9)想い人は、帰らない sideセオドア
「アリア殿下が北海に向かわれたようです。追いますか?」
アリアとの連絡係を務めるシリーが、慌てて戻ってきた。
人魚は気まぐれで自由で、同じ海に留まることは少ない。
ただアリアは、近年この辺りの海を遊泳していたから慢心があった。アリアが我が国の領海を出ることは、ないだろうという。
ずっと探していた人魚、アリアと漸く婚約までこぎ着けた。
その手段がだまし討ちに近いことも承知している。それでも彼女の隣にいたかった。そしてゆっくりと、彼女にも心を開いてもらえばいい。そう思っていた。
今アリアに北海に帰られ、そのまま引きこもられたら、策をこらして婚約を結んだことすら無に帰するだろう。
海王が娘を溺愛していることを、陸の王家は痛いほど知っている。
アリアを傷つけた人間は、必ず海の怒りを買う。王家はその度に、人間の王として、海王に丁重なる謝罪をしているからだ。
俺は急いで船を漕ぎ、北海に向かった。
アリアに会いに行くために。自分の気持ちを改めて伝えるために。
◇ ◇ ◇
しかし、海王が“アリアなら1日で到達するだろうが、好奇心旺盛な娘が道中を楽しめるよう長くした”という期限の3日を過ぎても、彼女は北海の城へ戻らなかった。
聞くと、彼女は北海の領内にすら入っていないという。
「アリアは気まぐれながら、約束は守る。その約束が例え、騙くらかされてした不本意なものでもな」
海王は御前に礼をとった私を睥睨した。
私が彼女との婚約をした経緯を知っていて、皮肉っているのだろう。
然もありなん、彼は海王陛下、この海の総ては彼の手の中なのだから。
どんな誹りも、甘んじて受けよう。
アリアを手に入れるためならば。
「アリアが私との面会を避ける訳がないのだ。あるとすればただ1つ、本人の意思に関係なく別方向へ向かっていること」
海王はそう言うと、その大きな拳をきつく握りしめた。
本人の意思に関係なく。
それは、つまり―――。
思わず海王を仰ぎ見ると、彼は苦々しい顔のまま、頷いた。