第四話 ハリネズミ
第四話 ハリネズミ
「こんにちは……」 撫子の職場はアパートだけではない。
定期的に訪問のカウンセリングも行っている。
「こんにちは、お待ちしておりました。 さっ、どうぞ」
こうして撫子を家に入れたのが、杉本 明美である。
杉本は明るく、ハキハキとものを言う三十代の主婦であるが、撫子に定期訪問に来てもらうのには訳がある。
杉本には中学生の息子がいて、何も不自由のなさそうな家庭だが 心に闇が潜んでいた。
それは、息子の引きこもりである。
杉本 健太。 中学二年生であるが、学校での些細な事から不登校になっていた。
母親の明美が話す。
「中学一年の時、友人と喧嘩になって……それから話さなくなって……そして、仲直りのキッカケを掴めないまま心を閉ざして不登校になったのです……」
「わかりました。 お母さまからは、健太さんに何と言いました?」
「それくらい、時間が経てば元に戻るわよ……って言いましたが……」
「わかりました。 会えそうですか?」 撫子が聞くと
「部屋の鍵を開けてくれるか……」 明美が言う。
そして、撫子が健太の部屋の前に立つと音楽が鳴り響いている。
「いつもですか?」 「はい。目覚めると音楽が響いていて……これじゃ近所迷惑ですもんね……」 そう言って、明美は健太の部屋をドアをノックした。
「健太、静かに! 迷惑になるでしょ」 明美が何回もドアを叩いたが、健太の反応は無かった。
撫子が外に出て、健太の部屋の窓を見る。
(案外、音は外に漏れてないのか……)
確認を終えた撫子は、健太の部屋の前に立つ。
「あの……」 明美が話しだすと、
「なんでしょう?」 と、撫子が返す。
「何をされているのかな~っと」 明美は不思議そうにしていた。
「いえ、健太君が聴いている音楽を聞いていました。 なかなか会えなそうなので、情報を仕入れていました」 撫子は無表情で答える。
「そうですか……」
そして、撫子がメモに書き出して健太の部屋のドアの下から紙を差し入れる。
そんな事を何度か試みたが、健太からの反応はなかった。
そして、七回目の訪問になり
「こんにちは、お変わりないですか?」 撫子が明美に聞く。
「はい。 何も変わりません…… もう、このままなのでしょうか?……」 明美が肩を落としている。
そして、撫子が健太の部屋の前に着くと音楽が鳴りだす。
(なんだ、知ってて やってるのか……) 撫子がニヤッとすると
健太の部屋の前に座り込んだ。
「あの……廊下に座って、何を?」 母の明美が驚いたように話すと、
「気にしないでください。 それと、一階に行っててもらえますか?」 撫子が言う。
明美が頷き、下に行くと撫子は紙とペンをバッグから取り出した。
そして、メモを書きドアの下から差し入れる。
このメモには、自己紹介を書いていたのである。
その後、何日かして変化が起きる。
撫子が紙を取り出し、ペンで書いていると
“ガチャ ” と、ドアが開く音がする。
「ねぇ……」 撫子の頭の上から声がするが、撫子はメモを書くことに夢中で気づかない。
すると、 「ねぇ!」 と、健太が大声で言うと
「キャッ―」 撫子は驚いた。
「何をしているの?」 健太が聞く。
「あぁ、健太君にメモを渡そうと思って書いているのよ。 もう少しで終わるから待ってて」
そう言うと、撫子はペンを走らせていく。
「俺、ここに居るんだけど……」 健太が不思議そうな顔で話す。
「出来た! よし、コレをドアの下に……って、あれ? ドアが開いてる?」
撫子はドアが開いている事に気づき、驚いている。
「ん~、もしかして健太君?」
「そうだけど……」
ここでお互いの思考が止まった。
「えと……久坂 撫子と言います。 心理カウンセラーをやっています」
「たくさんの紙が入っていたので、そんな気がしていました。 お母さんが頼んだんですか?」
「そうです。 お部屋に入っていい?」 撫子が言うと、健太は無言で部屋に招き入れる。
そして、撫子が健太のデスクの椅子に座り、健太がベッドに腰かける。
「ごめんね……毎日のようにメモを入れてて……」 撫子が切り出すと、
「いえ……」 健太の表情が硬くなる。
撫子は実習の時を思い出していた。
初対面のクライアントは必ずと言っていいほど表情は硬い。 営業であれば、表情を崩してから本題に入るが、カウンセリングは時間が限られる。
撫子は、端的に要件を伝えることを選んだ。
「ここに来たのは、健太君が不登校になって お母さまに依頼されました」
ド直球で切り出す。
本来であれば、ほんわかと進めたいところだが撫子は違った。
「でも、強引に「学校に行け」なんて言わないから安心してね」 笑顔を見せる。
「そう……」 健太は、下を向く。
(行けと言って欲しいのかな?) 撫子は考える。
「健太君は、どうしたいの?」 撫子が聞く。
本来のカウンセリングであれば、滅多に相手の意思は聞かない。 心神が病むと自身の思考が止まったままであり、そこから意思を訊ねても苦痛になるだけだからだ。
しかし、今回は違った。
撫子が健太と接するにあたり、健太は背中を押してもらいたいように見えていたからだ。
「うん、行きたいけど……怖いんだよね……」 健太が希望を口にしたのだ。
(これで意思がハッキリした。 問題は、引きこもりになった原因だ……) 撫子は、絡み合う紐をほどくように進むだけだと確信する。
「私ね、依頼って時間で動いているの。 でも、早く済ませたいなんて思わないから安心してね」 撫子がカウンセリングの説明を始める。
そして、健太の口から不登校になった経緯を聞いていた。
「なるほどね……」 撫子には珍しい相槌を打つ。
カウンセラーは、 “なるほど……” などの相槌は普段はしない。
オウム返しをするのが基本だ。 しかし、今回の撫子は違った。
それは椅子の座り方でも現れている。
普段は、椅子に座っても背もたれに当たらないように真っすぐな姿勢でカウンセリングをする。
しかし、今回は学生のような座り方をする。
背もたれを前に…… 普通とは反対にして座っている。
そして、背もたれに腕を乗せて同級生のような雰囲気で健太の話しを聞いていく。
これは、 “友達のような仕草をして、友達に慣れさせる ” 為であった。
少しカウンセラーとしても、大人としても行儀が悪い姿勢ではあるが、これもカウンセリングのテクニックである。
撫子は、健太が友達との揉めた理由を話すのを待った。
しかし、ここから虚しいほどに出てこなかった。
それでも健太が心を開き、話してくれたことは収穫である。
「健太……また来るよ」 撫子が言う。
ここにも撫子のテクニックが入っていく。
普通なら “○○さんや ○○様…… ” と呼ぶ。
しかし、友達を演じている撫子は 使わずに『健太』と呼んだのである。
そして、健太が笑顔で応える。
「いつ?」 健太は嬉しそうに聞いてきた。
「いつにする?」 撫子が聞く。 普通なら、初めて会ったクライアントに聞くことはない。
「明日……」 健太が言うと、「OK」 撫子が返事をする。
こうして次回の予約が取れたのだ。
「それとさ……ご飯、下で食べろよ」 撫子が軽く説教じみた事を言っても健太は笑顔だった。
こうして健太のカウンセリングの時間が終わった。
撫子は、健太の母親である明美に話した。
「ほ、本当ですか? 良かった……」 やっと前に進んだことに、明美がホッとする。
「それと、今までは食事を部屋に運んでいましたね? 下の此処で話しをしながら食事を摂るのが良いと思います。 まず、お母さまが台所などで背を向けながら話しを聞いていても健太君は寂しかったと思います。 まず、正面で向かい合ってみてはどうでしょうか?」
撫子の提案に、明美が頷く。
「では、失礼します」 撫子が頭を下げ、家を後にする。
外に出た撫子が健太の部屋の窓を見ると、健太が外を見ていた。
撫子が手を振ると、健太は背をむけた。
そして手を挙げ、撫子を見送るポーズをしていたのである。
(このポーズか……) 撫子は、急いで事務所に戻っていった。
翌日、撫子が健太に会いに向かう。
「こんにちは。 健太……」 撫子が健太に挨拶をすると、
「こんにちは……」 健太の表情が暗かった。
「昨日、あれから何かあった?」 撫子が聞くと
「お母さんと食事した。 そしたら最悪の雰囲気だった」 こう、健太が話し出す。
「最悪? なんで?」
「なんか、正面から見られて苦しかった……」 健太の本音が聞きだせた。
それから撫子は、健太から次々と話しを聞きだす。
撫子が紙に書き、記録をすると
「ちょっと、お母さんを呼んでいい?」 撫子が提案する。
健太が頷いたので、明美を健太の部屋に呼んだ。
そして、ここで撫子が話し出す。
「ようやく見えた気がします。 十回ほど訪問させていただき、紐がほどけてきた気がしました……」
明美と健太はポカンとしている。
「明美さんは忙しい中、子育ても頑張っています。 健太君も心優しい男の子でした。 その中で、ひとつ気になった事がありました」
撫子が言うと、杉本親子が撫子を見る。
「それは、大事な場面には 二人共が背を向けることです」 撫子が続ける。
「明美さんは、健太君の食事の時は洗い物などでキッチンに向かい、健太君に背を向けることが多かったですね。 そして健太君も、私への見送りをしてくれた時には背をむけて手を挙げていました」
「これは照れ隠しなどの行動や、正面に向き合う事を拒絶しているようにも見えます。 まさに『ハリネズミのジレンマ』ですね……」
撫子が言うと、杉本親子は思い出すかのような顔をしていた。
「相手に好意を持って接したハリネズミが、自分の針で相手を傷つけてしまう…… それによって、好意を出せずに背を向けてしまうジレンマが生んでしまう現象ですね」 撫子が説明すると、
「じゃ、どうしたら……?」 明美が聞くと
「もう解っているじゃないですか?」 撫子が返す。
「あっ……」 明美が気づいたようだ。
「ゆっくりでいいんです。 顔を向き合って、笑顔になりましょうね」
撫子が言うと、カウンセリングが終了した。
撫子は事務所に戻り、書類を作成していた。
そして、その書類には『完了』のスタンプが押された。