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第二話  高齢の鍵

第二話    高齢のかぎ



 「今日の予約は坂下さかしたさんか……」 

 朝、目覚めてベッドから出た撫子は、コーヒーを飲みながらスケジュール確認をする。



 この日のスケジュールは、午前の一件と午後に一件の予約が入っていた。



 そして朝食、コーヒーと トーストがいつもの朝食である。


 朝食を済ませると、「……」 少し悩む撫子。


 これは、洗濯やら掃除である。

 基本的に家事は嫌いではないが、少し めんどくさがりなのだ。



 「よし、明日出来ることは明日にしよう!」 そんな性格である。



 こうして撫子は職場に向かった。


 予約の数時間前から事務所に行き、電話の予約を待つ。


 彼女にはホームページも無く、予約は もっぱら電話連絡かカウンセリングが終わってからの次回の予約である。



 「パソコン、苦手なのよね~」 現代っ子の割に、アナログ人間な撫子であった。



 そして予約の時間になると

 “ピンポーン ” チャイムが鳴り、玄関を開けるクライアント。



「こんにちは。 お待ちしておりました~」 撫子が挨拶をする。


「こんにちは。 今日もよろしくお願いします」 丁寧に挨拶をし、中に入ろうとしたのは坂下さん。


年齢は七十代になる。 そんな坂下さんには悩みがあった。



「坂下さん、いつもの札をお願いしますね」 撫子が坂下に言うと、

「あっ、忘れてた。 いつも忘れちゃうのよね~」 坂下は、苦笑いをしながら玄関の取っ手に掛けてある札をひっくり返し『面談中』にする。



この作業は、撫子の提案であった。

単に面倒だからではない。 これは決まった作業を繰り返し、自分の意思で面談を求めに来た合図である。


この簡単な作業こそが回復の一歩と考えていた。



“面談を嫌がらない。 自分の意思で来ている ” の、意思で札をひっくり返す作業と繋げていくのである。



「もう何回目かしらね~」 坂下はニコニコしながら話している。


「そうですね~ 今月だけでも四回、よく来てくれました」 撫子も笑顔で話す。



最初の頃は、無口で反応が鈍かった坂下だが、カウンセリングを受けてからは笑顔も増えていった。



坂下がカウンセリングを受けるキッカケはこうだ。



坂下が娘と一緒にカウンセリングに来た。

「ようこそ、いらっしゃいました。 坂下さんですね?」


「……」 坂下は黙ったままであった。


「すみません、よろしくお願いいたします」 そう言ったのは、坂下の娘である。


「では、問診票がありますので ご記入をお願いします」 撫子が紙を差し出すと、娘が記入していた。



「すみません……娘様ではなく、ご本人さまの ご記入でお願いします」

撫子は、新しい問診票を坂下に差し出す。



「私ではダメなのですか?」 坂下の娘は、驚いた様子で撫子に話すと



「はい、ご本人様にお願いしております。 出来る範囲はんいで結構です、お願いします」 そう言って撫子は坂下の娘を見ず、坂下本人を見つめる。



そして、坂下は細い字で名前から書きだす。


撫子は、じっと書いているところを見つめていた。



(そういうことか……) 


坂下が書いている名前は間違いなさそうだ…… 

ただ、名前の横が問題だった。



「やだ、お母さん……なんで年齢が三十五なのよ……」 これである。


「娘様、静かに」 撫子が坂下の娘を止めた。



坂下は、書ける所を記入した。

撫子は、それを見ると


「お名前を読みますね。 坂下 智子ともこさん、お間違いないでしょうか?」

坂下は頷く。


「娘様のお名前が記入されておりませんが?」 撫子が聞くと、


「私の名前は、坂下 優実ゆうみといいます」


「ありがとうございます」 撫子が別の紙に記入をする。

坂下自身で書いた問診票は、彼女の現状を把握するのに重要なものである。


撫子が聞いて記入をした用紙は、別で保管するようになっている。



「それでは優実様は何故に ここに来ようと思いましたか?」

撫子は、娘の優実から事情を聞く事にする。



 これは、カウンセリングに来る意味を知りたかったからである。

 心理士にアドバイスを求めるのは悪い事ではないが、順序がある。



 「この用紙を見ると、智子様のカウンセリングではないような気がしまして……」 撫子は優実を見る。



 「なぜでしょうか?」 優実が聞くと


「これは智子様が相談に来たいようには見えませんでしたので……」

撫子が言うと、優実の顔がひきつる。



 「お母さま……智子様が変だと感じたのは、いつ頃からですか?」


 「……」 優実は答えられなかった。


 撫子は、もう一枚の問診票を取り出した。


 「ご記入をお願いします」 撫子が言うと、優実に紙を差し出す。


 

 優実が紙を記入すると、撫子が別紙に書いた物を渡す。

 「これは精神科の病院です。 智子様を病院に連れて行ってあげてください」


「これは……つまり……」 恐る恐る、優実が聞く。



「おそらく認知症だと思います。 ここで正確に診断してもらうのが先決だと思います」


 撫子は、そう言って病院を紹介した。



 「優実様、大変でしたね……信じたくはないと思っても、こればかりは……」


 「すみません。 私の覚悟が出来てなくて……」 優実は涙を流していた。



 そんな最初の出来事から三ヶ月、母の智子と娘の優実が交互で来るようになっていた。



 母、智子の病名は アルツハイマー型認知症である。



 そして、娘の優実は介護疲れからの鬱病うつびょうと診断されていた。



 しかし、優実は介護というものをしていない。

 ただ、物忘れの多い母親のカバーをしてきた事にストレスが溜まっただけにも見えていた。



 ただ、終わりの見えない介護生活に不安を感じる人は少なくない。


 優実も、その一人である。 そんな二人のフォローをすべく撫子はカウンセリングを行っていた。



 そこで撫子は、智子の日常チェックを行う。

 「今日は何月何日ですか?」

 「ここは、何処どこか分かりますか?」 などである。


認知症は脳の萎縮いしゅくなどから発症する。 これはアルツハイマー型認知症の例だが、他には脳血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症などがある。



 改善や、進行を遅らせるための薬がある。 しかし、それは完全ではない。


 認知症が進むと、会話などが乏しくなり億劫おっくうになる。

 言語が上手に伝わらないと諦めたり、キレたりする。



 そこで撫子は、会話を重視させる。


 持ち物検査をしたりする。


 「智子さん、ハンカチ持ってますか?」

 「はい」 バッグからハンカチを取り出す。


「智子さん、家の鍵は持っていますか?」 撫子が聞くと

「鍵……鍵……」 智子は慌てて鍵を探し、バッグをあさるが出てこない。



 智子は鍵を持っていない。 無くすからと言って、優実が持っているのだ。


 それから智子はバッグを漁り続けた。



 「あっ、今日は優実さんが持っているんだったわ。 ごめんなさいね、私が勘違いしちゃって……」 撫子が智子に言うと、ホッとした顔で微笑んだ。



 智子はカウンセリングに来て、九十分になる。


 「智子さん、もうすぐ時間なんだけど 何か思うことはありますか?」

 すると、「いいえ、ありがとう」 智子は微笑んだ。



 それから娘の優実が、智子を迎えにきた。


 「今日は、ありがとうございました」 そう言って、智子の腕を掴むと



 「―嫌……」 智子がそう言って、腕を引き離す。


 

 その瞬間を撫子は見ていた。


 

 「優実様……智子さまの介護保険は入っておられますか?」


 「いいえ、それがなにか?」 優実はポカンとしている。



 「ここのカウンセリングは、私としても有難いです。 ただ、もっと優実様の節約になることを ご提案させて頂きたいのです」


 撫子の言葉で優実の動きが止まる。


 「介護保険証を貰って、デイサービスに行かれてはどうかと……」


 「デイサービス?」 

 「はい。 高齢者の友人も出来ますし、運動も出来るサービスです。 カウンセリングより安い値段で出来ますから……」



 「そんなのあるんですか?」 優実が驚く。


 「もし良かったら、私が案内しましょうか? もちろん優実様のカウンセリングの時間に充ててもらってさえ頂ければ可能になりますが……」


 

 優実は、数秒ほど考えてから

 「お願いします」 と、返事をする。



 後日、撫子は優実と智子を連れて役所に来た。



 「介護保険の申請に来ました」 撫子が言うと、

 「では、こちらに記入をお願いします」 役所の女性が書類を持ってきた。



 ここから優実が記入をし、提出する。


 「こちらが病院での診断書になります」 撫子が診断書を申請書と付け加える。


 「では認定調査の日程を、後日に連絡いたします」 役所の女性は、そう言って申請が完了した。



「本当にありがとうございました」 優実は撫子に頭を下げ、感謝を伝えると



 「本当に大変になるのは、これからです」 そう言って、撫子は事務所に戻っていった。




後に、智子は要介護認定がおりた。

 要介護2となり、デイサービスの利用が始まった。



 「よかった~」 撫子は胸を撫でおろし、クライアントが一人減ったが安堵の表情を浮かべた。



 そして午後のカウンセリングも終えて帰宅する。



すると……


 「洗濯ダルい~ 誰か、私の家事上手になるようにカウンセリングして~」


 そう叫ぶ、ナデシコであった。





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