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第二十話 決断

 第二十話    決断



 “ピンポーン” 

 いつもの朝、予約しているクライアントがチャイムを押す。


 「おはようございます。 ようこそいらっしゃいました。 どうぞ」

 撫子はカウンセリング室に案内する。



 今日のカウンセリングの予約は 坂下 優実であった。

 「坂下さん、お母様はどうですか?」

 「はい。 楽しそうにデイサービスに行ってます」 明るく返事をする。



 優実は母親の智子が認知症になり、認めたくないからか診断を先延ばしにし、本人までが心を壊してしまったのだ。 幸い、家庭内の暴力は無いと話していたが、優実が手を添えようとすると拒絶反応を示した智子が気になっていた。



 「では、始めます。 よろしくお願いいたします」 撫子が頭を下げる。


 「今回は、私から質問してもよろしいでしょうか?」

 いつもは聞き役の撫子が、主導でカウンセリングに入る。 これは信頼関係と、回数を重ねてきたからである。 普段ではやらない行為だが、この日は決めていた。



 これは、優実のカウンセリングの終わりが近づいてきていることである。

 つまり『完了』の少し手前であり、ここからの見極めが大事になる。



 「優実さん、食事は摂れていますか?」

 「はい。 少なくなりましたが……」 撫子は優実をチラッと見る。


 「すみません……やくじょう……いえ、お薬情報の紙って持ってますか?」

 やくじょう……薬情……お薬情報のことである。



 「こちらです」 優実が紙を差し出す。 これを撫子が見ていく。


 これは、優実の体つきが気になっていた。


 優実はうつ病を診断されている。 それに対し、抗精神病薬が処方されていると浮腫みなど太りやすくなる。 これを、どのくらい飲んでるかが知りたかった。



 「これをコピーしてもよろしいですか?」 撫子が伺うと、優実は頷く。


 そこには病院の領収書も挟まっていた。 撫子が注目する。

 「結構、病院代も馬鹿にならないですよね……」 撫子がさりげなく話を振ると、 「そうなんです……私、働いてないから大変で……」 優実が返した。



 「すると、生活費って……」


 「はい。 母の年金で……」 優実が言うと、撫子は驚く。


 「ていうと、優実さんは何年くらい働いていないんですか?」

 「そうですね……五年くらいは働いていなかったかな……」



 撫子は優実のフェイスシートを確認する。 これは大まかな個人情報である。


 (智子さんと優実さんだけか…… これまでの生活費は智子さんが……)

 撫子は『これも依存か……』 そう思ってしまう。



 (ただ、これが何年もつか……) 


 「優実さん、これからの目標とかあります?」 撫子がペンを持って構える。


 「う~ん……特にないですかね?」

 「例えばなのですが、智子様が悪化されたりとかするとどうします?」

 撫子は切り込んだ。 卒業前に優実の生活の改善も考えていたのである。



 これが決まらないと『真の卒業』とは言えない。 時間は進んでいく。 いつまでも母親に頼ってはいけないと思うが、これは心理カウンセラーとして踏み込んでいいかと悩んだ結果である。



 「そうなんですよね……「母親が心配」と思って仕事を辞め、そのままになっていました……」 優実はうつむきながら話す。


 「私も、踏み込んでいいものかと悩みましたが……優実さんにも幸せになって欲しいのです。 もちろん、今が不幸と言っている訳じゃありません。 まだ優実さんもお若いし、先が長いですから……」



 撫子の言葉が優実に刺さったかは分からない。 しかし、このままでいい訳はないと思っていた。



 そして、終わりの時間を迎える。

 「優実さん、何かお話したいことはありますか?」


 「先生……私に出来る仕事はありますか?」 優実には言葉が届いていたようだ。


 「はい。 まだお若いので出来ますよ」 撫子が微笑むと、優実はホッとしたようだ。


 こうして優実は帰っていった。



 撫子はファイルの整理をする。 (まだ卒業は厳しいかな……)

 卒業まで最終段階が残っている。 それは『振り返り』である。



 カウンセリングは自立支援である。 精神が衰弱した段階から、自分で意思決定をする。 そして実行してみて振り返り、どこのボタンを掛け違えたかを確認する。


 これが出来れば卒業となるが、一度でも身体や心が覚えた感覚に戻ることは難しいことではない。 環境の変化などで無意識に元の場所に向かっていってしまうものである。


 これらの要素をカウンセラーが見抜き、陥らないようにしていくのだ。



 これはお互いの信頼関係が重要である。 片方が不安を感じていた場合は諸刃の剣になってしまうのだ。



 「ふぅ……」 撫子はコーヒーを淹れている。 この時間が最高である。



  “ピンポーン” 予約の無い時間にチャイムが鳴る。

 「はーい」 撫子が玄関を開けると


 「由奈?」 撫子は目を丸くする。 来客は大学院時代の友人の 小坂 由奈である。



 「どうしたのよ? いきなり……」 ただただ、撫子は驚いていた。

 「相談に来たのよ……」 小坂が言うと


 「じゃ、コッチ……」 カウンセリング室に案内すると、

 「あっ……良い匂い」 小坂が鼻を動かす。



 「じゃ、コーヒーでいいわね」 撫子は小坂の分のコーヒーを淹れた。



 「それで、相談?」 撫子が聞くと、

 「なんかさ……そろそろ独立してみようかと……」



 「独立? 大学病院の方がいいんじゃない? 給料も出るし、少ないけどボーナスだって……」


 撫子は自営業の為、給料という名目のものはない。 ボーナスなんて『何それ?』 という感じである。


 撫子は大学院の卒業から独立をしている為、ボーナスを貰ったことがない。



 「それで、何で独立したいのよ?」 撫子はコーヒーをすする。


 「そりゃ、ナデシコがさぁ……かっこいいから♡」 小坂は、おどけてみせるが、


 「かっこいい訳ない! 赤字の時だってあるし、そんなに儲かる仕事じゃないじゃない……」



 「ちょっと見せて」 小坂は鍵付き書庫を開ける。 撫子は、ただコーヒーを飲んでいる。


 「結構、増えた?」 「おかげさまで」 こんな感じで時間が流れる。



 「せっかくだから、しっかり話そう」 小坂はノリノリだ。


 「それで、本音は?」 撫子が聞くと、小坂は下を向く。

 「?……由奈?」



 「ちょっと、しんどくなってね……」 


 「うん……」 撫子は相槌をうつ。



 小坂もベテラン枠に入り、段々と難しい相談が増えてきたとのこと。

 どの相談も大変ではあるが、病気の種類や重さなどで判断をされる。その解決に難しい案件が増えて頭を悩ませているとのことである。



 「最近だと難しい案件あった?」 小坂が聞くと


 「ん~ ダブル・パーソナリティかな……」 


 「それって、病院の範疇はんちゅうじゃないの?」 小坂が驚く。

 「その病院から任されたのよ……」 



 「まぁ、治療は病院だけどね」 撫子は笑いながら話す。


 「なんか、遠い存在になったな……」 小坂が肩を落とす。


 「なんでよ? 変わらないよ。 個人でやるか、病院でやるかの違いでしょ?」

 撫子の言葉に、小坂は段々と元気がなくなる。



 「……」 「飲みにいくか?」 撫子は沈黙を嫌がり、居酒屋に誘った。



 「私、ビール。 撫子は?」 「ハイボール……」 

 向かい合う二人のテンションは低め。 友人が悩むと、つられるものである。



 「それで? 正直、何を悩んでいるのよ?」 カウンセラーに悩みを隠しても無駄のようである。



 「今、大学病院の方を辞めようか悩んでる……」 小坂は小さい声で悩みを切り出すと、


 「辞めたらいいじゃん……」 撫子は軽く返してしまう。



 「ほえ? そ、そんだけ?」 小坂はテーブルに手をつき、身をのりだす。

 「うん……」



 そして、少しの沈黙が流れる。 二人は待ったままで姿勢を崩さない。

 運ばれてきた飲み物のも手を付けず、見つめ合ったままだ。


 周囲が見たら「??」と思ってしまう光景だが、カウンセラーには『待つ』ということが習慣になっており、窮屈にならないものである。



 「じゃ、飲もうか」 撫子がグラスを持つ。


 二人は学生時代の話をしたり、楽しい時間を過ごす。



 「あちゃ~ 終電逃した~」 小坂は腕時計を見ながら叫ぶ。

 「あらら……」 撫子はニコニコしている。



 「コッチ、終電早過ぎ―」


 こうして二人は撫子のアパートまで来た。



 (昨日掃除してて助かった……) 撫子は胸を撫で下ろす。



 二人は交互でシャワーをし、就寝準備をする。 そこに小坂は、

 「ナデシコ…… 部屋、綺麗にしてるね~」


 これが、本当に偶然だったので 思わず

 「あはっ― あはっ……」 と、しか言えなかった。



 翌朝、目覚めるとコーヒーを淹れる。

 「はい。 朝食が無いんだけど……」 撫子は申し訳なさそうにする。



 二人でコーヒーを飲んでいると、撫子が

 「いつまで休むの?」 と、聞くと

 「有給消化中……半月くらいかな?」 小坂が返すと

 「決定なんじゃん」 



 「しばらく泊めてもらっていい?」 小坂が小さい声で頼んでいる。

 「いいわよ。 じゃ、ウチの仕事も手伝ってくれる?」 撫子は承諾し、二人で「てのひら」に出勤することになった。



 「今日は……武藤さんか。 由奈、やってみる?」 撫子は無謀にも、自身のクライアントを預けた。


 「大丈夫?」 当然ながら小坂は慌てる。

 「大丈夫。 私のファイルを見てね」 撫子は言い残し、キッチンに向かった。


 小坂は必死にファイルを読む。

 「あのさ……このファイルなんだけど、クライアントが話す言葉の上に(w)(c)(f)って書いてあるんだけど……」 



 小坂はファイルのマークが気になっていた。 これは学校では習っておらず、小坂でも理解できなかった。


 「これはね……(w)笑って話している場面。 (c)はcryだから泣いている場面。 (f)はfineだから笑顔で話してる場面よ」 撫子は独自の説明をする。 これには小坂も、

 「わかりやすい……感情も取りやすいわ~」  絶賛していた。



  “ピンポーン” チャイムが鳴る。


 「はーい」 撫子が玄関に向かう。

 「こんにちは。 武藤さん……看板、お願いしますね」 撫子が明るく話すと、武藤は笑顔になっていく。



 そしてカウンセリング室に入ると、

 「えっ?」 武藤は驚く。 そのはず。カウンセラーの席に座っていたのは小坂だったからだ。



 そこに、撫子が説明をする。

 「今日、大学病院の方から来てくださったカウンセラーの小坂さんです。 今日は一緒に進めていきましょう」 


 撫子が説明すると、武藤は恐縮しながらも笑顔だった。

 武藤は明るい性格であり、心を壊している訳ではないので小坂をあてたのだ。



 「では、始めます。 よろしくお願いいたします」 小坂が頭を下げる。



 こうして 「代打、小坂」が入り、カウンセリングは和やかに進んだ。

 「今日はありがとうございます。 小坂先生……」 武藤が頭を下げる。


 「また、お会いしましょう……」 小坂は笑顔で見送った。



 そしてファイルの作成に入る。 小坂はパソコンで叩き、会話の上に手書きでマークを付けていく。


 「ねぇ、ナデシコ……どうして私がカウンセリングを?」

 小坂は疑問だった。 突然に言われ、カウンセリングをしたのだから戸惑いは当然である。



 「そりゃ、由奈が退職しても同じカウンセリングという仕事をして欲しかったからよ。 別の仕事も視野に入れてたでしょ?」


 撫子が言うと、小坂の目に涙が溢れる。

 「ナデシコ……」 そう呟き、小坂は泣き崩れた。



 「まだまだ、頑張ってもらうよ♪」 


 二人は職場を後にし、食事を作る。 この日、撫子が食事を振る舞う。

「ね~ ナデシコ……なんでソファーの前に洗濯カゴがあるの?」

 小坂の疑問に “ギクッ ” とした撫子であった。


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