第1話:婚約破棄と追放、そして神々は笑っていた
――その日、私はこの国で最も愚かしい断罪劇の主役となった。
「公爵令嬢エリシア・フォン・リュクス。そなたとの婚約を破棄する。理由は明白。魔力が致命的に低く、将来この国の妃となるに相応しくない」
王城の玉座の間。多くの貴族が見守る中で、王子殿下――ノアール・ヴァレンティスは堂々と言い放った。
私は黙って頭を下げた。悲しみも怒りも、どこか遠いところに置いてきたようだった。
「……異議は、ありません」
声が震えなかったことが、不思議だった。
「エリシア様……!」
父である公爵は青ざめ、母は小声で嗚咽していた。だが、私はただ静かに笑った。
「この場をお借りして、これまでのご縁に感謝申し上げます、ノアール殿下。お幸せを」
周囲の貴族がざわめき立ったのは、その後だった。
私は、騒がず、泣かず、騒動を一切起こさず、ただ綺麗に頭を下げた。それがかえって「計算された令嬢の芝居」だと勘違いされ、後日私は正式に――王都を追放された。
荷馬車に揺られて三日目、辿り着いたのは辺境の小さな村だった。
空は抜けるように青く、緑がまぶしい。まるで、すべてを許すような世界だった。
「ここが……新しい住処、か」
私は、父が用意してくれた小さな屋敷の前に立った。決して豪華ではないが、心が落ち着く場所だった。
ふと、風が頬を撫でる。
その瞬間、胸の奥が不思議に温かくなった。
――おかえりなさいませ。我が器よ。
「……え?」
風の中に、誰かの声が混じった気がした。だが辺りには誰もいない。
まさか、気のせいよね――と思ったそのとき。
畑にいた村の老婆が、転んで足をひねった。私は咄嗟に駆け寄った。
「大丈夫ですか? お怪我は……」
「あああ、いてて……って、あれ?」
老婆が足を押さえたまま、ぽかんと口を開けた。
「……治ってる? 今、折れた音がしたはずじゃ……」
老婆の足は、すでに赤みすら引き、まるで最初から何もなかったように綺麗になっていた。
――気づかぬうちに、癒しの力が発動していた。
だが、それはこのときの私には知る由もない。
エリシア・フォン・リュクス。
彼女の身体には、三柱の神々――癒しの神、豊穣の女神、そして運命を操る神――の寵愛が宿っていたのだ。
そして、この日を境に、辺境の村では次々と奇跡が起こるようになる。
数日後、畑の作物が倍に育ち、干ばつが避けられ、村を襲う病が自然と治まった。
――村人たちは噂し始める。
「お嬢様が来てから、神様が味方してくれてるみたいだ」と。
そしてこの誤解は、やがて帝都を越えて、隣国の王の耳に届く。
「奇跡の令嬢がいる。寵愛された神の花嫁が、辺境に棄てられているらしい」と。
これは一人の追放令嬢と、三柱の神と、一人の王が紡ぐ――勘違いと運命の恋物語。
始まりは静かに、だが確かに神々の笑い声とともに――。