第三十三話 引っ越し
第三十三話 引っ越し
「由奈― 決まったよ!」 撫子がニコニコしてアパートへ帰ってくる。
「おー♪ どこ?」
昼過ぎ、カウンセリングを小坂に任せて物件の契約に向かった撫子が声高らかに報告する。
「今から見に行こう」
小坂は急いでファイルの整理をする。
現在の『てのひら』の事務所から歩くこと十分、そこには空いていたテナントがあった。
「ナデシコ……? アパートじゃないの?」 小坂が驚く。
「それで探していたら条件など色々で……せっかくだから入りやすい所にって……」
以前はコンビニだったかのようで、外側はガラス張りの店舗だった。
「せっかくだから奮発しちゃいました」 撫子が苦笑いをする。
「これから業者を探して部屋を分けて、内装などもやろう」
撫子が気合いを入れていると、小坂は支出の心配をしてしまう。
それから撫子は業者の連絡など、忙しく動いていく。
小坂はカウンセリングや、次の予約などの事務的な面を支えていった。
そして、一ヶ月が過ぎて業者から連絡が入る。
「もしもし、久坂です」 撫子が電話に出ると、工事の完了の知らせだった。
「そうですか。 これから伺います」 撫子の声のトーンが上がる。
「由奈、出来たって。 行こう」
そして三十分後、撫子たちは新店舗に向かった。
「こんにちは。 ありがとうございます」 撫子が業者の人に頭を下げる。
「久坂様ですね。 中を案内しますので……」 業者は店舗の中にスリッパを二足 揃える。
「うわ~♪」 そこにはピカピカのカウンセリングルームが広がっていた。
店舗の内装は綺麗な晴れた空と緑の木々の壁が広がっている。
店舗内は左右にカウンセリング室。 その真ん中にキッズルームが設置されている。 これは相談の声が聞こえないように配慮されている。
キッズルームが真ん中にあることで、よほど大きな声を出さない限りは聞こえないようになっているのだ。
面談室に入るとカウンセラーに後ろ側には扉があり、裏から給湯室に向かうことが出来る。
「完璧だよ、撫子~」 小坂は撫子に抱きつく。
撫子は業者の人に頭を下げ、
「ありがとうございます。 素敵な部屋です」
業者も笑顔だった。 そして、「どっちを使う?」 撫子が小坂に聞くと
「そんなの社長が決めてよ~」
そして、奥側の部屋が撫子のカウンセリング室となる。
カウンセリング室の中は、薄い黄色の壁になっていて柔らかみのある空間だ。
「うわ~ やる気出る~♪」 小坂は大はしゃぎだ。
「さて、引っ越し業者も予約しないとね」
撫子は業者を調べ、電話を掛ける。
翌日、予約の入っているカウンセリングが入っている。
この日のクライアントは川越であり、予約時間ピッタリにやってくる。
“ピンポーン”
「お待ちしておりました、川越さん」 撫子がカウンセリング室に案内する。
小坂がキッチンに入ると、黙って川越にコーヒーを差し出す。
(なんで?) 撫子は不思議に思ったが、
「川越様、いつもありがとうございます。 今度、移転するので案内です」
そう言って小坂は川越に新しいパンフレットを差し出す。
(由奈、いつの間に……)
小坂は早めにパンフレットを作っていた。 内装が完了し、見学に行ったときに外観や内装などを写真に収めていたのだ。
これを見た川越は
「おめでとうございます。 今度の予約はコッチの部屋になるんですね」
そう言うと笑顔になった。
「ありがとうございます。 小坂も入って、今度からは二名で扱わせていただきます」 撫子が頭を下げる。
それから川越は仕事の状況や構想などを話していく。
(前と違って慌てている様子もない。 順調だ)
撫子はホッとしている。
「この後、予約は入っていますか?」 川越が聞く。
「一件、小坂が担当している分がありますが……」
「私、仕事のトラックで来ていますが運びましょうか?」
川越の申し出により撫子は甘えてしまう。
「すみません……」 撫子が頭を下げる。
普段ならカウンセラーは時間外ではクライアントと会わない。
しかし、川越は大丈夫だと判断してお願いをした。
少量の荷物を積み、新しい事務所に来た川越は驚く。
「前と同じようにアパートかと思いました……」
「少しながら頑張っちゃいました」 撫子が照れたように話すと、
「中、見れますか?」 「どうぞ」
川越は荷物を運びながら中に入っていく。
「凄い綺麗ですね……それで、久坂先生のブースはどちらですか?」
「はい、奥のブースになります」
奥のカウンセリング室の入り口には『久坂』と書いてある。 プラスチック製で取り外しが出来るタイプだ。
「素敵です。 私も負けていられません」 川越の目に力が入る。
「せっかくだから座ってみません?」 撫子が嬉しそうに誘う。
そうして第一歩として撫子のブースに入る二人。
「なんか、広くない感じがいいですね…… 内密な相談が出来るような感じです」
川越の感想を聞いた撫子は嬉しそうにする。
その後、撫子は川越に送ってもらい事務所に戻ってくる。
「ただいま~」
「おかえり」 小坂が言うと、
「このチラシ……」 撫子がカウンセリング室のテーブルを見る。
「これからクライアントさんに教えないとでしょ? それと、営業用のチラシよ」
小坂がドヤ顔をしていると
「由奈~ 頼りになる相棒だーっ♪」 撫子は小坂に抱きつく。
翌日、引っ越し業者がやってきた。
「これと、これを……」 「これは運ばないでください」 何故か引っ越しを小坂が仕切っている。
「由奈、凄いね……」 撫子が感心していると、
「ここで分けてるから触らないでね」 小坂が言う。
「んっ? なんで?」 撫子はキョトントする。
「今まで見てきて使ってないもの……これだから部屋が散乱するのよ」
「あっ、さいですか……」
「ここに置いてあるものは使ってないし、これからは私が使ってあげるから」
小坂が笑いながら話す。
これから小坂の住まいとなるアパートは、事務所にあった物をキープしていたようだ。
「そう! 今度、休みちょうだい。 私のアパートを解約してくる」
「まだしてなかったの?」 撫子が目を丸くすると、
「アンタが急に仕事にならなくなったから駆けつけたし、まさか雇ってくれると思わなかったしね……」
「そ、そうでした……」
「じゃ、この後に引っ越しの相談しなさいよ。 半分出すから」
「ナデシコ……」 小坂は涙ぐむ。
「じゃ、最後の便で来てね」 撫子は引っ越し業者の車で先に新事務所に向かっていく。 小坂は掃除をしながら次のトラックを待っている。
そして最後のトラックに荷物を乗せ、新しい事務所に到着する。
荷物の置く場所を指示している撫子。 近所の方に挨拶をしている小坂とバタバタと動き、時間が過ぎていく。
「ありがとうございました」
二人は業者に挨拶をして、中に入っていき
「ここから新しい職場となるのね……」 二人は感慨深く事務所を見つめる。
「さぁ、私は労務をしなきゃ……」 撫子は書類を取り出す。
これには事務所に移転届や、小坂の雇用なども含まれている。
すると、入り口から声が聞こえる。
「すみません……」
小坂が慌てて対応する。
「ここは何の店でしょうか?」 近所の人だろうか、気になって話しかけてきた。
「ここは心理カウンセリングの事務所になります。 これからオープンになる予定なのです」 小坂が笑顔で説明すると
「前、向こうの方にあったカウンセリングの?」
「はい、そうです」
(少しは認知されていたのね……撫子は本当に凄いわ) 地道に頑張って根付かせてきた撫子の努力を小坂は認めている。
「何かありましたら、よろしくお願いいたします♪」 小坂は出て行く住民を笑顔で見送る。
「ナデシコ~」 小坂が撫子を呼ぶ。
「どしたの?」 「これ見て♪」
撫子は、小坂が指さすスマホを見ると
「マ マジ?」 撫子が驚く。
小坂は撫子が帰省している間、『てのひら』のホームページを作っていた。
「由奈、そんな事できたの?」 アナログ人間な撫子には衝撃的だった。
「まぁ 色々と調べながらだけどね~」 小坂が笑顔で説明すると、
「頼れる者は文明人だ~」 大喜びする撫子であった。
「さぁ、由奈の部屋も掃除をしよう」
二人が前の事務所に戻ると、
「あの……すみません」 一人の女性が立っている。
「どうされました?」 小坂が聞くと、
「ここはカウンセリングをしていますよね? 相談に来たのですが、誰もいなくて三十分くらい待っていたのですが……」 女性が泣きそうな声で言うと、
「あっ……」 二人は声を漏らす。
そこには移転や、引っ越しの休みなどの張り紙を貼るのを忘れていた。
「す、すみません― ここから少し離れた場所なのですが、よろしいでしょうか?」
慌てて撫子と女性は、新カウンセリング室まで戻っていくのであった。




