第二十六話 友よ
第二十六話 友よ
房総にも冬がやってこようとした時期、一本の電話が鳴る。
「もしもし……」 撫子が電話に出ると、
「ナデシコ~? 私、緑だけど……」 電話の相手は地元の緑だった。
撫子が帰省をした時に自殺未遂をした友人である。
緑は両親からスマホを買い与えてもらい、早速 撫子の連絡をしたのだ。
「よかった~ スマホの番号も登録するね」 そんな会話を楽しんでいると
「今度、房総に行ってみようかな~」 緑が言う。
「是非♪」 撫子は嬉しくなっていた。
それから三日後、緑は母の陽子と一緒にやってきた。
「いらっしゃい 緑」 撫子から笑顔が溢れる。 その横で、母の陽子が何度も頭を下げる。
この日、予約が入っておらず早々に事務所を閉めて食事に向かった。
緑は精神薬を服用しており、お酒は飲めない。 近くのレストランに入った。
「緑、病院ではどんな生活だったの?」 撫子が聞くと、
「うん……まぁ、制限などは多かったけど楽に過ごせたかな……」 緑は笑顔を出していた。
そこで撫子が母の陽子を見る。
「……」 撫子は何も言わないが、ある疑問が浮かびあがっていた。
それは緑の仕草である。 緑は先に出された水を飲み干すと、すぐに水を注文する。
(そんなに喉が渇くのかしら……) 職業柄、どうしても撫子は人の行動が気になる。 この日も緑の観察をしていた。
「あの……緑はいつ退院されましたか?」 撫子が陽子に聞くと
「昨日よ」 陽子が返す。
「お水……飲み過ぎではないでしょうか?」 撫子が言うと、陽子は緑を見る。
「そういえば、帰ってからも水ばかり飲んでいたわね……喉、そんなに乾くかしらね?」 陽子が話した瞬間だった。
「緑、少し水を我慢できないかしら?」 撫子は焦ったように話すと、
「どうして? やっと水が飲めるんだもん……」 緑は、そう言いながらグラスに口をつける、
「そうよね。 せっかく病院を出たんだし……」 母の陽子も緑を擁護していた。
(やっぱりか……厳しいのか甘いのか分からないわ……) 撫子は頭を掻いてしまう。
それでも緑は水を飲み続けると、
「緑、また入院したいの?」 撫子が強めの口調で言うと、
「ちょっと……そんな、緑の行動に……」 陽子は撫子に厳しい口調で言う。
「おばさん……これは病気です。 おそらく水中毒かもしれません」 撫子が警告する。
「水中毒? 初めて聞いたんだけど……」
「これは短時間に水分の過剰摂取により、『低ナトリウム血症』を引き起こしているかもしれないのです。 すぐに止めてください」 撫子が言うと、
「緑、少し止めよう」 陽子は緑からグラスを取り上げる。
水中毒は低ナトリウム血症を引き起こし、体内の電解質のバランスが崩れて様々な健康の問題を引き起こしてしまう。
これは精神疾患者や、持久系のスポーツをやっている人に起きやすく腎臓の処理能力を超えてしまうことがある。
めまい、頭痛、多尿、体重増加などの報告が多くある。 中毒というくらいなので、本人が自覚することはなく水を大量に摂取してしまうことである。
重度の場合は意識障害や痙攣、吐血など生命に関わる症状もある。
「じゃ、どうすれば……」 陽子がオロオロすると、
「軽く食事を済ませたらカウンセリングしましょう」
こうして食事を済ませて、『てのひら』のカウンセリング室に入って行く。
「では…… 緑、病院では決まった時間や量の水分しか与えて貰わなかったよね?」 撫子が聞くと、
「……」 緑は答えなかった。
「これから探るわよ。 いい?」 撫子は、緑の返事の有無も関係なしに進めていく。
撫子が気にしているのは水中毒ではなく、その前にある。
『心因性多飲症』である。
水中毒なのだから水を飲み過ぎていることは分かっている。 その前の段階である、何故に飲み過ぎてしまうかである。
精神薬は喉が渇きやすい性質を持っている。 精神薬を服用している患者の多くは浮腫みや肥満を抱えている。
食事は摂れないが、浮腫んだり太ってしまう原因は水分摂取の問題である。
ただ、薬だけが問題ではないと撫子は思っていた。
それが、心因性多飲症である。
心因性多飲症とは、ストレスや不安、葛藤など心理的に問題があるときに大量の水を飲むことで精神の安定をはかる病気である。
投薬治療やカウンセリングが治療法と言われているが、撫子には緑の身体に負担を掛けたくないことから投薬は避けたいと思っている。 現に大量の薬を服用しているからだ。
「緑……ここでなら気にしなくていいよ。 貴女の未来の邪魔する人は居ないから」
すると、緑の目に涙が溢れてくる。
「緑……?」 陽子が緑の様子を伺う。
「おばさん……緑は苦しいのです。 前に、私がお邪魔した時に言いましたよね。 「いつか形になってしまうんじゃないかと」って……」
撫子の言葉に、陽子は黙ってしまう。
「もう、親だからとか止めませんか? 緑は28歳、大人なのですよ?」
撫子が見つめると、緑は小刻みに震えていた。
「ごめんね。 こんな形で言いたくなかったよ……」
撫子が緑の頭を撫でると、
「私たちの教育方針が悪かったって言うの?」 陽子は堪らず言い返す。
撫子は陽子を睨み、
「これは教育方針というより人権に関わる問題です。 なぜ、緑がこんなになってまで言うのです?」
「そんなこと……」 陽子は、その後の言葉を探している。
「もし、これを親心と言うのであれば、私はおばさんのことを軽蔑します」
撫子は、幼き頃からの友人の母親に言ってしまった。
「そう……私の言うことが変なのかしら?」 陽子が強気な姿勢を取り始めると、
「はい。 それは境界性パーソナリティ障害や依存性パーソナリティ障害というのがあります。 一度、検査をお奨めします」 撫子が陽子に言い切ると、
「じゃ、これからどうしろと言うのよ……」 陽子は簡単に言葉を小さくしてしまう。
(これは他人の言葉には従いやすい……けど、緑には曲げない姿勢は依存性パーソナリティ障害なのかも……)
「本気で改善したいなら、専門分野に通われてみるのがいいかと……ただ、表向きのことは言わずに、本心で相談することが大事です」
撫子は、大学病院を紹介しようとするが自宅は山口県であるためインターネットで見てみる。
「とりあえず、この病院か……」 撫子は紙に病院名を書く。
「そんなに私は変なの?」 陽子が心配になっていると、
「変というより個性ですから…… ただ、個性が強すぎると隣人や家族との間に障害となってしまいます。 その対策の為に病院やカウンセリングがあるのです……」 撫子はパソコンを叩き、疑われる症状などを書いた紹介状を作成する。
この時、緑は呆然と撫子を見つめていた。
「この紙、紹介状になります……もし病院に行くなら主治医に渡してもらえれば解決の手がかりになるかと思います」
撫子は封筒に入れた紹介状を陽子に手渡す。
「今夜、ホテルですか?」
「えぇ、そうよ」
「緑だけ私の部屋に泊めてもいいですか?」 撫子の言葉に陽子は黙った。
「久しぶりに、二人で同窓会をしたいのですが……」
「えぇ、わかったわ……」 陽子は言葉に従い、撫子はホテルまで見送った。
そして緑を連れ、アパートに戻ると
「ナデシコ……これって……」 緑が困惑する。
そこには、人を連れてきてはいけない部屋の惨状だった。
(うぅぅ……病の緑に心配される私って……) 撫子は大きな ため息をつく。
「一緒に片付けよう♪」 緑が笑う。
「緑……」 撫子は、緑の笑顔に涙が出そうだった。
少しの時間、二人は黙々と片付ける。
緑は鼻歌を歌いながら片付けていく。 そして、布団が敷けるようになると
「友よ~♪」 撫子は緑に抱きついた。
この時間、緑は水を飲まなかった。 むしろ言葉にもしなかったのだ。
(これだったか……) 撫子は安心の笑みを浮かべる。
偶然ではあるが、撫子の部屋の惨状が緑の意欲を引き出したのだ。
その後、二人は懐かしい思い出話に花を咲かせる。
恋バナや、好きな芸能人などの他愛のない話に笑顔になっていく。
(こんな時間が大切なんだよな~)
しかし、緑の最後の言葉が撫子の心を刺してしまう。
「私、家政婦になろうかな……」 と、緑が言うと
「なんでまた?」 撫子が驚く。
「だって、ナデシコみたいに掃除とか下手な人が多くいるでしょ? 役に立てるかな~って」
緑は満面の笑みを見せると、
「わ 私のは、たまたまだから~」 と、苦しい言い訳を並べていた。
そして、笑顔になる友がいた。




