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早乙女

「青い稲が爽やかな風にそよぎ

 実った稲穂が

 金色に揺れる景色が好きですの」


新婚の頃の他愛も無い会話の

熙子の何気ない言葉だった。


家宣は

高貴な公家の姫が

水田に興味があるのかと驚いた。


聞けば熙子の母の品宮(しなのみや)

物見遊山が趣味で、

両親に連れられて見た道中の

美しい水田の景色が忘れられないという。


田畑を育てる人々の姿

春に咲く可憐な花

秋に果実を実らせる木々の

美しい記憶も懐かしいと。


家宣は熙子を甲府の領地に

連れて行ってやりたいと思ったが

正室は江戸住まいと決まっており

江戸からは出られない。


甲府宰相の正室が

江戸近郊の田畑を物見遊山となれば

大人数での大名行列となる。


目立ち過ぎて可笑しな噂が立つのも厄介だ。


家宣は熙子のために

御浜御殿の一角に水田を造り

すぐ傍に御茶屋を建てた。

田植えや稲刈りの様子を

気兼ねなく眺める熙子の目は輝やいていた。


家宣は

公家の姫にも手応えがあると

面白くなったものだ。


水田の周りに

畑と梅や桃などの果樹園も造り

花を愛で収穫を楽しんだ。


果樹園の花の下を歩きながら

熙子が呟く。


「橘や林檎の花は愛らしく

 香も甘くてうっとりいたします。

 清少納言は

 梨の花はありきたりと申しておりましたが

 わたくしは可愛いと思いますの」


「そなたは食いしん坊ゆえ

 実のなる花が好きなのであろう」


家宣はニヤリと微笑み揶揄(からか)った。


熙子は一瞬酷いと顔に出したが

「殿はわたくしのことは何でもお見通しですのね。

 秋が待ちどおしゅうございます」

と、扇で口元を隠して笑った。


家宣は

珍しく少し怒ったような熙子が新鮮だった。

鈴のように笑う熙子も可愛かった。


家宣は近くの桃の枝から

桃の花を一輪手折ると熙子の髪に飾った。

見上げる熙子の瞳が愛おしい。


若き遠い日を思い出しながら

家宣は傍らの熙子を見る。


熙子は時を経て

(おもむき)を増した美しさを漂わせている。

若い頃よりもなお一層、家宣の心を捉えていた。


将軍となった家宣は

熙子のために吹上御庭にも

水田と御茶屋を造った。


今日はその吹上御庭の水田にて

早乙女の神事が行われている。


御茶屋には

将軍家宣と御台所熙子に抱かれた鍋松

奥女中達、老中などが一堂に会し

笛や太鼓の囃子に合わせて

田植えをする若い娘たちを見守っていた。


家宣は

城の外を知らない鍋松や奥女中達にも

民の苦労を教えようと同席させたのだ。


鍋松は熙子の膝の上で

大人しく珍しそうに田植えを眺めていた。

賢く可愛い鍋松。


その様子を見ていた

老中土屋相模守(ろうじゅうつちやさがみのかみ)が明るく称える。

飄々とした穏やかな口ぶりであった。


「鍋松君は誠に聡明であらせられる。

 鍋松君をお支えになる弟君がおられれば

 頼もしゅうございまするな」


場の空気が止まる。

だが囃子にかき消されて

相模守の発言を

ほとんどの者が理解していなかった。


後ろに控えている

左京の表情が微かに柔らかい。


家宣は何事もなかったかのように

熙子を見て微笑んだ。


そして熙子の手を取り立ち上がると

大奥へ帰って行った。












家宣が

御浜御殿と吹上御庭に田畑や果樹園を造り

熙子に見せたのは史実です。

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