漢文
爽やかな初夏の昼下がりの御台所御殿。
相変わらず
熙子の膝で書類を見ている家宣。
家宣の政策の懐刀新井白石の案と
幕府儒家である大学頭林鳳岡の案を
両手に持って見比べていた。
「御台、白石と鳳岡の案、
そなたどう思う?」
熙子は家宣から渡された書類を見比べる。
「どちらも良いと思いますが、
やはり白石殿の造詣の深さと漢文は
見事でございますわね」
「ふむ。そうか。御台もそう思うのか」
熙子は女だが
漢文が読めるばかりか
内容を理解して楽しみ
評価できる教養がある。
世襲の権威である鳳岡より
後ろ盾なくとも才智ある白石を用いる
家宣の政策方針も
熙子は見抜いていた。
白石の学識と漢文の才は
当代随一と有名で知らぬ者はない。
どちらも良いと、鳳岡のことも褒める。
常に人に囲まれた生活をする
家宣と熙子である。
それとなく振舞う政治感覚も
熙子はもっている。
さすが我が妻熙子
家宣は熙子が更に愛おしくなった。
自慢の妻である。
側室達には
望むべくもない才能だった。
若く美しいだけなど
家宣にとって、なんの価値もなかった。
熙子の父 太閤近衛基煕は
当代一の有職故実の専門家。
熙子も幼い頃より
太閤の薫陶を受けて育った。
加えて、近衛家は皇后を出す摂家。
熙子は超一流の教育を受けている。
熙子もまた
生まれながらの政治家なのだ。
妻の膝に甘えて
現を抜かしつつも仕事が捗る。
妻熙子は有能な相棒。
サクサクと仕事が進む家宣だった。
その熙子の意見も参考に
今回も
天才 新井白石の案が
幕府に採用された。
それを知らされた鳳岡は嘆いた。
「くぅ…
またしても、またしても
白石殿に負けた…」
儒家の名門 林家三代目の
面目丸潰れである。
白石と林家の因縁は
先代将軍 綱吉の頃に始まった。
甲府宰相時代
家宣は学問の侍講の紹介を
林家に依頼したが断られた。
家宣は先代将軍 綱吉に疎まれていたので
林家は綱吉の不興をこうむるのを
恐れたのだ。
林家から依頼を断られた
家宣の甲府宰相家は
木下順庵の門下にいた白石を招く。
家宣は白石を師と敬った。
講義に集中して
蚊がいても払いもせず
冬は師の白石に火鉢を与え
弟子の立場の家宣は使わなかった。
家宣の学問への真摯さに心酔した白石は
我が主君 家宣こそ
史上最高の君主と崇める。
敬愛する主君を軽んじた林家に
気性の激しい白石は
手加減しなかった。
先代綱吉の石棺の碑文
仮名混じりの武家諸法度
林家管轄である湯島聖堂参賀の式次第
すべて白石の案が採用された。
儒家林家として
歴代将軍に直々に仕える
権威と矜持を
完膚無きまでに叩きのめされたのである。
鳳岡は
大学頭を辞職したいと申し出たが
先代将軍の師を辞めさせるわけにはいかぬ
と、白石が反対したという。
これには家宣も苦笑した。
白石と林家の闘争の発端となる
家宣が綱吉に疎まれた理由。
それは
優秀な家宣のことを
綱吉の生母 桂昌院が
敵として疎んでいたから。
家宣は桂昌院の敵の孫。
その敵に将軍の座を譲るなど許せなかったのだ。
家宣の父 綱重は
綱吉の異母兄だった。
綱重が長生きしていれば
家宣は順当に将軍になっていた。
しかし
兄である四代将軍 家綱より先に
綱重は三十五歳の若さで亡くなる。
綱重の母 順性院と
綱吉の母 桂昌院は
共に三代将軍 家光の寵愛を争った側室。
火花散る
大奥の熾烈な女の戦いは
将軍亡き後も続く。
優秀な家宣は
綱吉母子にとって脅威。
家宣は徳川一門でありながら
叔父からも、幕臣からも冷遇された。
長く冷たい不遇な時代の家宣を
優しい熙子は妻として
いつも温かく寄り添ってくれた。
熙子の高貴な血は
当時の徳川など
箸にも棒にもかからないほど。
近衛は五摂家筆頭と云いながら
父の太閤近衛基熙は皇別摂家で祖父が帝
熙子の母は皇女、母の同母弟も帝
ほぼ皇族の熙子。
その高貴な血筋を鼻にかけることなく
家宣を心から愛し尊重してくれている。
どれほど
癒され支えられたことか。
先代綱吉に疎まれたことも
林家に軽んじられたことも
家宣にとって辛くはあったが
熙子のいる家庭に帰ると
そんなことはどうでもよくなった。
熙子のいる部屋は
温かく優しく
春の満開の花園のように
家宣を包んだ。
まるで夢の中にいるかの如く。
側室とそれを取り巻く勢力の為に
熙子の心が家宣から離れるなど
それが熙子を傷つけるなど
耐えられない。
熙子が愛おしい。
家宣は書類を手にしたまま
熙子を見上げながら見つめる。
「上様?
そんなにご覧遊ばされて。
わたくしの顏に何かついておりますの?」
「熙子の膝は居心地がよいのだ。
離れぬぞ、覚悟せよ」
家宣はにやりと笑った。
「まぁ、上様ったら」
熙子もはんなりと鈴が鳴るように笑う。
熙子が傍にいてくれる幸せに
熙子の膝で浸る家宣だった。
史実として
家宣は度々熙子の部屋を訪れ
公式の書類を見せて意見を求めた、とか
熙子の父 近衛基煕は
熙子のことを
男子に勝る、とか
男だったらいい政治家になっただろう
などと
書き残しているそうです。
平安時代の超有名女流作家のような
エピソードですね。
その故実を元に
妄想を膨らませて書いてみました。




