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第十一話 ひとりごと

第十一話    ひとりごと



撫子が、ある記事を読んでいる。 それは日本における心理カウンセリングの認知度である。



統計で見ると、先進国での認知度は最下位。


スウェーデンなど北欧に比べ、遙かに差がある。

北欧などのカウンセリングの先進国は、週に五十時間以上の労働者は少ない。カウンセラーなどを利用し、心の安定が効率を高めているという。



また カウンセラーも多く、学校や職場にもカウンセラーを配置している所もある。


近年、日本でも学校にカウンセラーを置く所も出てきているが、事件などがあった学校が生徒のケアの為に配置する程度である。



なぜ、日本ではカウンセリング後進国なのか?


多くの意見の中から見ていこう。

まず多いのが、『少ししたら大丈夫』 と思ってしまう。


簡単に言うと、『時間が解決する』という発想である。



確かに時間が経つにつれ、事の重大性は薄れていく。 それは次に起こる問題や悲しみ。 または楽しみが交わることで重大性は薄れていくだろう。


しかし、それは解決ではなく『視線を背ける行為』である。



それが浸透している為、なかなか日本では使われないのかもしれない。


次に多いのは、『たいした問題ではないと思った』 『自力で解決できると思った』などが多い。


これは本人しか分からない問題である。


『たいした問題ではない』『自力で解決しよう』 これは立派な事だと思う。



ただ、精神が強く、経験が豊富なら自力で解決も出来るだろう。

しかし、心や精神に負担を掛けるので『問題解決』をした先に払う代償が大きい。


そこで、時間を掛けて視線を背けても “すり減った心の傷は治らない ” と言っても良い。


治ったと思ったものは、見ないように誤魔化しているだけとも言える。



これは個人を否定する訳でもなく、むしろ 『心のケア』に敏感になってほしいと思っている。



「精神の国、日本」と呼ばれる所以ゆえんだろうか、我慢強いことは立派である。



撫子は、そんな記事を読んでいた。


「なるほどね~。 確かに大学院でも専攻する人は多くない。 昔よりは増えてきてはいるが、微増程度だよな~」 独り言にしては、理論的な撫子である。




以前に撫子が “一枚の紙をメンタル ” とたとえていた。


「これから心境を ひとつずつ言ってみてください」 撫子がクライアントに説明をする。


クライアントが言葉にしていく。


「辛い」と言うと、撫子が手にしている紙を『クシャ』と握りつぶす。

「寂しい」 というと、また紙を『クシャ』と握り潰していく。


何度か繰り返すうちに、紙がシワだらけのクシャクシャの紙になる。



「これを心の傷だと思ってください。 この紙、元のように真っ直ぐに綺麗な紙に戻せるでしょうか?」


撫子がクライアントに聞くと、


「いいえ。 こんなになった紙じゃ、元通りには……」


「そうですね。 一度ついた傷を治すのは不可能に近いのです。 なので、時間が経てば……なんて我慢しても苦しいだけなんですよ」 


撫子が優しい笑顔を見せると、

クライアントはホッとした顔になっていた。



さらに、

何も話せなくなったクライアントが来る。


それは問診票も書けなくなるくらいだ。


問いかけににも うわの空。 まったくをもって人形のようである。



こうなると撫子もお手上げである。

カウンセリングをしたいが、話ができない場合は病院を紹介する。



その後、そのクライアントは精神病院に入院してしまうことになる。


(どうして ここまでなる前に……) 撫子は寂しさを覚える。



「まだ、これくらい……」 と、思った結果が取り返しのつかない結果を招く。


これではカウンセリングが無意味になってしまう。

後に病院に行き、入院となっては時間もお金も掛かってしまう。



我慢も良いが、し過ぎは心を破壊しかねないのだ。



メンタル先進国のスウェーデンでは、2016年に「予防と意識向上、ケアへのアクセス、社会的弱者の重視」に焦点をあてたメンタルヘルス戦略を導入している。


愛する人を失った人や、ハラスメントに苦しむ若者を中心に悩み応じて相談できるホットラインが出来ている。


抜本的な意識改革である。



同じく北欧のノルウェーでは、人口に対して精神科医の割合が高い。


これにはカウンセリングなどのハードルが低く、欧州で自殺が減ってきている象徴とも言える。



こうしてメンタルに焦点を充てる事により、自殺や社会的孤立などを減らすことが出来る。


“そんな社会であってほしい ” と思った撫子が心理士を選んだ理由でもある。


もちろん、カウンセリングをすれば経済的な負担も強いられる。


しかし、我慢をすれば心の負担が大きくなっていく。

それで社会からの離脱をしなくて済むなら、むしろ得になるのではないか?という考えである。



ここで知ってほしいこともある。


もちろん、カウンセリングに来る理由は決まっている。

悩みと相談である。



しかし、相談だけなら家族や友達でも出来る。

心理カウンセリングというものは心理学を基礎としている。


結論だけのアドバイスを求めるのであれば、心理カウンセリングの意味をなさないのである。


少し細かくなるが、心理カウンセリングとは『自立支援である』。


本人の意思決定が出来るように、心のケアをしていくのがカウンセラーである。


ちょっと困ったこと、悩んだ事柄を話すだけなら友人でも、家族の方が良い。

人間関係が円滑にもなるし お奨めする。



心身が摩耗し、苦しさやモヤモヤが出てきた場合に心理カウンセラーが良いだろう。



いまや大学などで専攻する人や、通信講座で取得する資格でもある。

これらは心理学の基礎を学んでいる。



もちろん学んでいるが、万能ではない。


心理カウンセラーは医者でも薬でもないからだ。



なので、心理カウンセラーから病名を言うことは出来ない。

これは医師が診察を行ったうえでの病名が判断される。



安易にカウンセラーに

「これは○病ですか?」 と聞いても答えられないのだ。



撫子はコーヒーを飲みながら本を読んでいる。


あらゆるクライアントが来る為、ケース記録が出ている本を読んで知識を深めている。



人や動物には心を持っている。

その心は複雑で、社会環境の中で変化していく。


それに適応していかないといけないのだ。



そんな摩擦の中で我々は生きていかないといけないのである。



今日もカウンセリングの前、撫子は本とコーヒーで心を落ち着かせていく。


そして、クライアントが来る時間が見えてくると

数回来ている場合は過去のファイルを見る。



これは回を重ね、回復傾向にあるか確認をする。

もし、これが違えば療法の見直しを図らねばならない。


また、病院から『○○の療法でお願いします』 と、言われる場合もあり進めていく。


そして結果が見えない場合は医師にも説明していく。


しかし、あくまでも医師の言葉が最優先である。



『ピンポーン』 玄関のチャイムが鳴る。

撫子は玄関に向かい、ドアを開ける。



「こんにちは♪」 落ち着いた笑顔を見せ、カウンセリングの部屋に通す。


「あっ、玄関の札をお願いしますね♪」 撫子がクライアントにお願いをすると、

「あ、そうでした……」 クライアントも気づく。


こんな小さなやりとりが 会話を生み、心を休ませるのだ。



「今野さん、今日の気分はいかがですか……?」 



撫子は心理カウンセリングが好きである。

心を支え、豊かにしようとする。


そんな小さなカウンセリングの事務所、

『てのひら』である。



「はい。 またお待ちしていますね♪」 撫子が小さく手を振って見送る。




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