07
校庭の隅にあるベンチで、三人で腰かけて、西谷部長の話を聞いた。
話を終えると西谷部長は、無断で抜け出してきたらしい、テニス部の練習へと戻っていった。
その西谷部長の背中を見送った後、ミナミはなんだか不思議そうな声でつぶやいた。
「なんだか、不思議な話だったね」
「同感。何がどうなるとそうなるのか、わたしにもよくわからない」
わたしたちはしばらく黙って、高校の校門へと続く道を歩いた。
道中、わたしの頭には、西谷部長からされた話が何度もぐるぐると回っていた。
「負けて欲しいのには、理由があるの」
そんな言葉ではじまった西谷部長の話は、懇願するような響きを有していた。
その話をかいつまむと、つまりこういうことらしい。
西谷部長は、高校二年生の夏までは、確かに全国レベルの選手だった。
自分の能力にも自信があったし、卒業後も大学で選手を続けようと思っていた。
だがそんな彼女は突如としてヒザの大ケガに襲われた。
切り返しのステップで転倒してしまい、靭帯を痛めてしまったそうだ。
彼女はそのケガ以来、まともに試合をしていない。
部の練習の陣頭指揮もとり、練習はこなせるようになっているけれど、かつてのレベルに戻っていないのは自分でもわかる。
もう以前の自分には決して戻れないのかもしれない、とすら感じているそうだ。
「ふむふむ。なのにわたしには、高校レベルでやっていく自信がない、なんて挑発を?」
少し意地悪な気持ちでそう指摘すると、西谷部長はじっとわたしをにらむ。
「……発破をかけてやろうと思って。あなたの試合を見たことはないけれど、全中で優勝するような才能は、本当にもったいないし」
そうはいうけれど、発破をかけなければならないのも、才能を惜しむのも、しょせんは西谷部長の都合でしかない。
わたしにはあまり関係のない話だ。
と、そのとき、わたしはふと気づく。
「でもそのケガのことって、斉木さんも知ってるわけですよね? というか、同じ女子テニス部員よりもよく知っているはず。だって二人は、付き合っているんでしょう?」
西谷部長は、きょとん、という音でも出そうな顔をする。
「詳しいのね」
「耳ざといんです」
ちらりと、反対側に座るミナミに目を向けると、彼女は小さくわたしに向けて親指を立てている。
西谷部長が小さくため息をつく。
「そう。……確かに、斉木くんはわたしのケガを知っている。いいえ、以前のようにプレーできないことだって知っているわ。なのに彼はヒビキさんに対し、あんな提案をした。……あの後で私も、その意味を考えてみたの」
「言葉のままの意味ではなく、ですか? わたしの実力を測りたい、測らせたい、という」
「たぶん、違うわ。……私の結論は、私に見切りをつけようとしてるんじゃないか、というもの」
「は?」
「彼はね――テニスのうまい女が好きなのよ。あなただって、昨日、聞いたでしょ。付き合いはじめのころ、彼自身そう言ってたもの」
その言葉が本気のものかどうかは、わたしにはわからない。
だがケガをして以降、斉木さんと西谷部長の仲が今一つしっくりいっていないのは確からしい。
「だからつまり、彼がいま、本当に実力を見極めたいのは、私なのよ。……そして、もしも私が負けたのなら、――そんな私は、彼にとってはもう興味のない女になる」
「……そんなことって、あります?」
恋愛経験の薄いわたしにはピンとこない。
テニスの実力の有無で相手を好きになり、またその反対で相手に対して完全に無関心になる、なんてことはあるのだろうか?
だけどわたしも以前には、テニスがもたらすイメージのために恋を失っている。
西谷部長と斉木さんの関係も、似たようなものなのだろうか?
「そんなことも、あるのよ。……だから私は、さっきみたいなお願いをあなたにしたわけ。あなたに勝つことができれば、私は彼から見捨てられないかもしれない。……どう、藤井ヒビキさん。私のお願い、聞いてもらえる?」
「――少し、考えさせてください」
そうして話を終えたわたしはいま、川崎ミナミと高校の校門を抜け、駅へと続く道に足を踏み出したところだ。
「……で、先ほどの話を踏まえて、ヒビキはどうするつもり?」
本日三度目になる、わたしの意向確認を、ミナミは口にする。
「……考えてみたんだけどさ。斉木さんって、テニスのうまい女が好きなんだよね」
「西谷さんは、そう言ってたね。そんなことあるのか、って気もするけど」
「だけど事実かもしれない。だったら、わたしの取りうる行動は一つ」
「西谷さんのお願い、受け入れるの?」
「まさか。あんな八百長はのまない。だけどね、あの話のおかげで、わたしには新たなアイデアが生まれた」
「どんな?」
「西谷部長をボコボコにすれば、斉木さんはわたしにさらなる興味を抱くかもしれない」
微笑みながらそういうと、ミナミは戸惑ったような顔でわたしを見つめていた。
やがて彼女はため息をついた。
「できたばかりの友達にこういうのもあれだけどさ……ヒビキって、悪魔みたいな女だね」
「悪魔。いい響きだね。ゴリラ以外なら、なんでもオッケーよ」
わたしがそう答えると、もう一度ミナミはため息をついていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よろしければ、下の方にある応援(☆☆☆☆☆)を押していただけると嬉しいです。