第一話 カウンセラー なでしこ
第一話 カウンセラー なでしこ
三月上旬
「……今日の時間はここまでですね……次回の予約ですが……」
こう話をするのが、久坂 撫子である。
「では、四月の四日、十四時に予約をしておきますね。 ゆっくり、お過ごしくださいね」 撫子は、そう言って客を見送る。
「ふぅ……」 撫子がインスタントコーヒーを淹れて疲れを癒す。
「ズズッ……あちっ」 まだコーヒーが熱かったようだ。
この女性は 久坂 撫子。 二十八歳、心理カウンセラーをしている。
大学院で臨床心理士を取得し、そのままカ心理ウンセラーとして開業したのである。
大体は、そのまま病院に勤めるのだが撫子は違った。
「まだ始まったばかり……ビラでも作るか」
撫子が開業して半年になるが、あまりクライアントは多くない。
ここは千葉県の房総。 海が見える場所である。
人口も多くないうえに、撫子は営業を知らなかった。
心理士や、カウンセラーとしての腕は大学院時代から抜群であるが
ただ、集客に関しては下手であった。
「なんて書けばいいんだよ~」 撫子は、髪をぐしゃぐしゃにしている。
“ピンポーン ” インターホンが鳴ると、
「新聞の勧誘かな? はーい」 撫子は玄関に向かった。
職場はアパートの一室を借りて営業している。 住まいは別のアパートを借りているのだ。
撫子が玄関のドアを開けると、一人の女性が立っていた。
「すみません……急なのですが、相談に……」
その女性は、下を向き覇気のない表情をしていた。
「すみません……完全予約制となっていまして……」 撫子が言うと、
「あの……どのように予約すれば……?」 女性の言葉に、
「はっ― お待ちください」
そう言って撫子が奥から紙に電話番号を書き、女性に手渡す。
女性は紙を受け取り、下を向く。
(なんか緊急かな?) 撫子は女性の表情から読み取り、
「よかったら、今から聞きましょうか?」 つい、声を掛けてしまった。
完全予約にしているには理由がある。
それは、カウンセラーやクライアントにも準備が必要だからだ。
カウンセリングは時間が決まっている。
言いたいことを まとめてから話さないと時間の無駄遣いになるからだ。
ただ、心神が弱っている状態では話しも上手に出来ない事も多いのだ。
そんな状態を撫子は察知し、カウンセリングを行うことにした。
そして、カウンセリングが始まると
クライアントの女性が、なかなか言葉を出さない。
「……」 撫子は、女性が話すまで我慢する。
これはカウンセラーの『待つ』という基本動作である。
話しの催促は厳禁なのだ。
待つこと二十分、ようやく女性が話し始める。
「今、離婚しようか悩んでます……」 女性が下を向きながら口を開いた。
「そうですか……離婚しようと悩んでいるのですね……」 撫子が相槌を打つ。
カウンセラーは、相槌を打つ時に『オウム返し』をする。
明確に聞いていますよ……という合図である。
そして、また会話が止まってしまう。
撫子は、横から用紙を取り出す。
「ここに記入しながら話してみましょうか?」 撫子が用紙を差し出すと、女性は記入し始めた。
これは問診票のようなものである。
心が疲れたのは いつ頃か? 現在は病院などに通っているかである。
その中には家族構成なども含まれている。
女性は問診票を見て、書き始める。
それを確認した撫子が声を掛ける。
「だいぶ前から悩んでいらっしゃったのです?」
「はい……二年くらい悩んでいました……」 女性は静かに答えた。
「失礼ですが、どうして……?」 撫子が切り込むと、女性はスラスラと答えるようになっていた。
(可哀想に……自分の気持ちに蓋をして生きてきたんだな……)
聞かれれば答えられるが、自分の意思では言えない……
典型的な心神衰弱である。
撫子は、クライアントの手を見る。
(細く、関節の部分が骨ばってる……あまり食事も摂れてないのかな)
クライアントは、自分の事を客観的に見られない。
しかし、心の病は身体に必ず影響してくるものである。 撫子は見逃さなかった。
クライアントは、問診票を書きながらだとスムーズに受け答えが出来ている。
撫子が話す内容は、問診票の部分を読んでいるだけである。
こうして、大体の内容が把握できていた。
カウンセラーは、クライアントと話すときはメモをする。
ただし、メモに集中する訳にはいかず、相手の表情を見ながらメモをする。
そこで撫子は時計を見る。
ここでの料金は、九十分で一万円ほどだ。
この時代で都内であれば、二万くらいかかるカウンセラーも実在する。
田舎町で、リーズナブルな価格を設定したいが経営という問題もある。
そして、この料金が設定されたのだ。
時計を見ると、一時間を越えていた。
この後の予約なども含めると時間を使い、超過してしまう。
こういう時間管理もカウンセラーの腕の見せ所でもあり、
「では、この後はどうしたいでしょうか?」 撫子が今後の方針を話し始めると、クライアントは無言になる。
これも普通にあることである。
「では、お時間になりますが、何かございますか?」 撫子が聞くと
「次の予約……」 クライアントがボソッと言うと
「はい。 予約ですね。 いつにされますか?」 撫子が聞く。
「いつがいいですか?」 クライアントが聞いてきたのだ。
これも、よくある事である。
こういう “心に蓋をする” 人は、長い年月と共に自分の意思を言えなくなってしまうのだ。
「そうですね……一週間、様子をみてから……」 撫子が言い出すと
「それまで我慢しなくちゃダメですか?」 クライアントが言い出した。
「我慢? それは、何に対する我慢でしょうか?」 撫子が聞くと
「私、自分に自信が無いのです……何をしても夫から文句を言い続けられていまして……」
「それを聞きたかったのです。 その言葉を待っていたのですよ」
撫子が微笑むと、女性は泣き崩れた。
「私はここにいます。 話したい時、来てくださいね」
撫子はクライアントをなだめた。
このクライアントは、桜井 明子と言う。
年齢は四十八歳、結婚して二十年。 子供も十八歳で高校を卒業したと言う。
これも問診票を記入しながら答えさせた撫子のテクニックである。
桜井は、礼をして帰っていった。
「ふぅ……」
「あっ! コーヒー冷めてた……」 マグカップを見て、ガッカリする撫子であった。
撫子は私服の上に白衣を着ている。
長い髪で天パ、厚めの眼鏡を掛けている。
お世辞にも美人とは言えないカウンセラーだが、腕前は確かである。
新しくコーヒーを淹れ直し、飲み直す。
そして、個人のファイルを作成するのだ。
個人のフェイスシートを記入する。
これは問診票から氏名、年齢、家族構成などだ。
次に相談の内容と、撫子が話したことなどを細かく記入する。
(後でいいや~) なんてしてしまうと忘れてしまい、記入漏れが出てしまう為、早めに記入する。
そして最後に 『継続』 というスタンプを押す。
これは、まだ継続が必要というスタンプである。
このスタンプの種類は『継続と完了』がある。
大体のクライアントは、「継続」である。
「完了」のスタンプが押された場合のクライアントは、カウンセリングが終了となる。
カウンセラーは、その「完了」を目指していくのだ。
今回の桜井は初回であり、これから本人の言葉から多くの情報を聞きながら快方に向けていく必要がある。
その為の「継続」 のスタンプを押すのである。
そしてファイルが完成したら個人情報を鍵付きの書庫にしまう。
パソコンなどでの保管はダメである。
もし、ハッキングなどされてしまえば個人情報が流出してしまう。
これはカウンセラーの信用を地に落としかねないからだ。
安全に、そして確実なものにする行動がカウンセラーとなっていく。
「これでよし」 撫子が書庫にファイルをしまうと息を落とす。
そして玄関に向かい、ドアノブに掛けてある札をひっくり返す。
この札には「面談中」と「空いています」 との裏表で書いてある。
これを玄関に掛けている。 桜井はドアノブの札を見て、チャイムを押したのだろう。
撫子は海を眺め、「ちょっと散歩するか……」
そして玄関の札に、もう一枚の札を出す。
「外出しています。 予約はこちら……」 と、書いてあり電話番号が書いてある札を掛けた。
そして、海へ向かう。
まだ三月、海で泳ぐには早すぎる。
撫子は、春の風に誘われて潮風に当たっていた。
「うわっ― 潮風で髪が……」
天パで波打つ髪を押さえながら、撫子は散歩を続けていた。
趣味ナシ。 彼氏ナシ。
時間があればコーヒーを飲むのが好きな 久坂 撫子が経営する『てのひら』の物語である。