03
と、いうわけで、駅へと駆け出してから三十分後、捕まったわたしはテニス部の部室へと連行されていた。
もちろんわたしが最後に全力で走ったのなんて、もう半年以上前のことだった。
いくらテニスの天才だって、マラソンの天才ではない。
継続的な運動をまともにしていない人間が、運動部の上級生から逃げ切れるわけがない。
テニス部の女子に両側を挟まれて学校に連行される最中、帰宅途中の川崎ミナミとすれ違った。
「――ヒビキ。それ、どうなってるの?」
全力で逃げていたわたしの足腰はもうガタガタで、上級生に肩を支えられながらなんとか歩いているというありさまだった。
いうなればトレンチコート姿の男性に捕獲されたグレイタイプの宇宙人っていうところだ。
「詳しくは明日、説明するよ。話すと長くなりそうだから」
川崎ミナミはわたしを連行する上級生から少し異様な雰囲気を感じ取ったらしい。
彼女たちに無害な微笑みを向けると、わたしに対して小さくささやいた。
「何が起こってるのか、明日、教えてね。すこし面白そう」
何が面白そうなものか、とわたしは考える。
でもミナミに文句をつけたところで、何もはじまらない。
うちの高校のテニスコートを目にするのははじめてだった。
全部で四面あり、一面しかなかったわたしの中学校に比べるとかなり広く感じる。
男子と女子で二面ずつ分けて使っているらしい。
コートにはいま、何名かの部員が出て練習を続けている。
女子テニス部の部室は、そのテニスコートの脇に建てられた小さなプレハブ小屋だった。
隣には同タイプの男子テニス部の部室が並んでいる。
わたしの左右をとらえていた先輩がやっと手を放してくれたのは、そのプレハブ小屋に足を踏み入れてからのことだった。
青い座面を持つベンチが、三方の壁に沿って置かれている。
正面に座っているのは、長い髪をポニーテールにしてまとめた、大人びたスポーツウェア姿の女子生徒だった。
「部長。藤井ヒビキを連れてきました」
と、わたしを連行した女子テニス部員が言うからには、彼女は部長なのだろう。
おそらく三年生。
部長はゆっくりうなずくと、わたしに目を向ける。
「藤井ヒビキさん、ね。――あなた、どうしてテニス部に入らないの?」
そうたずねられて、わたしはどう答えるべきか迷った。
本音を言うべきか、ウソをつくべきか。
結果としてわたしは、第三の選択肢をとることにした。
すなわち、しらを切る。
「テニス? なんのことです?」
これでもわたしは入る高校を厳選したつもりだった。
それまでいた友人だって誰も通わない、わたしが全中で優勝したテニスプレイヤーなんて過去は誰も知らない、そんな高校を選んだつもりだった。
つまりわたしの言動次第で、うまくしらも切りとおせる、かもしれない。
だが部長はわたしの発言を聞き、部室の棚へと目を向ける。
そうして、そこに置かれたテニス雑誌の一冊を抜き取ると、ふせんが張られていたページを開き、わたしに向けてくる。
「これ、あなたよね。藤井ヒビキ。全中優勝」
そこには準優勝の生徒とともに、優勝カップを高く掲げる半年前のわたしの写真が掲載されていた。
確かに雑誌に載るといわれて写真を撮影された記憶はある。
白黒ではあったけれども、わたしだと判別できる程度の写真ではあった。
これでも言い逃れできる?
いや、『テニスなんて何のこと?』路線ではもう無理だろう。
「どうやらバレていたようですね」
素直にわたしは認め、ニヤリと不敵な笑みを浮かべるが、部長は別に意に介した様子もない。
「はじめは信じられなかったわ。だって全国区のプレイヤーが、ウチの高校にいるっていうんだもの。ウチのテニス部は弱くもないけど、強くもない。そんなウチの部にあなたが来てくれれば……百人力よ」
「そうですか。でもわたし、テニス部には入りませんよ」
「なぜ? それがわからないの。あなたなら、すぐにレギュラーになれるわよ。それどころか、インターハイだって……」
そういう問題じゃないんだな、と思いながらわたしはそばのベンチへと目を向ける。
「座ってもいいですか? 足腰、すっかりガタガタで」
「どうぞ」
わたしはそばにあったベンチに腰を下ろすと、部長に言葉を続ける。
「わたし、もうテニスはやめたんです。今はもう、引退した、ただの一生徒にしか過ぎないので」
「その理由を聞いていい?」
あくまでこだわる部長。
でもわたしは本当のことを言う気にはなれない。
ゴリラと呼ばれたくないからだ、なんて、他人に説明するのはカッコ悪い。
それに、悪くすればテニス部から「あの子、ゴリラと呼ばれたくないから部に入らないのよ」なんて言いふらされる恐れがある。
そうなったら最悪だ。
というわけでウソをつくことにした。
「わたし、プロを目指していたんです。でも自分にはもうムリだって思った。才能に限界を感じたんです。何しろ、同じ相手に二度負けたんですよ。で、最後には勝負もさせてもらえなかった」
「ああ、知ってる。あの、S中の『才媛』ね。今じゃアメリカに渡ってる、っていう。N中の藤井ヒビキと並び称されていた選手」
並び称されていた、か。
正直なところ、全然相手になっていなかったと思うけれど。
「向こうの方が圧倒的に上ですよ」
「そうかしら。ポテンシャルはあなたの方が高いっていう、もっぱらのウワサだったけど」
高校テニス界ではそんなウワサがあったらしい。
でもこれはウソかもしれない。
わたしをテニス部に引き込もうというウソ。
だがそもそもそんなウソは求めていない。
だってわたしがテニスをやめるのは、誰かに負けたとか、プロになれないかもしれないとか、そんな理由ではないのだから。
「ねえ、藤井さん。その才能、もったいないわよ。あなたは天才と呼ばれている選手なんだから。つづけないともったいない」
「いや、いいんです。以後お気づかいなく」
わたしが小さく手を振って答えると、部長の表情はやがて不満げなものへと変わる。
「……それとも、もしかして、高校レベルのテニスでは通用する自信がない、とでもいうの? プロを言い訳にしてたけど、本当のあなたは、今でももう、限界を感じているんじゃないの?」
安い挑発だ。
そうわかりつつも少しムカつく。
だけどまあ、どうでもいい。
もう二度と話す予定のない相手だし。
わたしは肩をすくめてベンチから立ち上がる。
足腰はまともに歩けるぐらいには回復していた。
何も言わずに頭を下げ、部室の入り口へ向かおうとしたとき、入り口のそばに誰かが立っていることに気づく。
その誰か――見知らぬ男子生徒がわたしに微笑みかけたとき、背後の女子テニス部長がわたしに言う。
「N中の、ゴリラ藤井――藤井ヒビキも、どうやらウワサだけの選手だったようね」
「西谷部長、ゴリラなんて、失礼だな。まだ高校一年生の女の子なのに」
見知らぬ男子生徒が、部長に対してそう反論をする。
長身な彼は、わたしに小さくうなずきかける。
彼は、かなりのイケメンだった。
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