第5話:聖なる偶然と、王宮のざわめき
アスヴェルト王国王宮――そこに滞在して三日目。
エリシアはすでに「謎の奇跡の人」として、侍女たちの間で噂になっていた。
「またですか? ほんとうに……?」
「ええ、今朝も。火傷した厨房の少年が、エリシア様とすれ違った途端に痛みが引いたとか」
「昨日は、枯れてたバラが咲いたそうですよ。水も肥料も与えてなかったのに」
「祈ったわけでもないんでしょう? 本当に、ただ“通りかかった”だけで?」
「うん。だからこそ……すごいのよ」
その言葉に、使用人たちの表情は次第に敬意を含んだものへと変わっていく。
――が、当の本人であるエリシアは。
「うう、お願い、誰も何も言わないで……! 全部ただの偶然なんです……!!」
と、部屋の隅で頭を抱えていた。
たしかに、すれ違った少年の火傷は治っていた。
通りすがっただけの植木鉢が、朝には咲き誇っていた。
王妃付きの侍女が貧血で倒れたとき、咄嗟に手を取ったら、数秒後には元気に立ち上がっていた。
だが、彼女にはそれを意識的にやった記憶がない。
「これはきっと……私の中の何かが勝手に……!」
まるで暴走する魔力のように、彼女の中の“神の加護”が周囲へと作用していた。
――本人無自覚のままに。
一方、王はそれらの出来事を淡々と記録していた。
執務室で文官からの報告を受けながら、王・レオンは目を細めた。
「……自然現象では説明がつかない。だが、奇跡と断ずるにも根拠が弱い」
「ですが、陛下。ご自身が目撃された“傷の癒え”……」
「確かに不思議だ。だが本人に自覚がない以上、力として制御されるものでもなさそうだな」
彼の指が書類の端をなぞる。
「だが、あの瞳を見れば分かる。“無意識の純粋さ”ほど、恐ろしい力はない」
「……陛下」
「近くに置いておくべきだ。力として、ではない。人として、だ」
レオンは窓の外を見つめる。
王宮の中庭に、ひとり佇む少女――エリシアが見えた。
花の間を静かに歩きながら、すれ違う者に笑みを返し、言葉少なに礼を尽くす。
それだけなのに、誰もがその場で少し立ち止まり、目を細め、癒されたような顔をする。
(……あれは、才能ではない。存在そのものが、人を癒す)
王であるレオンは、その日、静かに決意した。
この娘を守る。王としてではなく、一人の人間として。
そしてその夜、エリシアの夢の中。
光の中に浮かぶ三柱の神々が、くすくすと笑っていた。
『やっぱり可愛いわ、この子。知らないうちに、皆を幸せにしちゃってる』
『人の噂は止まらぬものだ。まして、真実が混じっていれば尚更だ』
『運命はもう、止まらぬ。あとは彼女の“心”が、どこへ向かうかだ』
神々の笑い声とともに、エリシアの夢は幕を閉じる。
――その翌日、エリシアの元に届くのは、王妃の正式な招待状。
王家主催の舞踏会、その“名誉席”への案内だった。