06
遠くの中学校からこの高校に入学したわたしには、校内には顔見知り程度の知り合いさえいなかった。
だけれども、人付き合いが嫌いな方じゃない。
地元出身のミナミとともに、テニス部にいる同級生からウワサを集めたりして、わたしたちは何とか情報の裏をとった。
調査の結果は次のとおりだ。
『テニス部の男女両部長、斉木部長と西谷部長は今でも付き合っている』
その調査結果が出た放課後に、わたしは図書室の前の廊下にたたずんで天井を仰いでいた。
わたしの呪われたニックネームを知るイケメン、斉木さんはすでに恋人がいた。
しかもその相手はわたしの対戦相手となる女子テニス部長。
なんだ、これじゃあ試合をするだけ損じゃないか!
わたしが心の中でそんな叫びを繰り返していると、背後からミナミの声がした。
「お待たせ」
「……ミナミって毎日、新しい本を借りてるの?」
「うん。一日あれば、読める程度の本を貸してもらってる」
「もう図書室に住めばいいのに」
そんな軽口を交わしながらわたしたちは帰路につく。
話題は必然的に、例のテニス勝負へと行きつく。
「ダマされたんだよなあ、ちくしょう。わたしの純真な心をもてあそびやがって」
「誰もダマしてなんかないと思うけど。ヒビキが勝手に舞い上がってただけで」
隣を歩くミナミはそう冷静な指摘をする。
いや、そこは適当でもいいから話を合わせてほしいところだ。
そんな風に校門に向かって歩いていると、ポーン、ポーンとグラウンドの隅から硬式テニス球の音が届く。
足を止めてその音に何となく耳を澄ませていると、やがてミナミが言った。
「それで? テニス勝負は、どうするの?」
「そりゃ、もちろん」
わたしはテニスボールの音に背を向け、校門へと再び歩き出す。
「試合なんてやらない。すっぽかすわ。メリットないし」
「まあ、そうかもね。……ところで、今日もまた、校門のところに誰か待ってるけど」
「ん?」
ミナミへと注意を向けていたわたしは、その人物に気づいていなかった。
もしや例の女子テニス部員たちか、と思ったけれど、違った。
そこに立っていたのは、スポーツウェア姿の大人びた女性――西谷女子テニス部長だった。
「昨日はどうも」
すれ違いざまに、こちらから声をかける。
何か面倒そうな話になる気がしたから、かえって先手を取ってみた。
そしてそのまま挨拶がてらにすれ違うつもりだったけれど、残念ながら、西谷部長は、やっぱりわたしに対して用があったらしい。
「待って、藤井ヒビキさん。昨日の件で、あなたに話があるんだけど」
背後からかけられた声に、わたしは振り返る。
西谷部長は、じっとわたしを見つめている。
「なんです? わたしこれでも、放課後は忙しいんです。西谷部長も、練習があるんじゃないですか」
本当は、放課後のわたしはヒマなんだけれど、そう冷たい言葉を返す。
目を細める西谷部長が何か言う前に、隣のミナミが口を開く。
「お取込み中なら、席を外すけど」
「いや、ミナミはそこにいて。すぐに話は終わると思うから」
実際のところ、こんなところであまり立ち話をする気はなかった。
やがて西谷部長は、ふうと小さく息を吐くと、わたしに対して言った。
「ヒビキさん。あなたは、久しぶりにやる自分のテニスに、どこまで自信があるの?」
わたしは首を軽くひねる。
その西谷部長の言葉を、どうとらえていいかわからない。
「どういう意味です?」
「つまり本当に、私に勝てると思うか、って聞いてるの」
そもそも試合なんかもうやる気はなかったけれど、それでもわたしは少し真剣に考える。
ケガ前は高校でも全国レベルだったという、西谷部長のプレーは見たことがない。
そしてわたしには半年のブランクがある。
だがしかし。
「昨日も言ったとおりです。勝てるんじゃないですか」
わたしはそう答える。
実際、これまでわたしは、たった一人の選手にしか負けたことがない。
年上の相手との練習試合でもそうだった。
だから、高校テニスのレベルがどんなものかわからないけれど、たとえ相手がインターハイレベルの選手だとしても、今は負けるイメージがつかない。
「インターハイに出たこともある私に対しても、そう思うの?」
「ええ」
素直にそう返す。
実際、自信はあるのだから、そう答えざるを得ない。
試合をするかどうかはさておき。
「そうなのね……それなら、あなたが感じている才能の限界とやらが、ますますわからなくなるけれど……」
そうつぶやいて、じっとわたしを見つめる西谷部長に、別にわたしは言葉を返さない。
だってわたしには、彼女に本当のことを教える義理なんて何にもない。
それどころか、あんなイケメンと付き合っているこの女子テニス部長は、もっとわたしから困らされて然るべきだ、とさえ思う。
そうして訪れる、少しの沈黙。
やがて西谷部長が見せた反応は、意外なものだった。
彼女はわたしの隣に立つミナミを気にするような視線を向けると、小声でわたしに、ささやくように言った。
「でも、私は……実のところ、私は、あなたに勝てる自信がない」
「えっ? 何ですって?」
「あの、ヒビキさん。こんなことを頼むのは、どうかと思うけれど……今度の試合で、私に負けてくれない?」
部長の真剣な目を見た後、わたしはミナミに目を向けた。
彼女は困惑した表情を浮かべていた。
たぶんわたしも、同じような顔をしていたに違いない。
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