第15話:神の代行者か、王の妃か――選択の刻
静寂の神殿、最奥の間。
そこは国王ですら滅多に立ち入ることのない、神聖なる“契約の間”だった。
煌びやかな神紋が天井に浮かび、床には古の言葉で刻まれた祝詞の円陣――
エリシアは、その中央に静かに座っていた。
そして目の前には、神殿の最高権威、《聖座》がただ一人立っていた。
「貴女の存在は、神々の加護を統べる“調和の器”――七柱に選ばれし唯一の人間です」
老齢のその声は、敬意と緊張の中間で揺れていた。
「王妃という地位は、確かに重き立場。しかしそれを超えて、我々は貴女に“代行者”の役目を願いたい」
「……代行者……とは」
「“神々の意志”を現世に繋ぐもの。信仰と秩序の象徴、そして調停者。
この地において、貴女だけが担える立場――つまり、“この国における神の声そのもの”となっていただくのです」
それは、王妃よりも遥かに“上位”の存在として、民と神殿から絶対的に崇められる座だった。
だが、それは同時に――“人としての自由”を失う道でもある。
◇ ◇ ◇
エリシアは、自室に戻ったあとも長く沈黙していた。
ただ静かに、窓の外の空を眺めながら考えていた。
(神の代行者……それは、確かに栄誉あること。けれど、私はもう“誰かの光”として生きていくことを選んだはず……)
けれど胸の中には、もうひとつの想いが残っていた。
――もし、私が代行者になれば。
争いも、偏見も、異端の処罰さえ、緩やかに変えられるかもしれない。
――神々の名のもとに、“苦しむ人たち”を救えるかもしれない。
それは、彼女がかつて小さな村で“祈り”を捧げ続けていた頃の願いに、あまりに近かった。
「エリシア」
背後から、レオンの声。
振り返れば、王の姿ではなく――ただ、彼女を見守る男の姿があった。
「君が選ぶ道を、私は否定しない。……だが、覚悟だけはしておいてほしい」
「覚悟……?」
「君が神の代行者となれば――君は“王妃”ではなく、“神に属する者”となる。
つまり、私の隣に立つことは、正式には……できなくなる」
静かな声だった。
けれど、その瞳には隠しようのない痛みがあった。
エリシアの胸が、きゅっと締めつけられる。
(私が、誰かを救う道を選べば――彼の隣にはいられない……)
静かに、深く、息を吸う。
「もし……私が“神の器”として何かを為す力があるのなら――それを、“あなたの隣で”行う道はないのでしょうか」
レオンは、しばらく沈黙していた。
だがやがて、小さく息を吐き、ゆっくりと微笑んだ。
「君らしい答えだな。……ならば、私がその“道”を作ろう」
「……え?」
「神も王も、同じ場所には立てない。ならば――“君のためだけの新しい座”を設ける。それが、王としての私の答えだ」
その声は確信に満ちていた。
「神に属しながら、王の隣に立つ存在。旧来の秩序にはない、新たな形の象徴――それを、君自身が作るのだ」
エリシアは、思わず目を見開いた。
それは“代行者”でも“王妃”でもない。
けれど、神の声と人の意志を両方背負う、ただひとつの在り方――
「……それでも、わたしを……?」
「もちろんだ。君でなければ意味がない」
その言葉に、こみ上げてきた涙をこらえきれなかった。
◇ ◇ ◇
翌日、神殿と王宮の共同声明が発表された。
――新たに創設される“聖和の座”。
神の声を受け取り、王と共に国を治める調停の象徴。
その第一任命者は――エリシア=リュクス。
“神の代行者であり、王の伴侶である者”。
それは、かつてどの国にも存在しなかった新たな在り方であり、
神と人、祈りと剣、癒しと統治の“調和”を象徴する存在だった。




