違いなら申し訳ないのですが、梶様というクライアント様は記憶していなくて……」 撫子は申し訳ない顔をする。
「そうですよね……苗字が違いますから」 梶は笑顔を出す。
「???」 撫子は困っていた。 (誰の母親だ?)
「すみません。 吉田 英治の母です。 少年院でお世話になったそうで」
「あっ! 吉田さんのお母様ですか。 この度は、お世話になりました」
撫子が頭を下げる。
(よかった……早々と名乗ってくれて) ホッとしていた。
「それで、息子はどうでしょうか?」
「どうって? それは、どういう意味でしょうか?」 撫子が聞くと
「どんな言葉を交わしたとか、反省しているのか……そんな事が気がかりでして」
梶は事件後に夫と離婚し、別の姓を名乗っていた。
「すみません。 何故ここに?」 撫子は気になっていた。
(慰問を公表している訳でもないのに、何故に私が担当したのを知っているんだろう? 吉田さんの手紙で書いてあったかな?)
「すみません。 突然、押しかけて このような事を聞いてしまって……」
「いえ……」 何故か恐縮してしまう撫子である。
「それで、息子はどうでした?」 梶は前のめりに聞いてくるが、
「すみません…… これはお答え出来ないのです」 キッパリ断る。
これは家族間であっても守秘義務がある。
「なんで? 息子の事ですよ? 親なら聞いてもいいんじゃないですか?」
梶の語気が強まると
「申し訳ありません。 これは守秘義務がありまして、主導は担当医になります。 私はアシスタントとして伺っただけですので、お答えはちょっと…… あと、親なら知る事が……と仰いましたが、その権利は無いんです。 大変、失礼を承知でお話しさせていただきました」 撫子の毅然とした態度で、梶は何も言えなくなってしまった。
その後、撫子は八田に電話を掛ける。
「すみません。 八田先生、梶さんと言う方がお見えになって……」
「あ~ 行っちゃいましたか…… 遠いから大丈夫だと思ったんだけどな~」
八田は笑いながら話している。
「先生……?」 撫子は目が点になる。
「いや~ しつこく来たから、大丈夫だよな~って思って久坂さんの所を話しちゃったんだ~」 八田は変わらず、笑って話していた。
(やられた……)
撫子は、小さな被害者になってしまった。
「もう……辞めてくださいよね!」 撫子は電話を切った後、少し笑顔になる。
「先生は、私だから話したんだろうな…… 経験させようと」 そう呟く。
そんな信頼関係が見えてくると、撫子は元気になっていく。
新たな経験、慰問から見えた心理学の未来を確かめるように反芻していくのだった。