09
それから約三十分後、女子テニス部の部室を借りて制服に着替え終えたわたしは、部室を出た。
テニスコートの周囲には、まだ観客となっていた生徒が残っていた。
何やらわたしに手を振るような動きだったり、指をさすような動作をしていたりする。
だが、そんな彼らにわたしはリアクションを返してやらなかった。
どこかにいるだろう、と思っていた、ミナミの姿は見当たらない。
周囲に目を巡らせているときに、わたしのバッグの中のスマートフォンが音を鳴らす。
画面を見ると、ミナミからのメッセージが届いていた。
『今日一緒に帰れるなら、校門のところで待ってるね』
すぐに行く、とミナミに返信してから、わたしは校門へ向けて歩き出そうとする。
そのとき、どこからともなく現れた、スポーツウェア姿の女子生徒に周囲を囲まれる。
彼女たちには見覚えがあった。
一週間前、わたしをこの部室まで連れてきた女子テニス部員だった。
「ねえ、あなた、今日の試合、……あんなことして、どういうつもりなの?」
わたしにはその言葉の意味がわからない。
「あんなことって、なんです?」
その問いかけに、すぐに返事は来ない。
代わりに別の女子生徒が、わたしに鋭い言葉を吐きかけてくる。
「あなたは知らないかもしれないけどね、西谷部長は、ケガ明けだったんだから。本当は、もっと強いんだから。なのに、あんな風に、西谷部長を傷つけて……」
「傷つけてって、……試合の上での話ですけどね」
わたしはそうあしらうように言ってから、ふと、その女子生徒の表情に気づく。
たぶん一つ上のその先輩は、悔しそうに奥歯を噛みながらも、目の端に涙を浮かべていた。
それでわたしは、少しは手心を加えてやろうという気になる。
「でも、今の西谷部長でも、わたしがこれまで試合をした相手の中では上位の方でしたよ。ケガが完治してたら、今日の結果はどうなっていたのかは、わからない。あんな結果でも、差はわずかですから」
わたしの言葉を聞きながら、涙目だったその生徒は、目を手の甲でこする。
きっとこの人は、西谷部長と仲がいいか、あるいはずいぶんと敬愛しているんだろうなと考える。
「……それであなたは、これからどうするの? 女子テニス部に入るつもり?」
また別の女子生徒が、わたしにそうたずねてくる。
「それは、西谷部長と直接お話します」
まだどこか不満げな女子テニス部員たちにそう言い残し、背を向けてわたしは歩きはじめる。
「あ。そういえば、西谷部長は?」
「わからない。試合が終わってから、誰も見ていないみたい」
「どこ行っちゃったのかな」
背後でそんな風に女子テニス部員たちが話す声がする。
試合の結果は、まあ、西谷部長にとっては残酷なものになった。
そしてわたしにとっては、一週間前のわたしが考えていた通りのものになった。
つまり、わたしは彼女をボコボコにしたのだ。
最初のサーブ四本をすべてエースで決め、わたしは第一ゲームを取った。
西谷部長は、あらかじめ予想していたよりも、はるかに速いボールが来たと感じたらしい。
左右、どちらのサイドのサーブにも反応ができず、ほとんど一歩も動くことが出来なかった。
次のゲームで放たれた西谷部長のサーブは、わたしにとっては、それなりに歯ごたえがあった。
でも、ただ歯ごたえがあるというだけだ。
打ち返すことが出来ないわけじゃない。
そしてわたしのリターンに対する西谷部長の反応は、特に彼女からみて右サイドがよくなかった。
それでわたしは、彼女がケガしたのは右ヒザだったのだと悟った。
むろんわたしは集中的にそのサイドを狙った。
勝つためなら、わたしはその程度には計算高くなれる。
西谷部長は、ラリーでも終始わたしに押されていたし、彼女のサーブにわたしが慣れて以降は、リターンエースもたやすかった。
結局のところ、試合が終わるまでに、わたしは片手で数えられる程度しかポイントをとられなかった。
最終スコアは6対0。
元インターハイ選手の三年生が、入学して間もない、テニス部でさえない一年生に対して記録するスコアとしては、屈辱的なものだろう。
試合を終えたわたしは、その場にたたずみ、視線を落とす西谷部長を見ていた。
その姿は、わたしと対戦し、手も足も出ずに負けた何人もの選手の姿と重なった。
わたしにとっては見慣れたもので、その程度にこのスポーツは残酷だ。
想いや努力の量には関係なく、才能やらフィジカルやら運やらといった、自分でも完全にはコントロールできないその他さまざまな要因で、勝つ者は勝つし、負ける者は負ける。
わたしは大抵、勝つ側だ。
才能に恵まれしものだ。
だから負けた側の気持ちは、あまりわからない。
でもそれは、西谷部長も同じだったはずだ。
彼女もこれまで、多くの選手を破ってきたのだ。
今回は、その立場が逆転しただけで。
それにこの、勝者と敗者の違いはしょせん、スポーツの上での話に過ぎない。
黄色のフェルトで覆われた、ゴム製の6.5センチ程度のボールを、70センチ程度のラケットで叩き、相手のコートへと打ち返すスポーツ。
トップクラスのプロもいて、多くのお金が動いたりもするけれど、本質的にはただの遊びでしかない。
子どもがするのと同じ、あっちこっちにボールを動かす、単純な遊び……。
だけどその遊びに、西谷部長は――いや、彼女以外の多くの人も、――そしてわたしもまた、まるで人生がかかっているかのように、プレーをする。
それっていったい何なんだろうな、なんて考えつつ、わたしは歩く。
テニスコートから離れ、校門へ向かう。
その途中、グラウンドの端に植えられた木陰の中から、誰かの声が聞こえてくる。
どうやら言い争っているような声だ。
しかも男と女。
「泣くなよ、西谷。これから練習がはじまるんだろ。みんな、お前を待ってる」
わたしはそんな声がする木陰へと、つい視線を向けてしまう。
こちらに背を向けている男性がいる――どうやらスポーツウェア姿の、斉木さん。
その正面で、斉木さんに背を向け、コンクリート製の壁に向かってしゃがみ込んでいるのが、どうやら西谷部長。
彼女はしゃくりあげるように、激しく肩を震わせていた。
「……もう、いいの。今日でどうでもよくなったの」
その声は、涙声だった。
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