第6話:舞踏会の邂逅、そして元婚約者の視線
アスヴェルト王国王妃主催の夜会――
それは、王族・貴族を問わず、各国の要人も顔を見せる外交の最前線であり、王妃の信任を受けた者しか名誉席には立ち入れない、格式高き舞踏会だった。
その場に“追放されたはずの令嬢”が名を連ねるなど、誰が想像しただろうか。
そして、舞踏会の幕が開けた夜――
「……本当に、着るのですか?」
鏡の前で、エリシアは困惑していた。
王妃から贈られたドレスは、深い青のベルベットに金糸の刺繍が織り込まれた、まさに“高貴な者”のための一着だった。
しかもその胸元には、アスヴェルト王家の紋章を象ったブローチが、さりげなく添えられている。
(これじゃまるで、王族の誰かに縁ある者、みたいな……)
だが王妃付きの侍女は、静かに微笑んだ。
「陛下のお心が込められているのです。どうか、堂々とお召しくださいませ」
「…………」
言葉に詰まったまま、エリシアは鏡の中の自分を見つめた。
王都を追われた日、自分は何も持っていなかった。
今こうして“王の庇護”の下にいることを、自分はどう受け止めればいいのだろう。
(……怖い。でも、逃げてばかりでは、何も始まらない)
彼女は目を閉じ、覚悟を決める。
そうして姿を現した“青の令嬢”は――その夜、舞踏会の空気を一変させる。
◇ ◇ ◇
「……誰だ、あの娘は?」
「見ぬ顔だな。しかし、王妃の名誉席に立つとは……」
「まさか、アスヴェルト王のお気に入り……?」
会場にいる貴族たちが、ざわめいた。
その視線を、エリシアは痛いほど感じながらも、背筋を伸ばして進む。
「エリシア嬢。よくぞお越しくださいました」
王妃レイナがやわらかな微笑みで迎えた。
その優しさに、エリシアはようやく息をついた。
だが、そのわずか数秒後。
会場の空気が、また変わる。
「……あれは、まさか……リュクス家の娘?」
金髪の青年が、視線の先に立っていた。
エリシアのかつての婚約者、ノアール・ヴァレンティス王子――彼が、アスヴェルト王国に使節として来ていたのだ。
彼の目に映ったのは、自分が捨てたはずの令嬢が、王妃の隣に並び、誰よりも気品ある佇まいを見せている姿だった。
「……あり得ない。あれは……あれが、あの“無能令嬢”の、姿なのか……?」
彼の脳裏に、捨てた記憶がよぎる。
あの日、平然と婚約を破棄し、追放を命じた“無価値な娘”。
だが――
「お美しい方ですね、エリシア嬢は」
隣で話しかけたのは、舞踏会に招かれていた第三国の皇太子だった。
「……私の国に来ていただけませんか? 陛下に許しを得られれば、ぜひともお迎えしたい」
ノアールは息を呑む。
“他国の皇太子が求める女”として、彼女はそこにいた。
その横顔は、過去のどんな彼女とも違っていた。
美しく、気高く、そして――手が届かないほど、遠かった。
「……嘘だろ……どうして……あんな女が……」
苦い感情が、喉の奥で渦巻く。
だが、エリシアはそんな視線に気づいてなどいなかった。
目を向けていたのはただ一人――
玉座からゆっくりと歩いてくる、漆黒の衣を纏った王、レオン=クロイツ。
彼のまなざしは、会場の誰にも向けられない深さで、ただ彼女ひとりを見つめていた。
「……来てくれて、ありがとう。エリシア嬢」
「こちらこそ……お招き、感謝いたします」
その二人の姿に、ざわついていた会場の空気が、静まり返る。
――このとき、すべての者が理解した。
“アスヴェルト王国が保護する聖女”という噂は、単なる誤解ではなく。
王が選んだ運命そのものなのだ、と。




