第二十一話 蜜か毒か
第二十一話 蜜か毒か
朝、撫子が早起きをして朝食を作っている。
「由奈~ 出来たよ~」 撫子が声を掛けるが、小坂は布団の中に入ったままである。
「由奈―」 強めの声をあげると、小坂は飛び起きた。
「おはよ~ って、随分と早くない?」
「いつも通りだけど……」 撫子はキョトンとしている。
「だって、今日は日曜日よ? こんに早くなんて……」
「言ってなかったっけ? ウチは365日やるわよ。 予約が無い時に休む程度なの……」
「うっ……まじっすか……」 小坂は落胆していた。
「あら、由奈さん……独立したいんじゃなかったっけ?」 撫子は顔を近づけ、小坂に圧力をかけてニコニコする。
「うぅぅ…… しかし、頑張るね~」
「そうしないと、ご飯が食べれませ~ん」 撫子はテーブルに朝食を並べる。
「いただきま~す♪」 賑やかな朝食が始まる。
そして通勤時間となる。 大体は予約に合わせて出勤するのだが、この日は早めに向かう。
なぜなら、 「おはようございます♪」 本日の予約は八田である。
八田は予約時間の前から待っている事が多い。 この日も早めに来たのだが、八田の方が早かった。
「えっ? 予約って八田先生ですか?」 小坂が驚いている。
小坂も研修の時は八田の授業を受けていたのだ。
「あれ? 小坂さん……どうしてここに?」 八田が目を丸くする。
「いえ、あの……有給消化中でして……」 小坂が説明していると、
「そうなんだ。 久坂さんのを見て、考えるより感じた方がいいかもね」
八田は微笑むと、カウンセリング室に入っていった。
「先生、コーヒーです」 撫子が三つのコーヒーを運んでくる。
「先生、たまに来るんですか?」 小坂が聞くと、
「うん♪ ここのコーヒーが美味しいからね」 八田は笑顔で答える。
(ここ、喫茶店じゃねーし……) 少し複雑な表情を見せる撫子であった。
「僕もね……それなりにストレスがあるみたいでさ……こうして久坂さんに会って、心を整えるんだよ」
そう八田が話すと、撫子は先日の起業した社長を思い出していた。
(少し、使い方も浸透してきたのかな……) 撫子は嬉しくなっていた。
「そういう使い方もあるんですね~」 小坂は初めて知ったようだ。
「そうだね。大学病院の方だと患者として扱うから、こういう使い方をする方が珍しいもんね」
八田も大学病院で医師として働いている。 実際、患者としか見ていない八田は使い方を知っていた。
“ピンポーン” 予約の時間ではないがチャイムが鳴る。
「はーい」 撫子は新聞の勧誘だろうと思い込み、断る気満々で玄関を開ける。
そこには表情が暗く、黙ったまま頭を下げる女性がいた。
「どうされました? ご相談でしょうか?」 撫子が聞くと、女性は頷いた。
「ご予約はされていましたでしょうか?」
「すみません……なんか苦しくて、いきなりですみません……」 女性は帰ろうとしたが、八田が撫子の肩に手を置き頷く。
撫子も頷き、「どうぞ……」 と、言ってカウンセリング室に招いた。
「では、問診票をお願いします」 撫子が紙をテーブルの上に置く。
女性は三人の人がいて恐縮していると、
「今日は、特別なのですが……医師と、もう一人のカウンセラーまで居ますので何なりと……」
撫子は使う気マンマンであった。
女性は問診票を書き出す。 八田はクライアントが女性であることから席を外し、離れたところから見ていた。
「では、始めます。 よろしくお願いいたします」 ここでは三人が頭を下げる。
「まず、お名前ですが……」
名前は 堺 祐子 二十八歳。 主婦である。
撫子と小坂と同じ歳である。
「あの……主人の実家で暮らしているのですが……」 堺が話し出す。
堺の相談はこれである。
堺は、主人の実家暮らしで子供はいない。 そんな堺だが、嫁姑問題で頭を悩ませている。
(この時代に嫁姑って……) 当然、誰もがイビリを想像してしまう。
しかし、違った。
「これは……」 これには医師やカウンセラーも驚く。
堺の話によると、姑による異常なまでの過保護だった。
「祐子さん、買い物なら私が……から始まったのです」
堺が話し出す。
聞くと、買い物、掃除洗濯など家事一般は姑がやってしまうらしい。
祐子は何もせずに実家に住んでいる。 何を言われる訳ではないが、窮屈になっているとの相談である。
「これに祐子様は、義母様に話されたりしなかったのですか?」 撫子が聞くと、
「聞いたのですが、「いいのよ~」しか言わなくて……」 祐子が下を向く。
『こんな家に嫁ぎたい』 と思ってしまう撫子だが、邪念を振り払いカウンセリングに集中する。
「窮屈なのですね……」 撫子が相槌を打つ。
「はい……何を言っても「私がやるから」と、言ってしまうので、困っているのです」
堺は困っている様子だった。
堺の義母は主人を五年前に亡くしている。 結婚当初は別に住んでいたが、義母が寂しいだろうと同居。 現在は同居して二年になろうとしている。
「お義母様の最近のご様子で、変わったことはありませんでしたか?」
「特に変わった様子はないのですが……友人との旅行から帰ってきて世話を焼くようになったというか……」 堺は思い出すように話す。
「旅行に行ったのですね。 どちらに行かれたのでしょうか?」
「わかりません……」
「わからないのですね……」 撫子がメモをしながら話す。
(同居してて分からない? 話しをしないのか?)
撫子は違和感を覚える。
「では、祐子様はお義母様に何を望まれますか?」
「それは……」 撫子の質問に、堺が言葉に詰まる。
「ちょっと難しく言いましたね。 すみません……問診票には『解決したい』と書かれていました。 どのような解決がよろしいでしょうか?」
「……」 堺は黙ってしまう。
撫子は黙って待っている。
堺が黙ったままなので、撫子から提案をする。
「堺さん。ここからは掘り下げたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「はい……何をでしょうか?」 堺はキョトンとする。
「由奈、CBTを始めるから用意を」 撫子が指示をすると、
「わかりました」 小坂が大量の紙と色ペンを持ってくる。
(ほう……) 八田は驚いている。
CBTとは、『行動認知療法』のことである。
Cognitive Behavior Therapy から頭文字をとったものである。
ストレスなどで固まり狭くなった考えや行動を、自由に考えたり行動したりするのを手伝う心療療法である。
「これには一人の作業だと時間が掛かってしまいますので、こちらの小坂の手を借りたいのですが、よろしいでしょうか?」
撫子は了承を得て、テーブルに紙を並べていく。
「これから4つの状況を書いていきます。 堺さんは、今までのお義母様の事や不満に思っていることを話してください」
撫子が説明すると、堺は頷く。
撫子は『頭に浮かぶ考え(認知)』と『感じる気持ち(感情)』を担当する。
小坂は『身体の反応(身体)』と『振る舞い(行動)』を担当する。
これは堺の感情が爆発して、早口になっても大丈夫なように二人がかりで記入をしていく為である。 集まった内容を精査して、自身で整理ができるようにアプローチをしていくのである。
「では、まず嫌だったことを話してもらえますか?」 撫子が言うと、堺は義母が手を焼くことの不満から始まる。
「その時に、祐子さんはどう思って、どんな行動をとりましたか?」
撫子は堺に質問をし、気の済むまで本音を吐かせていく。
予想通り、堺は早口になる。 そして不満を並べ、スッキリさせていく。
それは、義母が手を出すことで『私が至らないと感じてしまっていること』から始まる。 これを悲観的にとらえる(認知)
明確な否定も出ずに、手をだしてくることで『不安や、腹立たしさを感じてしまっている』(感情)
ストレスが溜まり『頭痛や腹痛などを引き起こしてしまう』(身体)
後に、腹立たしさから『顔を見ないように避けてしまったりする』(行動)
それらを紙に書いていく。
そこからストレス反応を起こしている4つの側面は、互いに影響を及ぼしあっていて悪循環を引き起こしやすくなる。
これらのストレスを取り除いてあげるのがカウンセラーなのである。
ただ、これらを全て排除できるかと言えば難しい。
「今から腹痛を止めてください」と、言っても治るはずもない。
これらが精神に絡みついているものを解いていき、徐々に自身でコントロールできるようにしていくのだ。
その為には何回も通い、報告のように感情や行動などを示していくことになる。
積み重なった問題は、簡単には解決できないのである。
特に、家庭内のことは毎日のように顔を合わせる訳で、神経をすり減らしてしまうからだ。
会社であれば、休めば心を落ち着かせることもできる。
しかし、家族問題で同居となると難しくもなってくる。 むしろ、蝕んだ時間と同じくらいの時間が掛かるといっても過言ではない。
これを『早く治してやろう』などと考えるカウンセラーもいるだろう。
しかし、焦りは伝わるもので、クライアントにも焦りが伝わればプレッシャーを与えかねない。
お互いが根気よく付き合っていくのが良い。
カウンセラーの気持ちは蜜にも毒にでもなってしまうのだ。
今回は紙に書き、今後の方針を伝えていく。 撫子は堺が納得した上でのカウンセリングに入っていくのである。
堺のカウンセリングが終了し、玄関まで見送る。
初回なので気が晴れることはないが、意思は感じられた。
“パチパチパチパチ……” 八田が拍手をしている。
「先生……なんで?」 撫子が言うと
「あそこで、すぐにCBTを持って来たからだよ。 よく義母の行動に目を付けずに祐子さんから疑ったな~っと」 八田が微笑む。
確かに、同情するだけなら義母のお節介を責めることに賛同しただろう。
しかし、撫子は祐子の認知に問題があったと見抜いたのだ。
「やっぱり僕が心を整えるのに最適な人だね♪」 八田は満足そうだった。
こうして心理学に関わる三人は、満足した一日を終えたのであった。




