第四十五話 発話トレーニング
第四十五話 発話トレーニング
撫子は、母親にトレーニングの説明をしていく。
1 【いきなり本音を言わなくてもOK。短い主張から始める】 これは、「はい」「いいえ」からでも始められるスタートである。 そして「私は~と、思います」 までが言えるようになっていく。
2 【発言前に「最悪の想定」を書き換える】 扁桃体が暴走すると、「もし、否定されたら?」という最悪のシナリオが出来上がってしまう。 これを「もし、否定されても死にはしない」という現実の安全性を知ることである。
3 【言えなかった自分を責めない】 発話抑制は脳の自動反応である。 責めれば責めるほど、扁桃体が敏感になって、さらに言えなくなってしまう。
4 【安全な関係で練習する】 友人、家族など安心できる相手と否定されにくい会話をしていくこと。 そして、本音を少しずつ言えるようにしていき「言っても大丈夫だった」という成功体験を積み重ねていく。
5 【書く→話す の順にすると言いやすくなる】 メモ、チャット、メールなどを用いて文字を整理していく。
「このような段階でトレーニングをしていきたいと思います」 撫子は紙に書いて説明をしていく。
母親は、紙を見ると安心したような表情を見せる。
洞口自身にも笑顔がこぼれていた。
「さっそく始めたいと思いますが、洞口くんは準備できてる?」 撫子が聞くと、洞口が頷く。 これは簡単なYES・NOから始まるトレーニングだ。
これも心理カウンセリングとして、クライアントの意思決定を聞く作業のひとつである。
「今日は何時に起きましたか?」 「7時……」
「朝ご飯は何を食べましたか?」 「ご飯と味噌汁と納豆……」
「いいですね♪ この調子でいきましょう」
このようにして、考えなくて済む会話から始まっていく。
洞口は週2回のトレーニングを重ねていく。
その横では小坂もカウンセリングが始まろうとしていた。
「こんにちは。 今日は暖かいですね。 お掛けくださいね」
クライアントが話すと、小坂も笑顔で応対する。 ここまでは普通なのだが……
「どうしたの? 洞口くん……」 撫子が洞口の顔を覗き込むと、
キョロキョロとする洞口に
(なるほど……周囲の声か)
「洞口くん。 誰かがいると気になる?」
洞口は、黙ったまま下を向くと
「考えなくていいから、そのまま聞いてね。 これは貴方にとって最高の練習だと思うわ」 撫子が微笑むと、洞口は顔を上げる。
「よし、紙に書こう。 今、どんな風に思っているか書いてみようよ」
撫子がコピー用紙を差し出すと、洞口はペンを持つ。
(ほう……) 撫子は洞口のペンの動きに注目する。
「書き終えたら、「出来ました」と言ってね」 そう言って、撫子が席を立つ。
そのまま裏に姿を消してから、遠目で洞口の様子を伺っていく。
撫子が席を立ったのは、洞口が躊躇せずにペンを握ったからだ。 意欲を消さない様に席を立ったのだ。
少しすると、「で 出来ました……」と、声がする。
「洞口くん…… いい声だったよ」 撫子は笑顔で誉めていると、洞口は照れたように笑顔になる。
そして洞口が書いた紙を見ると……
(まだグチャグチャか……)
それからも発話トレーニングは続いていく。 撫子が世間話をすると、洞口は端的ではあるが返事をする。
それから数週間、洞口に変化が出てきた。
「先生……この前に書いたものです」
「洞口くん……しっかりと話せてる」 撫子は驚きで目を見開く。
「紙に書いたものを読み返すように練習しました。 そうしたら、変だな……と思うようになりました」
文字にしたら、長文になってしまうような事でも話すようになっていた。
「やった……」 撫子は嬉しさで、洞口の手を両手で握ると
「なんか恥ずかしいですよ」 洞口の顔が赤くなる。
「お母さんには話した?」 「いえ、まだです」
「次回、一緒にどうかしら?」
こうして翌週、洞口は母親と一緒に来たのだが……
(また戻っている……) 撫子は不思議に思っていた。
「また話せなくなったの? どうしてかしら?」 母親が洞口を見ると、洞口の様子を見ていた撫子が口を挟む。
「あの……いつも、そのように息子さんを見るのですか?」
「普段通りですが、どうかしました?」 母親はキョトンとする。
「洞口くん、一回もお母様の顔を見ませんので……」 撫子が言うと、全員が無言になる。
この無言の時間に撫子が決心する。
「由奈、時間あるかしら?」
「はい。 三時まで大丈夫です」
「洞口くんのお母さん、CBTをお願いします」
「では、お母様は隣のブースへどうぞ」 撫子は立ち上がり、小坂のブースへ案内する。
「今回はサンプルですので、料金が掛かることはありませんので……」 撫子が言い残し、自分のブースへ戻っていく。
「洞口くん、これで安心できると思うわ。 最初に叱られたのはお母さんね?」
洞口は驚きながらも、小さく頷いた。
後に、CBTを済ませた小坂がデータを持ってくると
「ふぅ……」 撫子が肩を落とす。
撫子は、母親を自分のブースに戻して説明をする。
「洞口くんの発話抑制について、お話をします。 結論から言いますと、お母様に行き着きます……」
撫子が話しだすと、母親は目を丸くする。
「なんでよ! この子が話せないのが私のせいだと言うの?」 母親が憤ると、
「見てわかりませんか? 洞口君、怯えていますよ」 撫子が洞口を見る。
「あんた……」 母親の目つきが変わっていく。
「きっと、お子さんに相当なプレッシャーをかけていませんか?」
「プレッシャー? 期待をするのがプレッシャーだと言うの?」
母親はムキになって撫子を睨む。
「いいえ、そんな事はありませんが……」 そこで撫子はチラッと見ると、そこには怯えるように下を向く洞口がいた。
「お母様…… お気持ちは解りますが、気を楽にさせてはどうかと……」
撫子がなだめるが、母親は感情的になってしまう。
「気を楽に? この子、そんなに気を張っているようには見えないけど……」
「いえ、気を楽にするのは お母様の方です」 撫子は、毅然たる態度で母親を見る。
そこで小坂が “スッ―” と、CBTの結果を置く。
撫子が目を通し、母親に見せる。
「ご説明します」
洞口 愛子 51歳。 洞口 等弥の母親である。
「ここには洞口さんが二人いらっしゃいますので、下の名前で呼ばせてもらいますね」
「愛子様のCBTの結果です。 CBTと言うのは行動認知療法というものです。 ここから冷静になって見てみましょう」
すると、『認知』『感情』といったものが多く、『行動』『身体』の方の主張が少なかった。
「これは、自身へのアプローチが少なく、他人への関心が強く出ているようです。 そこから探っていきましょう」
「ここに書いてある通り、等弥さんには期待されているようですね」 撫子の問いには 「当然」と言い切る。
期待が大きいほど、子供にはプレッシャーが掛かってしまう。 これは『教育ママ』と言われる人と子供の関係に酷似している。
しかし、圧力を感じる子供は脳が萎縮してしまい吸収力が低下してしまう。
さんざん勉強をしても、緊張やプレッシャーの中では実力が発揮できない傾向にあるのだ。
それで、イマイチな成績で終わってしまい、また新たな圧力を掛けられる事により逃げ場を探すか、精神に異常をきたしてしまうのだ。
「ここからは、等弥さんではなく愛子様を見たいと思います」
撫子の言葉に、愛子は黙ってしまう。
(なんか、緑の母親のようだ……)
それから愛子は、撫子とカウンセリングを進めていく。
お互いに週2回のカウンセリング。 徐々に効果は出てきた。
愛子は、友人の子供が優秀に見えていたようだ。 その時、不思議と自分を重ねてしまうことは珍しくもない。
“幸せになって欲しい ” から “優秀な子になって欲しい ” と、脳の中で自動変換されてしまったようだ。
これは、他人と自分を重ね合わせてしまう『同一化』という心理である。
しかし、『他人は他人。 自分は自分』ということも知っていかなくてはならない。
こうして親子は、“自分らしさ ”を取り戻す為にトレーニングをしていく。
憧れもあるだろうが、しっかりと自分の足で歩いていける所を見つけて欲しいと思う撫子であった。




