10)想い人は、知らない sideセオドア
さすが海王は、愛娘が何処にいるかを正確に把握していた。
急ぎ俺は、教えられた場所へ舵を切る。
風の力に加え、自身も舵を手に全力で漕ぐ。
アリアに会いに行くために船の操縦を覚え、体を鍛えたが、まさかこのように役立つとは夢にも思わなかった。
賊が人間か、はたまた海中の何かなのかは分からない。その速さや強さも、不明だ。
ただアリーが害されることなど、許せない。何者からも救い出してみせる。
俺のただ一人の美しく愛らしい人魚姫。
彼女を手に入れるために、俺は努力を重ねたのだから。
◇ ◇ ◇
俺は六歳の時に、冬の海に落ちた。
船員に投げ落とされたのだ。船のことを丁寧に教えてくれた優しい男だった。
その男が、甲板の手すりにのぼって海を見ようとした俺を支えるふりをして、俺を海へ投げ込んだ。近衛兵も近くに居たが、間に合わなかった。
彼らは慌てて海に飛び込んだが、ふんだんに布を使った豪奢な服を着た俺は追いつけないほどの勢いで海の底へと沈んでいったという。
冷たい。
どうして彼が?
どうして僕が?
苦しい。
もう……無理だ。
質の良い厚手の衣類は水を吸い、俺を海の底へ、更に底へと堕としていく。
冬の海は冷たく、水の重みに体がひしゃげそうになる。息も苦しくなり、肺が悲鳴をあげた。このまま儚くなるのか、と絶望したとき、目の前を銀色の何かが横切った。
その何かは、俺を上へ上へと引き上げて行く。その勢いに体が軋みを上げる。少しスピードを落としてくれ。思いはするものの、口にする力はもうなく。
ーそしてついに、俺は意識を手放した。
◇ ◇ ◇
次に目覚めたとき、俺は岩場に横たえられていた。
海藻にグルグル巻きにされた状態で。
傍には銀色の濡れた髪の毛を胸まで垂らした、黒い瞳の少女。
「ああ、気がついてよかった。あなた、泳ぎがじょうずでないなら、海にはとびこまないほうがいいわ。おうちまで送ってあげる。おうちがどこか、わかる?」
にっこりと笑う彼女に朗らかに聞かれて、私は自分が海に落とされたことを思い出した。途端、震えが止まらなくなり、自分の体を両腕できつく抱きしめた。
城の位置は分かる。
しかし怖かった。
王子とはいえ、比較的平和で豊かな国であり、国民も臣下も王家に対して好意的だった。それに報いるためにも、王族は心配りと努力を忘れてはいけないと教えられ、そのように振舞ってきたつもりだった。
だから、自分を亡き者にしたいとまでの悪意を向けられるなど、考えたこともなかった。
生まれて初めて向けられた、強い害意。
そこまでの感情を隠し、笑顔で優しく接することのできる人間がいるという恐怖。
他にも自分を害さんとする者がいるかもしれないという疑心。
すべてがない交ぜになって、城に戻ることが怖かった。住み慣れた城が、悪魔の巣窟に思えた。
しかしこの小さな少女に「怖い」と口に出すことは情けなく、また口にすると更に恐怖感が増しそうで出来なかった。
だから口をつぐんで、拳を握りしめた。
暫く俺の様子を見ていた彼女は、俺の両手を小さな手でそっと包み込んだ。その瞳は優しく、握りしめた拳の力が少し緩んだ。
それを見た彼女は、はっとしたように俺の顔を覗き込んだ。
「あなた、まいごなのね!だいじょうぶよ!わたしのお父さまは、海のことなら何でもしっているの。とってもすごいのよ!さあ、お父さまにききにいきましょう!」
彼女はにっこりと笑って、小さなその手で勢いよく、俺を海に引きずりこんだ。