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02

 高校ではテニスをやるもんか、と決めたのには大きな理由がある。

 その理由のためにわたしは、わたしの中学校の生徒がかつて入学した実績がない、家から遠く離れた私立の高校に、スポーツ推薦ではない一般入試で合格した。


 その高校にテニス部があることは知っていた。

 テニスをやめようと思っていたわたしにとっては大変に不都合だ。

 だが、わたしは進学先に、うちの中学の生徒が行かなさそうなこと第一条件として選んだ。

 残念なことに、その第一条件を満たしたうえで、テニス部がないという第二条件まで満たす高校がなかったのである。


 テニスをやめようと決めたのは、わたしにつけられた呪われたあだ名のためだった。

 そもそもわたしがテニスをはじめたのは約三年前、中学校に入ってすぐのことだ。

 そのころわたしは大いなる希望を抱いてテニス部に入部をしていた。

 目標は世界屈指のプレイヤー。

 そのころちょうど、日本出身の女子選手が世界で輝かしい成績を収めており、毎日のようにニュースでも報道されていた。

 そんな様子を見て、わたしもテニス選手にあこがれたのである。


 わたしの入った中学校は、規模が小さいながらも硬式のテニス部があった。

 ただ人数は少なかったため、入ってさっそく、わたしたちはコートに立たされた。

 まともな顧問もおらず、指導に当たるのはわたしより一つ上の先輩だけだった。


 先輩にラケットの握り方を教わり、さっそくサーブを打つ準備に入った。

 そしてそこでわたしは、自分の身にあまるほどのテニスの才能を知った。


 硬式テニスのラケットを生まれてはじめて握ったわたし。

 そんなわたしが全力で放った最初のサーブは、見事にテニスコートの緑のサーフェイスに描かれたライン上をピンポイントでとらえた。


 これはなかなかすごいことだったらしい。

 らしいが、わたしにはいまだにピンとこない。

 先輩は目を丸くして、わたしにたずねた。


「あなた、本当にテニス、はじめてなの?」


「ええ、まあ。あれでよかったんです?」


「完璧よ。サーブに関していえば、わたしが教えることなんて、何にもないぐらい」


 先輩は言い、そして続けた。


「しかし、あのパワーサーブ。……まるでゴリラね」


 わたしが覚えている限り、それが『ゴリラ』の愛称の初出である。

 そう、わたしのあだ名、ニックネーム、それは『ゴリラ』だ。

 なんて呪われたニックネーム!

 愛称のくせに、全然愛らしくないじゃないか!


 わたしの体力は人並みだ。

 人よりちょっとすばしっこく、鬼ごっこなんかは昔から得意だったけれど、別にバカ力を持っているというわけではない。

 スポーツテストで行う握力測定も、シャトルランも、ソフトボール投げだって、秀でているなんてことは別にない。

 反復横跳びだけはまあいい成績だったけれど、別にクラスでも一番ではない。


 だけどもわたしはテニスの天才で、特にサーブに関しては、中学校レベルではほとんど誰の追随も許さないほどだった。

 コートの隅を狙い、全力で振るだけで鋭いサーブが飛ぶ。

 なぜ、そんなに精密な鋭いサーブが打てるのかとたずねられたこともあるし、どんな練習をすればそのような剛速球を放てるのかとも後輩に聞かれたこともあるけれど、わたしは本気で答えに困ってきた。


 だって、特別なことは何もしていないのだ。

 はじめからわたしはうまかった。


 そりゃ入部して以来、人並み程度の努力は行ってきた。

 ランニングもしたし、筋トレだってした。

 フォームも自己流で磨いた。

 家の庭で壁打ちだってした。


 だけど同じような練習をしてきたチームメイトは誰も、わたしと同じボールが打てるようにはならなかった。

 わたしから言わせればむしろ、他の人がなぜ、わたしと同じようにテニスボールを打てないのかがわからない。



   ※※※ 

 


 中学三年間で、全国大会に三年連続で出場した。


 中一のときは同級生の優勝候補に一回戦で負けた。

 まだ発展途上だったわたしのサーブを打ち返せた彼女には、ラリーではかなわなかった。


 中学二年生の時は決勝に行った。

 相手はまたしても同じで、今度は接戦で負けた。

 わたしのサーブは彼女を最後まで苦しめたけれども、結局のところ打ち破られた。


 三年生のとき、二年連続で負けたその相手は大会に出てこなかった。

 彼女はアメリカにわたり、プロになるための練習をはじめたらしかった。

 それでわたしは見事全国大会で優勝し、中学テニス界にわたしの名前はとどろいた。

 もちろん、いつの間にか広まっていた、あんまりありがたくないあだ名も一緒に。


 サービスゲームをほぼ落とさず、とにかくパワーで攻め続けるわたしのプレースタイルは、誰からともなく『ゴリラ』とか『ゴリラ藤井』と呼ばれていた。

 全国でも知られたそのニックネームは、気を抜いているうちに、わたしの普段の中学校生活にまで浸透していた。

 どうやら、わたしの外見的なイメージにもその愛称はピッタリ合ったらしい。 


 まあ少しいかつい顔をしていることは否めない。

 いわゆる『濃い顔』と言われるタイプの顔立ちをわたしはしている。

 でも『ゴリラ顔女子』なんて言葉もあることだし、わたしもまあ、黙っていればそこそこ見られる顔なんじゃないかと思っている。

 黙ってさえいれば、というか、普通に過ごしてさえいれば。

 多少、口や素行は悪いかもしれないけれど、別に可愛げがないわけでもないし。


 しかしわたしがコートに立ち、ラケットをふるうたびに、歓声が沸き、そしてわたしは『ゴリラ』と呼ばれる。

 誉め言葉のつもりなのかもしれない。

 あざけりも含まれているのかもしれない。

 もしかしたらそのあだ名は、生まれつきそんなテニスができるという、わたしの才能を表すのに適切な言葉だったのかもしれない。


 そもそも、もって生まれた才能が違うのだ。

 人間は生まれつきゴリラには勝てない。

 勝てっこない、なんて。

 ゴリラというのは、そんな想いを表すにはぴったりな呼び方なのかもしれない。



   ※※※ 

 


 だけどわたし自身はもう限界だった。

 精神の底の方で静かに積もりつつあったその限界を自覚したのは、中学三年生の夏である。

 全国大会が終わり、見事優勝したわたしは、あらかじめ決めていた自分への約束を果たすことにした。


 そのころわたしには好きな同級生がおり、彼は男子テニス部の部長でもあった。

 いつもわたしの活躍をほめたたえてくれる彼は、よくテニスの話にも付き合ってくれ、わたしは彼に単なる部活仲間という以上の好意を抱いていた。

 全国大会優勝を決めた後のコートサイドで、全身汗まみれのわたしの肩を叩き、その男子はわたしに微笑みかけてくれた。


「やったな。うちの学校の伝説だよ、お前」


「うん」


 わたしはそうとだけ答えてうなずき、彼に対する想いを深くした。

 こりゃあもう、かねてから秘めていたわたしの思いを伝えるしかない、と決めたのである。


 その実行の日は、わたしたちが部活を去り、後輩たちに後をたくす最後の練習の日だった。

 その日の練習が終わった後のことを考え、緊張に震える手でサーブを打ちまくったわたしは、後輩にあきれられていた。


「ヒビキ先輩、最後だからってそんなバカスカ気持ちよく打ち込まないでください。自信、失うじゃないですか……」


「ああ、ごめん、ごめん」


 すべての練習が終わり、新部長に送別の言葉をかけられた後、わたしは好きな同級生に声をかけた。

 少し話があるの、と誘いだし、誰もいなくなったテニスコートのベンチの上で、わたしの気持ちを伝えた。


「少し、考えさせてくれないか。後で返事する」


 彼は微笑んでそう答えた。

 うん、わかった、とわたしは高鳴る胸を抑えながらいった。

 うまくいく確率は半々ってところだ。

 そう思っていた。


 もちろんそんなのは幻想にすぎず、その翌日の放課後にわたしは、忘れ物を取りに自分の教室へ向かって廊下を歩いていた。

 そのとき偶然、彼と友人たちが教室で語り合っているところに、うっかり出くわしてしまった。


「そういえば俺、藤井に告られた」


 最初にそんな声が聞こえた。

 もちろん、わたしの好きな同級生の声だ。

 わたしは足を止めて耳を澄ませる。


「藤井って、あの藤井? 藤井ヒビキ?」


「ゴリラ藤井?」


「よかったな、玉の輿じゃん。あいつのテニス、プロ級なんだろ」


「バカ、プロになんか、なれるわけないだろ。あいつでも、ムリだよ。あいつが二年のとき負けた相手だって、苦戦しているらしいし。アメリカでの話だけどさ」


 わたしは教室の入り口のところに立ち尽くし、いつも応援してくれていた彼の非情なその声を聞いた。

 『お前ならプロになれるんじゃない?』そんな言葉をかけてくれたこともあったのに。

 わたしだってそう信じていたのに。


「それにさ、俺だってやだよ。ゴリラと付き合うだなんて、さ。飼育員か、って」


 その声を聞いて、わたしは昇降口へと引き返した。

 もう、忘れ物なんてどうでもよかった。


 家に帰ってから、わたしはその同級生にアプリでメッセージを送った。

 昨日の放課後の話、あれはただの気の迷いだった。

 わたしは何か、最後の練習の雰囲気というものに酔っていた。

 自分でも改めてよく考えてみたけれど、結局のところ、同じ部活仲間としての気持ちしかなかった。

 なんてことを伝えた。


 こんな返事がきた。


『わかった。俺も実際、どう答えればいいか迷ってたんだ。これからもよろしくな』


 最後の一文を読んで、彼の普段の言動が思い出された。

 彼はいつも優しい言葉をかけてくれた。

 今日の言葉だって、しょせん、仲間内の冗談でしかなく、例えば照れ隠しとかで、わたしに対する本当の気持ちを表したものじゃないのかもしれない。


 だけど彼がわたしのことを好きじゃないのは間違いない。

 だって普通、好きな相手のことをゴリラなんて呼んだりしないし、友達にも呼ばせない。

 本気で好きな相手にだって、わたしはゴリラと思われている。


 それって、辛くない?

 彼の言葉を借りるなら、『わたしだってやだよ、ゴリラなんてさ』というわけだ。


 そんなわけでわたしはテニスをやめることにした。

 わたしだってうら若い乙女だ。

 だがテニスがわたしをゴリラにしてしまった。


 わたしを『ゴリラ』にするものから離れることに、どれほどの躊躇があるというのだろうか?

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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