第三十七話 落とし穴
第三十七話 落とし穴
「それで、どんな報告でしょうか?」 小坂が聞くと、
「はい。 八田先生と話しまして、これからは『てのひら』に全てを任せようと思いまして……」
宗孝の話はこうである。
てのひらと病院の交互で診て貰っていたのを、今後は『てのひら』に任せようということだ。
つまり、病院での診察が終了となる。
これには撫子も心配そうな顔をすると
「どうしました?」 宗孝がキョトンとする。
「いえ、嬉しいのですが……どうして そうなったのかな~って」
「そうですね。 私の感覚なのですが、落ち着いて話ができるのと……」
そこで宗孝がチラッと小坂を見る。
「……?」 二人はポカンとする。
「い、いえ。 これから、よろしくお願いいたします」 宗孝が頭を下げる。
こうして予約が重ならない時間は、キッズルームで三人が談笑をしていくことになる。
これは宗孝が望んだことであった。
普段、宗孝は部屋に閉じこもっていることが多い。
お酒を飲むわけでもなく煙草も吸わない。一人、部屋で読書をすることが多い。
世間で普通に生活をするには障害が多すぎる。 こうして『てのひら』で信頼する二人の中に入り、雑音や環境に慣れていくのだ。
ある日、宗孝がクッキーを焼いて持ってきた。
「よかったら、どうぞ……」
「わぁ~♡」 撫子と小坂は声をあげる。
本来ならクライアントから物を貰うのは禁止だ。 しかし、HSPの宗孝には別であった。
貰わなかったら、変に気を回してしまうからだ。
「本来なら受け取れないのですが、宗孝さんなら……」 撫子が言うと、宗孝に笑顔が出る。
(こんな笑顔が出るんだ……) 小坂も嬉しそうにする。
「一応、今回だけでね」 小坂が宗孝に微笑むと
「わかりました」 宗孝も理解したようだ。
(これだけで理解できるのは、さすがHSPだわ……)
繊細、敏感な人の素晴らしい特性であった。
「おいし♡ 宗孝さん、こんな趣味があったんですね~?」 小坂が聞くと、
「実は、初めてなんですよ」
「初めて??」 撫子と小坂が目を丸くすると
「せっかくなので、女性が好きそうな物を考えてみたら こうなっていて……」
恥ずかしそうにする宗孝に
(いい男過ぎるだろ……) 二人のカウンセラーが苦笑いになる。
HSPの人は物事を深く考える。 時には行き過ぎることもあるが、その考えは真っ直ぐで正確だ。 時間は掛かるが、正確に判断できる特性がある。
撫子は、唐突に話し出す。
「宗孝さん、彼女はいないんですか?」
「こんな男ですから出来ませんよ……」 宗孝は鼻で笑うような仕草をする。
「でも几帳面だし、好かれそうですが……」
「いえ、全然です」
そこで撫子が
「宗孝さんの好きなタイプはどんな方ですか?」
まさに合コンのようなノリになっていく。 これには理由がある。
・普段での会話に慣れさせる練習
・雑談の中から意図を理解し、正しく世間話をする
撫子は、このような効果を期待していたのだ。
すると、宗孝は黙ってしまう。
「宗孝さん、無理に深く考え込まないで」 小坂が軽く声を掛けると、
「そうでしたね。 つい、二人に共通する所を考えてしまっていました……」
(さすがHSP……二人のどちらかに偏らないように、あえて傷つけないように中間を探したのか……)
「でもね、それじゃ女は心配になるわよ……」 小坂が切り込む。
「心配?」 宗孝がキョトンとする。
「優しいのは分かるけどさ、本音も大事でしょ」 小坂が微笑む。
「……」 宗孝は黙って何かを考える。
「……」 その様子を撫子は黙って見ていた。
それからカウンセリング終了の知らせのアラームが鳴る。
「宗孝さん、ありがとうございます。 お時間ですが、何かお話があれば……」
撫子が聞くと、
「早いものですね。 またよろしくお願いいたします」 宗孝は頭を下げて帰っていった。
この日、宗孝が帰った後に予約が三件あった。
「つ 疲れた……」 撫子と小坂はファイルを整理している。
続けての予約だった為、一気に書類をまとめていた。
そして、小坂が書類を書いていると
「宗孝さんて、由奈に気があるみたいよね~」 奥のブースから声を出す。
「そう? なんで?」 小坂が聞くと、
「だって、話している時に由奈の方をチラチラと気にしていたし……」
撫子の顔がニヤニヤしていたが、お互いブースで作業していたので顔は見えていない。
「そうかしら……でも、誠実そうだし顔も良い方よね……」
小坂が満更でもない返答をする。
「撫子はどう?」
「まず喧嘩が多そう……て言うか、毎日 私が怒られそう……」
これはきっと『あの部屋か……』と想像してしまう小坂だった。
確かにカウンセラーという職業は、心が疲弊している方と向き合う。
そうすると、『親身』や『優しさ』などが目に映りやすくなる。 それを恋愛感情となってしまうケースも少なくない。
感情に流されないように、カウンセラーも気をつけなければならないのである。
中には、ソレ目的でカウンセラーになった人もいる。
しかし、勉強の多さや実務で忙しくなると辞めていくカウンセラーもいる。
そんなに甘い世界ではない。
しっかり、落とし穴が待っている訳だ。
撫子たちの大学院時代にも多くの生徒がいたが、実際にカウンセラーで働いている者は何名だろうか……
そんな中、撫子たちはカウンセラーの道を選んで頑張っている。
すると 「終わった~」 小坂が声をあげる。
「お疲れ~ 夕飯、作ってるの?」 撫子が聞く。
小坂は、前の『てのひら』で使っていたアパートに引っ越していた。
当然ながら撫子は夕飯を作っておらず……
「ご飯、炊いていただけ……食べにいく?」 小坂が聞くと
「と、友よ~♪」 撫子は、友達の有り難さに感謝していた。
それから撫子たちは、近所の中華屋に入る。
「私、ビールと餃子」 「いいね♪」
こうして夕飯を満喫して帰った。
翌日、新規の予約が入っていた。
「由奈、新規だけど……」 撫子が言うと
「そうだった。 私、予約が入ってるのよ……」 小坂が残念そうな顔をする。
『てのひら』は、完全な歩合制である。
撫子は小坂を優先としたシフトにしている。 もちろん、歩合制といっても完全な歩合ではない。 掛かる経費なども差し引きした歩合である。
病院や、カウンセリング事務所において給料体形は様々だ。 小坂のように歩合制であったり、月給制だったりする。
しかし、病院やクリニックなどのカウンセラーの給料は決して高いとは言えない。 むしろ安い方だ。
そんな中でも撫子たちは『やり甲斐』を求めてカウンセラーを選んでいる。
「じゃ、新規は貰うね」 撫子は小坂に言って準備を始める。
“ピンポーン” チャイムが鳴ると撫子が玄関に向かう。
「こんにちは、向井さんですね。 お待ちしておりました。奥のブースへどうぞ」 撫子が案内すると、手前にある小坂のブースの前を通る。
(お茶が良さそうね) 小坂はクライアントを見て判断する。
お互いにカウンセリングをしていない時間があったら、カウンセリングをしている者の補佐をする。
例えば、お茶やコーヒーの準備である。 また、会計を受け取ったら後ろで預かって金庫に入れたりしたりする。
話し合った訳ではないが、お互いが自然と動くようになっていた。
「では、この問診票にご記入をお願いします。 カウンセリングは書き終わってからになりますので……」
撫子が問診票と鉛筆を置くと、クライアントが書き出す。
名前は 向井 小夜子 54歳の女性である。
撫子は、無言のまま向井が書いている姿を見つめる。
これはキャリブレーションと言い、相手のリズムを把握している。 書くタイミングや癖、リズムを計っている。
すると向井が鉛筆を止めて話し出す。
「あの……これって当たるのですか?」
「はい? それは、どういうことでしょうか?」 撫子はポカンとしている。
「この問診票で性格が分かるのでしょうか?」 向井は続けて話すと、
「すみません……『当たる』とは、どういうことでしょうか?」
そこに小坂が割って入ってくる。
「お茶です。 どうぞ」 向井と撫子は頭を下げる。
「すみません。 話に入ってしまいまして……向井さんが仰っているのは『占い』ではないでしょうか? 心理カウンセリングと占いでは大きく異なりますが……」 小坂が説明すると、
「違うのですか? どっちも見えない性格とかを言うんだろうと……」
向井はポカンとした顔で話している。
(まだ、心理カウンセリングの認知度もイマイチなのね……)
撫子と小坂が落胆の表情を見せると
「まぁいいわ……見てくれる?」 向井が掌を見せると、
「あの……何を……?」 撫子は困った様子を見せる。
「だから、『てのひら』でしょ? 手相を見るんでしょ?」
「出口は、あちらになります……」
撫子は、頭を下げて玄関に手を向けた。
そして、『てのひら』という名前に少しの後悔を感じてしまった。
(この名前に、こんな落とし穴があったとは……)




