4)人魚姫は、断れない
朝早くの海はひんやりとしていて気持ちが良い。早く泳ぐと肌がピリピリとするのだ。
だから私とルーは、毎朝一緒に遊泳する。
その2人の日課の中に、今日はもう1人参加している。誘ってもいないのに。
「アリア様、どうか明日の夜会に参加してはいただけないでしょうか」
そう後を追ってくるのは、イワシのシリー。淡水魚を海で泳がせるなと言った私との連絡役として、セオドア様が新しく手懐けたらしい。
最近、このイワシがせっせと、セオドア様からの手紙や手土産を届けに来る。彼は人間界で人気があるらしいが、魚たちを手懐けるのも上手いようだ。恐ろしい。
それはさておき、ルーとの毎朝の楽しみに乱入されるのは辟易している。だからといって夜会への参加なんて絶対にしたくない。
仕方なく泳ぐのをやめて、しなを作りオヨヨと訴えた。
「でも私に脚はなく、このようなヒレですし、陸にあがるなんて恐ろしいですわ…」
「アリア様のヒレが陸に上がるときに脚になると、主は言っていましたよ」
いたいけな乙女に、イワシは冷たい。
そんなイワシを無邪気に後押ししたのがルーだった。
「アリー、行ってみたら?夜会ってドレスを着てくるくる踊るんでしょう?ああ、できるなら私も見てみたい…」
その夢見る様子に呆れながらも、可愛いルーに「せめてどんな様子だったか聞きたいの」などとお願いされてしまっては揺らいでしまう。
久しぶりに脚を出してみようかな、と少し思ったことを敏感に察したイワシは、「明日の陽が最も高くなる刻にお迎えにあがります。では、本日はこれにて失礼致します」と泳ぎ去った。返事を挟む隙も無かった。
無駄にできる魚だ。
それにしても、彼は私がヒレを脚に変えることができることをなぜ知っていたのか。
確かに私は陸に上がる時に、ヒレを脚に変えることが出来る。絶滅の危機に瀕する人魚の中でも私が生き延びているのは、この体質のおかげだと思っている。
私の肉を食べて不老長寿の夢を得ようと捕えられたことも、恥ずかしながら多々ある。そんな時、水槽に入れていたはずの私が、脚を出してスタコラ走る様を見ると人間は呆然と私を見送ってくれる。人間は、相手ができないと思ってることをされるととっさには反応できないらしい。
昔、海王である父が、人間の母に恋焦がれて陸に上がった時、ヒレを脚にした。
その時からヒレを脚に変えることは、“愛の力”と呼ばれている。
しかし王家のものは元々、ヒレと脚を使い分けることができるのだ。必要がないから、しないだけで。
海の中にいることを好む人魚はこの力を使うことも少ないので、この王家のみがもつ体質は人魚でも知るものは少ない。だからこそ、父が母に会うために陸に上った姿を見たものたちが、“愛の力”などと気恥ずかしい名前で伝え、広がっている。
それを何故か、人間の彼が知っている。知っていて、その“愛の力”を使って会いに来いというのだ。
考えただけでうんざりする。
うんざりするが、約束してしまった。一方的ではあったけれど。
私は約束は守る質の人魚なのだ。