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第四十六話 生きるという証

 第四十六話    生きるというあかし



 「よろしくお願いいたします」 撫子が頭を下げ、カウンセリングが始まる。



 この日のクライアントは 大崎おおさき いずみ 16歳。

 大崎は、母親と一緒にカウンセリングに来ていた。


 小坂は休日で、予約がなかった日。 撫子が一人で外来を受けていた。  



 撫子が問診表を読みながら進めていくと

 「ここに、『自分を見つめ直したい』と書いてありますが……」 撫子がチラッと泉をみる。



 「そうですね。 今までと違う道を歩んでもらいたいと思いまして……」

 これを言ったのは母親の美咲である。


 「そうですね。分かりましたが……それはお母様の願望ですよね?」

 撫子は、真っ先に言ってしまう。


 「いえ、その方が泉にとっても良いと思いますし……」

 「そうですね。 ただ……始めに申し上げますが、カウンセリングを受けたからと言っても改善しない場合があります」



 「それは、どんな事でしょうか?」


 「それは、本人様が望んでいないことが一番です。 カウンセラーとクライアントが心を通わせて前に進んで効果を発揮します。 私やお母様が頑張っても、泉様が心を通わせてくれないと始まりません……」


 撫子が説明をすると、美咲は黙ってしまう。 今までにも、親と一緒にカウンセリングに来るのは珍しくもない。 しかし親が望むものであって、実際に子が望んでいるものばかりではない。



 撫子と美咲に間に、早くも溝が出来てしまった。



 撫子は、チラッと泉を見る。 そこには呆然としている顔があった。


 「これが、カウンセリングを始めるにあたっての注意書きになります」

 撫子がプリントを出す。 ここには撫子が滅多に出さないプリントがあった。



 『自傷や、他者に対しての暴行は警察に通報義務があります。 見受けられた場合は、通報いたします』 『違法薬物や、薬の過剰摂取などが見受けられた及び、疑いのある方は警察や消防署に連絡いたします』 などが書かれたものだ。



 「ご署名、お願いいたします」 撫子が紙を差し出し、頭を下げると

 「わかりました」 美咲は、黙って自身の名前と泉の名前を書く。



 「では、あらためて。 よろしくお願いいたします」 撫子が頭を下げると、その瞬間に泉の腕を掴む。


 「何を?」 驚く美咲に、撫子は泉の袖をまくる。



 「これを見つけました。 それなので署名をいただきました」 撫子の目が鋭くなる。


 黙ってしまう美咲に、「この目も、おそらくODじゃないですか?」

 OD……オーバードーズ。 薬物などを多量に飲んでしまい、幻覚や快楽などを求めてしまうこと。



 「騒ぎになる前に、ここで改善させようと思ったのですね」 撫子が美咲を見ると、

 「すみません……」美咲は涙ぐむ。


 「私自身、騒ぎにするのも好きではないので黙っていようかと思いましたが、これは看過できないと思いますが……」


 「すみません……このまま見逃してくれませんか?」 美咲の訴えに、

 「まず、治療が先だと思いませんか?」 撫子が優しく話しかける。



 美咲は涙を流して頷くと、撫子は救急隊を要請した。



 「仕方ない……人命が優先だ」

 結局、売り上げにならなかった後悔もあるが撫子は満足した様子だった。


 翌日、小坂が先に出社している。 


 「おはよ~♪ 由奈、早いね~」

 「昨日は休みだったしね。 ゆっくり出来たからさ」 小坂の機嫌が良かった。



 「変わったこと、なかった?」 小坂が聞くと、

 「外来で一件。 ODと自傷だったから、救急を呼んだの……」



 「最近、多いとか聞くよね……」 小坂も耳にしていたようだ。

 近年、ODなどの件数が増えている。 東京消防庁の統計で見ると、毎年増えている傾向にある。


 「中には80代の人もいるとか……」

 「それって飲んだ事を忘れて、また飲んだりとか?」


 年代で見ると、若年層が多いのが現実である。


 その後、警察から『てのひら』には感謝状がやってきた。



 「ふぅ……」 撫子は、若年層の自傷やODを調べていた。

 「意外にも多いのね……」 横で同じ記事を見ている小坂が呟くと


 「これから、そんな相談などが来るのかもね~」



 近年、若者の自傷行為で病院に来ている者も多くなっている。

 しかし、これは『死にたい』からではなく、『生きたい』という矛盾したSOSなのである。



 そのひとつ、『リストカット』がある。

 それをする当事者は、「自分は頭がおかしくなったのか」「なぜ、こんな事をしてしまうのか」 などと強い自己否定にさいなまれてしまったりする。



 しかし、リストカットには明確な心理的・生理学的な理由が存在する。


 (それは弱さじゃない……過酷な現実を生きている証でもある。 そこから必死に抵抗しようとした自己防衛だ……洞口くんの発話抑制も同じ……)



 撫子は心理の本を読み進める。


 普通、リストカットをすれば “自殺未遂や、死にたがっている ” などと思われがちだが、心理士は違った見方をしたりする。


 これは「死にたい」よりも、「今が辛い。辛さを消して、なんとか生きたい」というSOSとして見ている。 撫子も同様だ。



 つまり “心の痛みを、身体の痛みとして置き換える”ことなのだ。

 身体を傷つけて、実は心の崩壊を防ぐと言ってもいいだろう。


 それから撫子は美咲に連絡をし、泉の病院へ向かった。


 当然ながら、「関係の無い方は面会できません」と、言われてしまう。

 撫子は諦めて『てのひら』に戻っていく。



 「由奈、リストカットの案件とか扱ったことある?」 撫子が聞くと、

 「何よ? その気弱な声は……」 小坂が驚く。



 「この前の泉さんの件なの。 親って、気づかなかったり 見過ごしたりするものなのね……」 



 撫子は、親子関係に複雑さと心のSOSに考えこんでいく。


 翌日、撫子は美咲を呼んで話をしていく。

 「まず、泉さんが切った理由を教えてもらっていいですか?」


 それから美咲が話し始めると、

 「どうしてそこまで知っているのですか?」 撫子は、話の途中でストップをかける。


 それは、泉もリストカットの理由もODの理由も話したからだ。

 (普通、親なら止めるだろう……)



 「そこまで知っていて力になれなかったのは、どうしてですか?」

 撫子が驚く。 隣にいた小坂も驚くほどだ。



 黙って撫子が美咲を見つめていると

 「失礼します」 撫子が美咲の腕をまくる。


 「あっ―」 美咲が声をあげると、そこには無数の傷跡があった。


 「すみません……」 謝る美咲に言葉を失ってしまう。



 「これも遺伝なのでしょうか……」 弱い言葉で美咲が震えていると


 「わかりませんが、もしかすると遺伝かもしれません」



 リストカットをすると心が軽くなったり、頭の中のモヤモヤが晴れたりする人もいる。 これには科学的根拠がある。



 人間の脳は、傷つくと痛みを和らげようとする『エンドルフィン』や『エンケファリン』といった神経伝達物質を分泌する。


 これらは脳内麻薬とも呼ばれ、強力な鎮痛作用と同時に一時的な安らぎと多幸感をもたらす働きがある。


 つまり、リストカットをした瞬間に落ち着きをもたらしてしまう。

 弱いから切ってしまうのではなく、痛みを加えれば楽になれることの回路を知ってしまうことでもあるのだ。


 しかし、この効果は一時的なものであり、時間が経てば消滅してしまう。

 こうして再び脳内物質の分泌を求めてリストカットを繰り返してしまうものである。



 (困ったな…… 親子で味を占めているとなると……)

 撫子と小坂は困った顔をしている。


 これには心理が大きく関わっているものである。 二人は経験から、美咲が当てはまることを探し出していく。



 リストカットの多くは10代が圧倒的だ。

 「見捨てられ不安」と「愛着」というキーワードが出てくる。


 幼少期からの親子関係や、重要な他者関係において「自分は無条件で愛されている」という安心感に育まれていない場合は強烈な不安感や孤独感から見捨てられ不安を抱くようになる。


 『誰かに気づいてほしい』『心配してほしい』という気持ちと『迷惑かけたくない』『どうせ分かってもらえない』という諦めが葛藤し、言葉にならないSOSがリストカットという選択をしてしまうことがある。



 これを『かまってちゃん』という言葉で卑下する者もいるが、人間として根源的な『繋がり』を求めているサインでもあるのだ。



 しかし、自傷を求める時間というのが15分から30分程度と言われ、そのピークを過ぎると落ち着いてくる傾向もある。



 「きっと、美咲さんも他者との繋がりを求めていたんでしょうね……」

 撫子は、美咲がどうしたら落ち着いてくれるかを考えていく。


 「病院で実験をしたことがあるんだけどさ……」 小坂が例を出していく。


 【刺激置換法】 ・手首に輪ゴムを巻き、「パチン」と引っ張り当てる方法。 痛覚に訴え、脳の刺激として伝わる。 傷跡も残らないし、場所を選ばず出来る方法である。


 ・また、氷を握る方法もある。 氷の冷たさは痛覚に近い刺激であり、強く握っていくと、手は赤くなるが、身体の組織を壊さずに済む方法である。



 【感覚発散法】 ・不要な雑誌や新聞紙をビリビリに破いたりすること。 お風呂場で大声で歌ったりするのも良い。


 ・視覚的な代替えもある。 手首に赤いペンで色をつけるのも効果的だ。 視覚的な満足もあり、洗えば癒えたと満足もあるだろう。



 【鎮静呼吸法】 ・4秒吸って、7秒止めて、8秒吐き出す方法。 パニック状態の時は呼吸が速くなっている。 強制的に呼吸をコントロールし、副交感神経を優位にして身体をリラックスモードへ切り替えをする。



 こう言った代替え方法を利用していく場合もある。



 後に、美咲に話すと

 「そんなことで出来るのですか?」 やはり素直には受けてもらえなかったが、


 「30分、教えてもらった事を実践したら落ち着くようになりました」

 そうして美咲は落ち着いていった。



 こういう方法を知った撫子は、仕事の幅を増やしていく。

 小坂の病院での実績が『てのひら』を盛り上げていくのであった。



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