第十六話 微笑みの代償
第十六話 微笑みの代償
八田からの連絡に撫子は衝撃を受けていた。
「私、ファンだったんです」 撫子が言う。
「あの……えっと……」 八田は困っている。
八田からの相談は、アイドルがストーカー行為をされて精神をすり減らしてしまったとの内容である。
そのクライアントの名前を言うと、撫子が食いついてきたのだ。
「久坂さん……?」 八田が言うと、撫子は真顔に戻り
「それで、ご用件は?」 声が変わった撫子に、八田は戸惑いを見せる。
「今回の行為で、彼女はPTSDになっている。 僕も診察をしてカウンセラーに悩んでいたところなんだ……」
PTSD……深刻なトラウマ体験に晒されて生じる特徴的なストレス障害である。
八田の話は、大学病院で診察とカウンセリングをしていたいが、人が多くてアイドルや有名人が来ると目立ってしまう事を懸念していた。
週刊誌やゴシップを防ぐ為の配慮でもあった。
(そこにファンが居たとは……) 八田は苦笑いしか出来なくなっていた。
翌日、撫子は大学病院に来ていた。
待つこと2時間……
(お待たせしました、久坂さん……) 八田は申し訳なさそうにしている。
「いいえ、お忙しそうですから……」 撫子はニコニコしている。
「早速だが、これがカルテとカウンセリングのファイルです。 隣の部屋を使ってください」 八田は、隣の第二診察室を用意する。
基本的にカルテやファイルの持ち出しは厳禁であり、撫子も解っている。
ここからは頭に叩き込むしかないのだ。
クライアントの名前は、黒田 遥 二十歳。
しかし、アイドル名は、西田 遙 十九歳となっている。
(どっちも紙一重だな……) 撫子は思ってしまう。
確かに、ほんの少しだけ いじった感のある名前になっている。
撫子は、カルテとファイルを読んでいく。
内容は、西田のファンが住まいを見つけて付きまといをしている。 そこからエスカレートをして、ポストを漁ったりとプライベートも侵害していくというケースである。
西田は数回の引っ越しを経て、ようやく落ち着いてきた頃であった。
「いるんだな~ こういうの……」
さらにカルテを読んでいく。 そこには既往歴なども書いてある。
「先生、ありがとうございました」 撫子は読み終わった後、八田に挨拶をする。
「久坂さん…… この後は予定ある?」 八田は手で飲む真似をする。
(飲みか……暑いし、悪くないかも)
撫子は指でOKサインをして事務所に戻った。
夕方になり、八田から着信が入る。
撫子が居酒屋に向かうと、八田が手を挙げていた。
「すみません。 お待たせしました」 撫子が頭を下げる。
そして二人はビールを飲みながら話しをしていく。
撫子は周囲をキョロキョロして、人に聞かれないかの配慮をすると
「先生、彼女ですが……」 彼女とは西田の事である。
「既往歴ですか?」 「はい……」
「問題あるよね……」 八田がグラスのビールを飲むと、
「はい…… 三年間で5つの診断は、ちょっと……」
西田の既往歴には、『適応障害』『うつ病』『パニック障害』など5つの診断がされていた。
「普通、短期間にそれなら入院しててもおかしくないですよ……」 撫子が言うと、
「前の先生が気になるね……ただ、これらが何を引き起こしているのかを探さなくては解決しないと思うんだ……」
「確かに、それだけの既往歴があって普通に笑顔を振りまけるのは凄いですよね……」
撫子と八田は居酒屋を出た。 自宅に帰り、心理学の本を読む。
「もし、パーソナリティに問題がなく診断は出されないはず…… それに、そんなに身バレする? 何回も引っ越した訳でしょ?」
自宅での独り言が大きい撫子だが、これは仮説などを立てる時に使っている言葉であり、精神面では安定している。
撫子は、西田とのカウンセリングを決める。
「先生、予定をお願いします」 撫子は八田に電話をし、予約を組んでもらうことにした。
これは撫子から連絡をすると、個人情報が流れたとクレームになりかねないからだ。
順序として西田から撫子に連絡をして、予約を取ってもらうようにする。
そしてカウンセリング当日。
『ピンポーン』 インターホンが鳴る。 西田である。
「よくいらっしゃいました。 すみませんが、札をひっくり返してもらっていいですか?」 撫子は笑顔で言うと、西田は笑顔で札を返した。
(笑顔だ……) 撫子の観察は始まっていた。
「まず、問診票をお願いいたします。 時間には含まれていませんので、ゆっくりとお書きください」 撫子は西田の問診票を目で追っていく。
(あれ?) 撫子は自身の目を疑った。
撫子は表情を変えないまま、問診票の記入を見届ける。
(この名前…… 誰?)
そこには『鈴木 ほたる』 と書かれていた。
年齢は25歳になっている。
撫子はそのままカウンセリングに入る。
「では、カウンセリングに入ります。 鈴木さん、よろしくお願いいたします」
撫子が頭を下げると、鈴木と呼ばれた女性も頭を下げる。
(ここは最初から普通に話していこう……) 撫子の頭の中でプランが出来上がる。
「鈴木さん、このようなカウンセリングは初めてでしょうか?」
撫子が聞くと、鈴木は返事をしない。
(きたか……)
「西田さん……」
撫子は言い方を変えてみる。
「はい……」 西田は目を丸くして 「ここは……?」 カウンセリング室を見渡す。
(やっぱりか……) 撫子は深呼吸をすると、柔らかい表情を浮かべる。
(ダブル・パーソナリティだ……)
ダブル・パーソナリティとは二重人格である。 極度の緊張や精神的ストレスが重なり、無意識に逃避を行ってしまうこと。
実際に別人になってしまう。
これには違うと言う学者もいるが、症例としてあがっているのも事実である。
「西田さん?」 撫子が顔を覗き込む。
「はい」 西田は笑顔を見せる。 (この顔はアイドルの顔だ)
「安心してください。 ここは完全なプライベートの空間です。 検査でもなければ、細かく聞く事もありません……」
西田は安心するような表情をする。
「ここでは西田 遙 を忘れて、黒田 遙になってください」
「はい……でも……」 西田は落ち着かない様子をみせる。
「きっと大変なんでしょうね、アイドルって……」 撫子が切り出す。
「……」
「ここではクライアントの「黒田様」と呼びますが、よろしいですか?」
「はい」 黒田が頷く。
「黒田様……ここに用紙があります。 こちらの紙には一番、嬉しかったこと。 こちらの用紙には一番、嫌な事を書いてみてください」
撫子は鉛筆を渡す。 ここではボールペンやシャープペンを渡さない。
強いストレスなどを感じているクライアントには、金属などの物を渡すと自傷の恐れがあるからだ。
撫子は注意深く黒田の鉛筆の行方を見ている。
黒田が悩みながら紙に書いていくと……
(くるか……)
黒田は鉛筆で書くことを止め、笑い出す。
「あれ? ここは? ねぇ、飲み物あります?」 黒田はニコニコして話し出す。
「わかりました。 鈴木さん、麦茶でいいかしら?」 撫子は名前を変えて聞くと、
「お願いします♪」 と言った。
麦茶を出し、撫子は考える。
(鈴木のままカウンセリングをしても無駄……彼女の表情は明るい。 ストレスから逃避している鈴木には意味がない……)
「ねぇ、鈴木さんて出身はどこ?」 撫子は世間話に切り替える。
「練馬区よ♪」
(確か、オフィシャルでは千葉だったよな……これは、誰なんだろう……?)
実際、撫子はダブル・パーソナリティの人と会うのは初めてだった。
まさに、手探りの感覚だ。
症例で何件かの事案は出ているが、そんなに見れるものではない。
日本でも数件の事例しかない。
撫子は考えていく。
(これは、彼女の居やすい場所にしてあげるのが正解なのだろう……ただ問題がある。 きっと、鈴木という場所が逃避先であるから安心なのだろうが、彼女は明るく何でも話してしまう……きっと身バレで何度も引っ越したのは鈴木が話してしまったのだろう……)
撫子は仮説を立てていく。
「すみません……鈴木さんは、お一人で帰れますか?」 撫子が聞くと、
「……」 鈴木は返事をしない。
「黒田さん?」 「はい。なにか?」
(いつの間に切り替わったんだ?)
「お時間になりますが、何かお話をしたい事はありますか?」
撫子が聞くと、
「私、面倒ですか? よく、記憶が曖昧になるのですが……」
「大丈夫ですよ。 これは自己防衛ですから」 撫子は微笑んだ。
その後、撫子は八田に連絡を入れた。
「あの……黒田様の件で、明日伺えますか?」 撫子が言うと、
「夜、事務所に伺います」 八田は電話を切った。
夜になり、撫子は八田に説明する。
「つまりダブル・パーソナリティな訳なのか……」
八田は納得したような声になる。
「この病名と判断するのは先生です。 私はカウンセラーですので診断は出来ませんよ」 撫子が笑う。
笑顔を見せ、歌い、踊り…… そのスポットライトを浴びる事は光栄なことだ。 しかし、その為に支払う代償は大きい。
アイドルとして活躍するのは大変である。 どの仕事も大変だが、有名人となるとプライベートというものが無くなっていくようにも思える。
そのプライベートは気の休まる空間であるも、他者から見れば「それは甘い蜜」のようなもの。 それを隠しきらないと自身を守れない。
大変な職業である。
「んっ? 私は綺麗じゃないから、無縁な感覚だわ……」
そう呟く撫子であった。




