05
それでも、まあ、いろいろと誤算というものはあるわけで。
翌日の朝、わたしは教室にたどり着くと、すでに隣の席に座っていた川崎ミナミが目を輝かせてたずねてきた。
「それで、ヒビキは昨日、なにやってたの? 何やら楽しそうな一幕が見えたけれど」
「あれはまあ、話すと長いんだよ」
そう言いつつも、わたしが女子テニス部から追いかけ回された顛末を一通り話してやる。
話の根本が中学校時代までさかのぼるため、かなりのボリュームがある。
ただ、少しだけ迷ったのは、テニスをやめようと思った原因のことまで、すべてミナミに話すかどうかだった。
その原因とはつまり、あの呪われたあだ名のこと。
だけど彼女とは今後少なくとも三年間、友人として付き合い続けていくつもりだった。
知り合ってからまだ短い時間しか経っていないけれど、彼女はどうやら秘密を守ってくれそうな人間だ。
なら、すべてのことを話してもいいんじゃないか。
「そもそも、なんでヒビキはテニスやめようと思ったの? 好きだったんでしょ?」
ミナミからもそう聞かれて、わたしはしばらくのしかめ面の後、ミナミにすべての真実を話しはじめた。
彼女のリアクションは、戸惑い、とでもいうべきものだった。
「え、何それ。……つまりヒビキは、そのニックネームが嫌でテニスをやめたってわけなの?」
「そうそう。いやじゃん、ゴリラ、なんて。絶対、陰ではメスゴリラとか呼ばれてたって。それもこれも、テニスと、わたしのこの顔のせい」
わたしは自分の頬を両手で挟み込む。
そんなわたしを、じっとミナミは見つめる。
「顔はそんなに関係ないんじゃない?」
「ああ、そういうフォローは別にいいの。自分でもこの顔、野生の系列に属しているのはわかってるから。……でも、黙ってればそれなりじゃない?」
ミナミは軽く首をかしげる。
「黙っていれば、というか、ヒビキは普通に可愛いと思うけど。顔は気にすることないよ」
「……ともかく、そういうわけでわたしはテニスをやめようと思ってたの。でも昨日、女子テニス部から強引な勧誘を受けたのは、先ほど話したとおり」
「なるほどね。それで、ヒビキ、どうするの? 試合は一週間後なんでしょう?」
ミナミからたずねられて、わたしは頭の中を整理する。
試合までは、準備期間を含めて、多少の猶予をもらっていた。
そして昨日、部室から解放されてから、どうすべきかずっとわたしは考えていた。
この学校でテニスを披露すれば、わたしの呪われたニックネームは再び、この学校中に知れ渡るだろう。
それは嫌だ。
だけどたぶん、テニスをしてしまえばそのあだ名から逃れることはできない。
N中の、ゴリラ藤井の名は全国にとどろいているらしいし、そんな名前があると知ったものはきっと、誰もが口にしたくなるはずだ。
だけどあの、昨日見つけたイケメン男子テニス部長こと斉木さんが気になるのも確かだ。
彼は二つ上の先輩だ。
あのテニス勝負に参加しなければ、接点などあるわけない。
ゴリラとは呼ばれず――すなわちテニスをせず――斉木さんとお近づきになる、そんな都合のいい道は見つからない。
なら、どちらをとるか。
ただひとつ、救いとしてあるのは、斉木さんがすでにわたしのニックネームを知っているということだ。
彼がわたしのあの呪われたあだ名を気にすることなく、そのうえで深い関係になれるとすれば、わたしは再びみんなの前で、テニスを披露したって構わない。
「まあ、試合ぐらいはしてみようかな、と思って。仮にあの女子テニス部の部長から負けたのなら、わたしもゴリラとは呼ばれないかもしれないし。つまりそれって、天才でもなんでもない、ちょっとテニスがうまい程度の一般生徒だってことなんだから」
何なら、そのうえでテニス部に入ってもいいかもしれない。
N中の天才、ゴリラ藤井でも何でもない、名もなき生徒として腕を磨くのならば、それはそれでいいのかも。
「で、展開次第によっては、負けたって、斉木さんと仲良くなれるかもしれない。あの人がいなければこんな試合、断ったっていいんだけどね。でも、あんなイケメンと接点ができるのなら、まあ、やっても構わない」
少し照れながらそう続ける。
あえて言うことでもなかったけれど、わたしというキャラクターを知ってもらうには、誰がいま気になっており、どれほどイケメンに弱いのか、ぐらいはミナミに知ってもらった方がいい、と思ったのだ。
すると、ミナミがじっとわたしを見つめる。
「……もしかしてヒビキ、男子テニス部長――斉木さんが気になるから、その勝負、受けるつもりなの?」
「そうだよ」
素直にそう返す。
平然を装っていてもやっぱりわたしには照れがある。
ミナミからそこを突っ込まれるのかな、と思っていたけれど、彼女から返ってきた言葉は違った。
「あのさ、その二人――斉木さんと西谷さん――って、私と同じ中学校の先輩なんだけどさ。二人とも中学校のときからテニスをしてて、やっぱりどっちも部長だった」
「そうだったんだ」
「で、その二人……今はどうだか知らないから、間違ってたらアレだけど……少なくとも、中学校を卒業するまではね」
わたしはなんだか悪い予感がする。
これまで考えていたすべてのことを台無しにするような発言を、ミナミが口に出しそうな気がする。
「その二人って、恋人同士だったよ」
わたしはぽかんと口を開けてミナミを見つめる。
きっとその顔はかなりのバカ面だっただろう。
いや、バカなのは面だけにとどまらない。
全体的に、間違いなくわたしはバカだった。
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