第二十二話 過食の理由
第二十二話 過食の理由
九月、暦は秋となるが房総では夏のような暑さを継続させていた。
「ナデシコ~ ここ最近、バタバタじゃない? 私も同じように動いているけどさ~」
心配してくるのは 小坂 由奈。 大学院の時から同じ心理学の専攻をしている友人である。 小坂は退職前の有給消化をし、撫子の元に来て一週間になる。
「確かに、休みなしでカウンセリングが入ってるもんね~ 由奈がいて助かってるよ~」
撫子はキッチンでアイスコーヒーを淹れる。
「飛び込みでも受けるなんて凄いよね~」 小坂は自営業の大変さを身にしみているようである。
“ピンポーン“ ここでも予約の無い時間にチャイムが鳴る。
(今からコーヒーなのに……)
「はーい」 小坂が玄関に向かう。
玄関を開けると一人の女性が立っていた。
「突然ですが、カウンセリング出来ますでしょうか……? 口コミで東京から来たのですが……」 女性が言うと、小坂は女性を見る。
(あれ? なんか見たことあるな……) 小坂は記憶を呼び覚ましている。
「どこかでお会いしましたっけ?」 小坂が女性に話しかけると、
「もしかして、小坂先生ですか?」 女性が先に気づいたようだ。
「あの……えと……」 小坂がオロオロしていると、
「どうしたの?」 撫子が顔を出す。
「はじめまして……急に来て申し訳ありません。 以前に小坂先生から紹介されたのですが……」 女性は頭を下げると、
「そうですか。 遠くからありがとうございます。 どうぞ♪」 撫子はカウンセリング室に案内する。
「問診票をお願いいたします。 書いてからのカウンセリングですので、ゆっくりお書きくださいね」
撫子が説明すると、小坂と二人でキッチンに移動する。
「知り合い?」 撫子が小坂に聞くと、
「大学病院でのクライアントさん。 あまりにも予約が重なるから、ナデシコの所を紹介したことがあるの……」 小坂が説明する。
「なら、由奈がやったら?」
「私? まぁ……わかった」 小坂は頷き、カウンセリング室に入っていく。
これには興味もあり、撫子がサポート役に入った。
「では、よろしくお願いいたします」
名前は、一条 綾香。 小坂のいた大学病院では摂食障害と診断されていた。
診療中の頃よりは体重も落ちてきてはいるが、まだまだな状態である。
「先生……以前より体重が落ちてきたのですが、すぐ元に戻ってしまうのです……」 一条の話はリバウンドのことである。
「医師のメニュー通りにしていますか?」 小坂が聞くと
「たまにズルしちゃってまして……正直、困っているのです」
「お薬情報と、医師の提案のメニューを見せてもらえますか?」
ここで撫子が口を挟む。
一条がお薬情報とメニューを出すと、
「コピーしても構いませんか?」 一条が頷くと、撫子はコピーを始める。
「それで、ズルとは、どんな感じでやっちゃってますか?」 小坂が聞くと、
「深夜になると、急に寂しくなってショートケーキとか煎餅などを……」
「何時位にでしょう?」 「0時とか1時くらいでしょうか……食べたら安心して寝れるんです……」
(そりゃ、リバウンドするわ……) 撫子と小坂は苦笑いになる。
「そんな時間まで起きてらっしゃるのですか?」
「はい……動画とかを観ていると、つい起きてしまうんです……」
一条の話でカウンセラーの二人は絶句するも、
「あの……深夜の動画は、脳を覚醒させてしまうので控えた方がいいですよ……」 小坂がアドバイスをする。
「はい。 先生にも言われました……」 一条はシュンとする。
すると、撫子は本棚から一冊の本を取り出し一条の目の前に置くと
「一条さん……少し難しい話になりますが、聞きます?」 撫子は一条を見て微笑む。
「お願いします」
「言い方が悪かったら申し訳ありません……過食症の方が、拒食症を治すより簡単なのです。 つまり、痩せている人を太らすほうが難しいんですよ」
「これは、心の層があるのですが……」 ここから撫子が説明をする。
これは心には数段階の層が出来ていると言う。
一条の場合は、食事制限が出来ずに太ってしまった。 これを医師が『摂食障害』と診断している。 当然、働いていればストレスが溜まり発散が必要となる。
それを食事に充てた場合は大量の摂取となってしまうのだ。 これにより胃が膨らみ、そのまま肥大化をしてしまう。
そこで体重維持が出来る人は運動などにリフレッシュを図るのだが、過食になってしまう人は運動するメカニズムを失ってしまうのである。
急激に太った場合、身体を動かすと細かった時と比べてエネルギーを多く使う。 したがって肥大化した胃に入れたくなるというものである。
「これが太ってしまうメカニズムなのです。 ここまではよろしいですか?」
撫子が説明すると、
「そうなんです……これに困ってしまうんです。 医師に聞いても、「運動は必要ですよ」しか言われなくて……」
「そうなんですよね……わかっているけど、出来ないなんてありますよね」
撫子は同調する。
実際には、撫子も小坂もスタイルは普通である。 細くも太くもない標準的なスタイルである。
「先生たちは、運動されているのですか?」 一条は二人を交互に見るが、
「すみません……こんな説明をしておいて、私は昔から運動が苦手で……」
撫子は申し訳なさそうにする。
「それで、太らないのですか?」
「先日、キネシオロジーと言って筋力を使ってストレスなどの測定をしましたら、筋肉が少ないと言われまして……ただ過食とかは無いんです」
「そうなんですね……」 一条は下を向いてしまう。
「まず、内面に暗示を掛けましょう。 仕組みを知れば、変わるかもですので」
撫子は、内面の話を進めていく。
「これは心の層の話です……」
「自我というものが心にあります。 それは、「自分っていうのはコレだ」って思うのが一条さんの心の層だと思ってください」
「心の層ですね……はい」
ここからは、心の層の話をしていく。
自我は自身の心である。 その周りにはイド(エス)と呼ばれる物がある。
イドとは無意識の領域である。 自分の心の中にあるのに自覚できない。認めることのできない心の層が存在する。
「~したい」「~がほしい」と言った欲求がグチャグチャになったものがイド(エス)なのだ。 その場で欲求を満たすことを最優先する『快感原則』によって動いているものである。
よく思いつきで行動をして、「ふぅ~満足した♪」 なんてことがあるが、それはイド(エス)の層に従って行動した表れである。
その中には、人をコントロールしたがる事や攻撃をするなどの欲求もある。 動物的な欲求であり、食べたいや寝たいも同様である。
「わ~ 私だ……」 一条は驚きながら納得をしている。
「まだ、あるんですよ~」 撫子はニコニコして続ける。
さらに、この層には『超自我』というものまでもが存在する。
超自我とは、自我として浮かびあがる欲求や衝動を『自分のものとしていいかどうかを検閲する心の層』がある。
簡単に言えば、自我を統制する裁判官や検閲官みたいなものである。
イド(エス)で生じる欲求は、そのまま発散すれば社会との衝突が起きてしまう。 例えば殺人や放火など社会では問題となってしまうことだ。
そこに『まった!』を掛けるのが超自我である。
「その欲求はダメ!」 と、犯罪と認知するものから欲求にストップを掛ける事ができる。
また、超自我は子供の頃から親のしつけで「~やっちゃダメよ」などと言われていると無意識に染みついていたりする。
しかしながら、『ちょっと食べていいかな』『少しサボってもいいかな』などの軽微なものには統制が効きにくかったりする。
それにより、イドと超自我の板挟みになってしまうのが自我である。
「つまり、シーソーで表しましょうか」 撫子は紙とペンを取り出す。
「このシーソーの真ん中に自我が居るのです。 そして両側にイド(エス)と超自我が乗っかります。 健康の為に自我が真ん中で結果を知っている状態なのです。 これが一条さんの現在ですね」
撫子はシーソーの真ん中に自我(一条)と書く。 それに一条が頷く。
「そこで片側に乗ったイド(エス)が「お腹すいたよ~」と言い出すのです。 そうすると、超自我が「医師から止められてるから」とか、「また戻っちゃうよ」 などと統制してくれるのです」
撫子が説明をすると、
「この自我の私は何をしているのです?」 これに一条が聞いてくる。
「たぶん……イドの応援をしているかと……」 撫子が苦笑いをしていると、小坂も同じ表情になっていた。
「う~ん……自我の私、ダメですね」 一条は渋い表情をしていた。
「それでメカニズムを知って貰おうと思ったのです」
「「夜中に食べたい」というイド(エス)に対し、「良くないよ、我慢しようよ」と言う超自我がケンカをする訳ですが、自我がバランスと保つ意味での仲裁役なのです。 これを鍛えていこうと言う訳なのです」
撫子が説明をする訳だが、一条が困った顔をする。
「今までがイド(エス)が主役だったのを、超自我を主役にしてみては いかがでしょう?」
撫子が紙に書いた『超自我』を指さす。
「今までは、イド(エス)が決定権を持っていたじゃないですか。 その決定権を超自我に譲るのです」
「言っている意味は解りますが、それって出来るものでしょうか?」
一条は懐疑的な目で撫子を見つめる。
「そうですよね。 意識的に主役を譲ってみるのはどうでしょう? 無意識だけど順位が高いイド(エス)が主張をしたら、意識を持って超自我を舞台に引き上げてやるのです。 「お前が主役だ!」って」
撫子は笑って説明をすると、
「本当ですか~?」 一条は笑っている。
和やかなカウンセリングである。 そんな説明から時間が経過していった。
「時間になりますので、最後にお話をします。 意識を持って超自我を出してください。 これは自分を縛る物ではありません。 その場面になったら「超自我、出てこい」って言えばいいです。
「それだけで?」
「はい。 今夜から、食べ物が浮かんだら「超自我」と呼んでみてください。そうこうしているウチに脳が錯覚を起こしますから」
撫子は微笑んだ。
「ありがとうございました」 撫子は挨拶をして、一条を見送った。
こうして『てのひら』の営業時間が終了となる。
「疲れたね~ 夕飯を作るのが面倒だから居酒屋でも行く?」 撫子の提案に
「お~い、「出でよ! 超自我~」」と叫ぶ小坂。
二人はイド(エス)に従い、居酒屋の暖簾をくぐっていくのであった。




