第五話 帰省
第五話 帰省
少しながらもクライアントが増えていく撫子が悩んでいた
「う~ん…… 悩むな」
撫子は、コーヒーを飲みながら独り言を繰り返す。
四月の後半、世間はゴールデンウィークに入ろうとしていた。
「何年、実家に帰ってないんだっけ?」 撫子はカレンダーを見ている。
「今年、行くか」 撫子が予約表をみながら日程を決めると、表情が明るくなる。
撫子の実家は山口県の萩市。 なかなか帰れるものではなかった。
大学時代から帰省をしていなかった撫子が、八年ぶりの帰省を決めた。
コピー用紙に『カウンセリングのお休み』を書く。 それを玄関の外に貼っていく。 実にアナログな『てのひら』である。
そしてゴールデンウィークになり、飛行機で帰省した。
飛行場までは両親が迎えに来てくれている。
「ナデシコ~」 母親が手を振る。
彼女の名前は、久坂 藤子。 五十歳になる。
「お母さん、ありがと~♪」 久しぶりに会う親子は笑顔だ。
「元気だった?」 撫子は母との再会に会話が弾む。
「ゆっくりしていけるの?」 藤子の言葉に、「う~ん……」 撫子の表情が暗くなる。
「忙しいんだね……でも、貴女を必要としている人が多い証拠よ。 お母さん、嬉しいわ」 藤子は、運転しながら笑顔を出している。
「そうそう、コッチで変わったことはなかった?」 話しを変えるように、撫子が聞くと
「緑ちゃんくらいかな……」 藤子が言う。
「緑? なんかあったの?」
藤子は運転しながら緑のことを話し始めた。
緑とは、撫子の同級生である。
「緑ちゃん、進学のことで両親と喧嘩になって家を飛び出したのよ~。 それから捜索願を出されて問題になってたみたいなの…… それから見つかったらしいけど、鬱状態なんだって」 藤子が言うと
「お母さん、緑の家までお願いできる?」
「今から? あんた、今来たばっかり……」
「おねがい……」 撫子のお願いとなり、藤子は緑の家まで送っていった。
「帰りは大丈夫よね? あんまり遅くならないように」
藤子が車を走らせると、撫子は手を振った。
“ピンポーン ” チャイムを鳴らすと、緑の母親が出てくる。
「あら、ナデシコちゃん……久しぶりね」
緑の母親である、陽子が言う。
「あの……緑に会えますか?」 撫子が聞くと、陽子の顔色が曇る。
「あの……緑に何か用事?」 陽子が撫子に聞くと、
「さっき、母親に聞きました。 緑、大丈夫でしょうか? 一応、心理カウンセラーをやっていまして、出来れば会いたいのですが……」 撫子が言うと、
困った顔をしながらも陽子は家の中に入れてくれた。
“コンコン ” 「緑? ナデシコちゃんが来てくれたわよ~」 陽子は明るい声で言っていたが、
(これは表向きの声だ……) ナデシコの直感が冴える。
「お久しぶり、緑……」 撫子が緑のお部屋に入る。
「ナデシコ……?」 緑が小さな声を出す。
「そうよ! 久坂 ナデシコ……」 撫子が両手で緑の手を握ると
「いやーっ」 緑は、悲鳴をあげながら両手を引っ込めた。
(この反応……) 撫子は、見れる限りの姿を確認する。
(これはパジャマのまま……昼だぞ……それにボタンも掛け違えている)
撫子は、細かくチェックを始める。
「緑……話し、聞くよ」 撫子が言うと、緑は虚ろな目で話し始めた。
緑が高校から大学に上がる頃、親に夢を語った時だった。
「私、看護師になりたくない……それと、ここから出て都会に行きたいの」
こんな事が最初だった。 それから親が将来について口を出す機会が増えていく。
すれ違う意見に緑の心が疲弊し、やがて家を飛び出して行ったということ。
そして、捜索願を出されて保護されてからは家に閉じ込められたということだ。
「緑、メアドかラインを教えてくれる?」 撫子が言うと、緑が首を振る。
(嫌だったか……) 「ごめんね。 連絡はしないようにするね……」
撫子が言うと
「違う……ないの……」
「何が無いの?」 撫子が不思議そうな顔をすると
「スマホ……無いの」 緑が細い声で言った。
(この時代にスマホが無い? まさか、親が情報を遮断している?)
撫子は、母親の陽子の顔を思い出していた。
「ごめん、緑……おばさんと話させて……」 そう言って撫子は緑の部屋から出て、一階にいる陽子に話をしに来た。
「すみません……差し出がましいのですが……」 撫子が切り出す。
「はい? 何かしら?」
「すみません。 緑、スマホを持っていなくて連絡が難しいようなのですが」
「そうね。 緑は病んでいるようだし、なるべく外部からの刺激を避けているのよ……」 陽子は、あっけらかんとした態度で話している。
(そうだった……悪く言いたくはないが、性質的に閉鎖気味だった……)
山口県……日本で一番、総理大臣を輩出している県であり、他所の人から見ると頑固者のイメージがある。 もちろん、そうでないかもしれないが優秀な所だからこそ見える部分があるようだ。
(これは時代のせいかな? 確か長州の人って一途に物を考えるかも……)
そんな事まで考えてしまう撫子であった。
「ただ、ある程度の情報も必要だと思うのですが……」
「新聞もあるわよ」 こう返ってきてしまう始末。
「ありがとうございます」 撫子は、緑の部屋に戻り、今後の希望などを聞いていた。
「特にないかな……」 緑は笑顔で言っていた。
撫子が緑の家を出てから寂しい気持ちになっていた。
(緑、大丈夫かな……?)
撫子は実家に戻り、家族で夕飯を食べている。
「それで、カウンセラーってのは大変なんだろ?」 そう言いだしたのは、父親の大志である。
「まぁ、大変だけど 元気になってもらいたいからね~」
そんな会話をしていると、母親の藤子が
「なんか、お医者さんみたいな口調ね」 笑いながら言う。
「医者だったら、本当に大変よ~。 私なんかじゃ、とても とても……」 そう言って食事をパクパク食べていく。
「そうだ、明日はお墓参りに行きましょう」 藤子が言って決まる。
そして翌日。
撫子は家族と一緒に墓参りに来ていた。
両手を合わせ、墓前に線香に火をつける。
「そういえば撫子……先祖の墓で、もう一つの墓があるんだが……」 大志が言うと
「他に先祖の墓なんてあるの? 知らなかったんだけど」 撫子が言う。
「行ってみるか?」 「うん」 そんな会話から、車で少し行った墓所に来る。
「誰? 久坂 玄瑞? 誰?」 撫子は首を傾げる。
「玄瑞って人は、昔の長州藩の兵士でね……医師でもあったそうだよ」
大志は昔に聞いた話をする。
久坂 玄瑞……長州藩の尊王攘夷派の主流だった人物。 藩医師でもありながらも松下村塾の門を叩き、吉田松陰から「松門四天王」と言われる逸材であった。
「そんな凄い人の家系だったんだ~」 撫子は目を丸くしていた。
「せっかくだから、お前も医師になれば良かったな~」 大志は笑いながら言うと、
「そんな脳みそを持ち合わせていませんでした~」 と、笑って話す撫子であった。
撫子は、実家に戻ってから歴史の本を読んでいた。
勿論、先祖である 久坂 玄瑞の本である。
(こんな人だったんだ……)
そんな時、撫子のスマホに着信音が鳴る。
「もしもし、久坂ですが……」
電話の相手は 緑の母の陽子であった。
「どうかされました?」 撫子が聞くと
「えっ?―」 撫子は驚いていた。
「お母さん、ちょっと出かけてきます」 撫子が藤子に言うと、走って家を出ていく。
しばらくして撫子が緑の家に到着すると
「こんばんは。 緑は……?」 慌てる撫子を見て、
「今、病院に行きました」 陽子の顔が青ざめていた。
「すみません、話していただけますか?」 撫子は姿勢を正し、陽子に向かい合って座っていると
「私たちがいけなかったのですね……」 陽子の目から涙が流れる。
「私は、いつか形になってしまうのではないかと心配していました」
撫子の目が厳しくなる。
「何がいけなかったのかしら……?」
「まだ気づきませんか?」 撫子は口調まで厳しくなっていく。
「それは……?」 陽子は気づいていなかったのだ。
「人は抑圧されると精神に異常をきたします。 そして異常を感じた精神は逃げ道を探すのです。 これも、この事態も恐らく……」
撫子が言うのには理由がある。
陽子から受けた電話は、緑が自殺未遂を起こしたからだ。
自室のドアにタオルを掛けて行ったとの事である。
そして、この一件に両親が不思議そうにしている事が許せなかった。
(何故、そんな顔をしているの? 解らないの? 緑のSOSを気づいてあげれなかったの?) 撫子は、昨日の様子を伝えてあげなかった事を悔いていた。
「おばさん……本当に解らなかったのですか?」
撫子は、悔しそうな顔で陽子に聞く。
「解らないわよ……だって、あの子は何も言わないし……」
「そうですか……なら、仕方ありませんね……」 撫子は落胆している。
「仮に、緑が退院したら……どんな風にしてあげたいですか?」
「そりゃ、今まで通りに普通に暮らしていけるように……」 陽子の話しの途中で撫子が口を挟む。
「今まで通り? 緑は苦しそうでした。 どうして、そんな事が言えるのですか? 緑は自分の意思で看護師にはなりたくないと言っていたじゃないですか。 それに反対し、現代では必須になっているスマホも与えずに 何が普通なのでしょうか?」 撫子の目に、溜めていた涙が溢れてくる。
「それは……」 陽子は下を向く。
「それぞれの家庭にルールや方針はあります。 でも、明らかに緑は苦しんでいました。 何故、緑の意見を聞いてあげなかったのですか?」
撫子は、自分のズボンを握りしめている。
「そんな……私たちはただ緑の為って……」
「引きこもりになっているのが、緑の為でしょうか?」 撫子は引かずに話す。
「明日、緑の病院に行かせてください」 撫子が言うと、陽子は黙って頷いた。
自宅に戻った撫子は、両親に緑の一件を話した。
「せっかく帰ってきたのに、貴女も忙しいわね…… これも因果なのかしらね……」 藤子が言うと、風呂場に向かっていった。
あらためて撫子は 久坂 玄瑞の本を読む。
医師と藩士の宿命……
そして、友達とカウンセラーである撫子の宿命が被って見えた夜であった。