第7話:揺らぐ視線、迫る影
舞踏会の翌朝。
エリシアは王宮の小さな書斎で、朝陽に照らされる紅茶の香りに包まれていた。
「昨夜は、お疲れでしたね。舞踏会など、慣れておられぬでしょうに」
目の前にいるのは、王――レオン=クロイツ。
彼は自ら茶を淹れ、エリシアに手ずから差し出していた。
この国の王が、元追放令嬢にここまでのもてなしをするとは、誰が思うだろう。
「……ありがとうございました。おかげで、少し緊張が和らぎました」
エリシアが丁寧に礼を述べると、レオンはほんのわずか、唇の端を上げた。
「そうか。それは、何より」
静かで、けれど確かに“人”としての距離が近づいている――そんな実感があった。
だが、ふいにエリシアの視線が逸れる。
(……昨日、ノアール殿下が来ていた)
舞踏会の最中、彼の鋭い視線を確かに感じた。
それは、かつての婚約者としての視線ではなかった。もっと複雑で、戸惑いと混乱を孕んでいた。
――そして今、その“混乱”が王宮の裏で形になろうとしていた。
「まさか……ここまでとは……!」
王宮外の迎賓館にて。
ノアール・ヴァレンティスは、思わず拳を握りしめていた。
あの夜のエリシアの姿が、頭から離れない。
「見違えた、なんて言葉じゃ足りない……あれが……“本物”の彼女だったのか……?」
かつて「魔力が足りない」「地味すぎる」「無能」と切り捨てた少女は、今や王に隣り立つ者になっていた。
その現実が、ノアールの中で何かを狂わせていた。
「奪われた……いや、気づかなかったのは……私か」
彼は顎に手を当て、沈黙の中で考える。
そして、口を開いた。
「……接触の機会を設けろ。正式な外交として、アスヴェルト王国に“我が国からの願い”を伝えたい」
「……それはつまり、“奪還の意志”と?」
参謀の問いに、ノアールは答えず、ただ目を細めた。
(もう一度会えれば分かる。彼女の気持ちが、まだどこにあるのかを――)
その頃、エリシアは中庭で散策をしていた。
すると、先日親しくしてくれた第三国の皇太子・リュシアンが再び声をかけてくる。
「やあ、昨夜の舞踏会以来だね。あの後、随分と注目されていたよ。まるで“王妃候補”みたいにね」
「……そんなつもりはありません」
苦笑するエリシアに、リュシアンは軽く肩をすくめた。
「それはどうかな。君の周囲では、“奇跡”が起きる。そして王は、そんな君を見つめていた」
エリシアの胸が微かに揺れる。
――レオンのまなざしを、思い出したのだ。
厳しく、誠実で、けれどあのときだけは、どこか優しい色を宿していた。
「……あの方は、とても不思議な人です。私のような者に、分け隔てなく接してくださる」
「そうじゃないさ。彼は“君だから”気にかけている。いや――惹かれている」
その言葉に、エリシアの頬が、ほんのりと熱を帯びた。
(……まさか。そんなはずはない)
だがその頃、王宮では王直属の護衛団が極秘裏に動き始めていた。
目的は一つ――
“エリシア嬢に接触しようとする不審な動き”の排除。
そして、ノアール王子の“申し入れ”が、王の耳に届くのはその翌日だった。