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2、王女は王宮を抜け出す

 一人の少女が、王宮の中を歩いていた。

 服装だけを見ると、貴族に仕える侍女のようだ。王宮ではありふれた格好なので彼女のことを気に留める人間はいない。

 やがて、彼女は王宮の召使いが出入りする勝手口を見つけると、そこを通って外へと出ていった。


 マーガレットの背後には、いつもは内側から見ていた高い王宮の城壁が(そび)えていた。

 

 丘の上にある王宮から降りていく道からは、街全体がよく見渡せた。

 そしてその街の中心に、一際高い建築物がある。あれが侍女が話していた「月の塔」に違いない。国を守護神である月の女神セレネにちなんでそう名付けられた石造りの塔だ。

 ダークグレーのその塔は、よく晴れた青空の下で特別美しく見えた。


「これがお城の外かあ」

 丘の上からの景色は、広々としていて気持ちが良かった。マーガレットは手を一杯に広げて、深呼吸すると、暗い部屋の辛い日々から解放されたような気分になった。

 彼女は病気のことを忘れて、坂道を足早に降りていったのだった。



 マーガレットは長い間、自分の居室で過ごしていた。散歩のために庭に出たりするが、ほとんどは自分の部屋のベッドで横になっている。

 五歳くらいから体調不良は始まり、十年以上が経った今ではベッドから体を起こしていられる時間は長くて一時間程度だ。

 何人もの医者に診てもらったが、毎回言うことは変わらなかった。いまのところ有効な治療法はない、とにかく安静にしているようにと。

 マーガレットは言われたことを守って、文句一つ言わずに自分の部屋でじっと休んでいた。

 それでも年々、病気は重くなるばかりだった。


 マーガレットの病気はもう治らないし、自分に残された時間が少ないのはわかっている。

 だから、一度くらいは自分の好きなことをしてみたい、と思った。

 自分のしてみたいことってなんだろう。考えてみたら一つだけ浮かんだ。侍女がいつも話してくれる高い塔の上からの景色だ。何度も思い浮かべたその景色を一度だけでいいから、自分の目で見てみたい。

 そんなことをぼんやりと考えていたここ数日。それも現実味のない単なる夢想だった。そんな大胆なことを実行する勇気は自分にはないと思っていた。

 それが今朝、侍女が立ち去った一人の部屋で、ふと、「今から行きたい」と衝動的に思ってしまったのだった。そして気づいたら、庭へと続く部屋の窓を外に大きく押し開けていたのだった。

「大人しくて、言うことをよく聞く子」なんて言われていた私が、誰にも言わずに王宮を抜け出すなんて、自分でも驚きだった。

 でもこうして自分の気持ちに素直になってみると、胸のつかえがとれたようにすっきりとした気持ちだ。何で今まで、こうしなかったのだろう。



 月の塔は街のどこからでもその姿が見えたので、そこを目指すのは簡単だった。

 マーガレットが初めて足を踏み入れた王都の街には人が沢山いて、服装も身のこなしも、王宮にいる貴族とは全然違っていた。

 マーガレットは行き交う人や、道沿いに並ぶお店を、きょろきょろ興味津々に観察しながら、歩いていった。



 しかし楽しい時間を束の間だった。


「はあはあ」

 歩いていたマーガレットは、急に息苦しさを感じはじめた。そして(じき)に、体が重くなって、歩けなくなってしまった。

 初めて王宮を抜け出した興奮が、マーガレットに病気を忘れさせていただけだったのだ。

 興奮が落ち着いてくると、本来の病気の苦しさが戻ってきたのだった。


 そもそも今の王女にそう長く歩ける体力はない。

 しかも、マーガレットは調子に乗って早足で歩いてきたせいで、動けなくなるほどの疲労が一気に襲ってきていた。息が切れて、体が熱くて汗が出てきた。


 道端で座り込んだがマーガレットのことを気に留める人はいない。

 マーガレットも、人に助けを求める方法はわからなかった。

 なにしろ侍女以外と話すことなんてほとんどないのだから。


「やっぱり無理だったか。そりゃそうだよね」

 マーガレットは、少し離れたところに立っている月の塔を見上げた。

「ここからの景色で満足するかあ」

 そうつぶやいて、諦めたような表情でほほ笑んだ。


 マーガレットの体調は無情にもどんどん悪化した。

 ぐったりとて、意識を失いそうになった時、

「大丈夫か?」という声が聞こえて、誰かが彼女の体を支えるのを感じた。

 しかし、その人がどのような人物なのかを確認する間もなく、マーガレットは気を失ったのだった。

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