いっちゃんのぬいぐるみ
いっちゃんは、いつもくーちゃんといっしょです。
くーちゃんは、いっちゃんがパパからもらったイヌのぬいぐるみです。
いっちゃんはくーちゃんがだいすきです。
いっちゃんは、ねるときもくーちゃんといっしょです。
あるよる、いっちゃんはくーちゃんにいいました。
「くーちゃん、ずっといっしょにいようね」
いっちゃんはくーちゃんをギュッとだきしめて、ねむりにつきました。
……その日のよるおそく、みんなが寝静まってしまってからのことです。
いっちゃんのうでにだかれて、じっと横たわっているくーちゃんのスチロール製の目玉が、
カーテンのすきまからさしこむ月の光を反射して、暗い部屋の中にポツンと白く浮かび上がっていました。
くーちゃんは微動だにせず、一点を見つめて、なにか思い詰めているようでした。
頭の後ろのほうからは、いっちゃんのやすらかな寝息が聞こえてきます。
ふとんのなかで、いっちゃんのぬくもりを感じながら、くーちゃんは何かを決心したようでした。
「わたし、ずっといっちゃんのそばにいて、ずっといっちゃんのこと守るよ……」
そういったことを決心したようでした。
……それから数年の時がたちました。
いっちゃんはずいぶん背が伸びて、もう小学校に通うようになりました。
友達もできて、休みの日は外に遊びに行くことも増えました。
それでも、いっちゃんは、あいかわらずくーちゃんがだいすきです。
くーちゃんは、ずっといっちゃんにだきしめられてきたので、なかのわたがへたって、すこしいびつなかたちをしていますが、それでもまだまだ愛らしいぬいぐるみのすがたを保っています。
いっちゃんは今でも、寝るときはくーちゃんといっしょです。
頭の後ろのほうからは、いっちゃんの安らかな寝息が聞こえてくるので、くーちゃんは今も安心していられるのでした。
……それからまた数年の時が経ちました。
いっちゃんはずいぶん髪が伸びて、もうすっかりお姉さんになりました。
好きな人もできて、休みの日はデートしたりしています。
くーちゃんは今でもいっちゃんのベッドの上におかれていますが、もう前みたいに抱きしめられることはありません。
ときどき、いっちゃんが読書する時や、好きな人と電話する時に、クッションがわりにされるくらいです。
くーちゃんは、すっかりくたびれてしまって、もうお世辞にも可愛らしいとは言えません。
いっちゃんは、くーちゃんのことを忘れてしまったかのようでした。
それでも、いっちゃんの安らかな寝息が、今でもくーちゃんを安心させるのでした。
……それからまた、さらに数年の時が経ちました。
いっちゃんは、仕事で毎日クタクタになって帰ってくるようになりました。
すれ違いで彼氏ともなかなか会えず、電話では喧嘩ばかりしています。
そしてそんな夜、いっちゃんは布団の中で丸くなり、静かに肩を震わせているのでした。
くーちゃんは、そんないっちゃんをただ黙って見ていました。
……その日の夜のこと、カーテンの隙間から差し込む月の光を反射して、くーちゃんのスチロール製の目玉が、闇の中にポツンと白く浮かび上がっていました。
泣き疲れて眠ってしまったいっちゃんの寝顔を、くーちゃんはじっと見守っています。
その姿はとても悲しそうで、まるでこう言っているようでした。
「わたしは、いっちゃんのために何もしてあげられない……。ずっといっちゃんのこと守るって約束したのに……、ごめんね、いっちゃん……」
すると、眠っていると思っていたいっちゃんが、急にパチリと目を開けて、ジーッとくーちゃんを見つめだしました。
そして、そのままくーちゃんを引き寄せて、昔と同じようにギュッと抱きしめて、また眠りにつきました。
くーちゃんの頭の後ろからは、いっちゃんの安らかな寝息が聞こえてきました……。
……それからまた、どれくらいの時が経ったでしょうか。くーちゃんは、たくさんの不要になったものとまとめられて、段ボール箱の中に入れられていました。そしてその箱は、クローゼットの奥の方に仕舞われています。くーちゃんが最後にいっちゃんの顔を見たのは、昔のようにいっちゃんに抱きしめられて眠ったあの夜の、そのまた数ヶ月後に、結婚して家を出るので、いっちゃんが部屋の片付けをしている時でした。いっちゃんは、くーちゃんを箱の中にしまう時、少しの間くーちゃんを見つめて、一度だけくーちゃんの頭を撫でてから、そしてすぐに無造作に箱の中に置き入れたのでした。
いっちゃんとくーちゃんの物語は、これでおしまいです。
くーちゃんはその後長い間、その箱にしまわれたまま、やがて誰からも思い出されなくなりました。外の光の届かないその箱の中では、くーちゃんのスチロール製の目玉はもう二度と光輝くことはなく、くーちゃんはなんの意思ももたない、ただのくたびれた、古い、小汚いイヌのぬいぐるみそのものでした……。