01
ポーン、と硬式テニス球の弾む澄んだ音が校庭の奥から届く。
耳を澄ませながら、わたしは昇降口を出てすぐのところで友人の川崎ミナミを待っている。
ミナミは高校に入って新しくできた友人だ。
そのきっかけはわたしたちの席が隣同士だったことだった。
わたしと同じく、身長が高くも低くもない、太っても痩せてもいない、そんな生徒だ。
特徴といえば分厚い眼鏡をしていることと、野暮ったいぐらいの毛量を持つ、つややかな黒髪で編まれた三つ編み。
そんな分厚い眼鏡をかけたミナミが、三つ編みおさげを揺らしつつ、昇降口から現れる。
わたしにちらりと目を向け、にこりと笑うとこちらに駆け寄ってくる。
「お待たせ」
「待ったよ」
わたしは素直にそう言ってやる。
といってもせいぜい五分に満たない程度だ。
「ごめんね。面白い本を探してたら、つい夢中になっちゃって。ウチの高校、結構、図書室の品ぞろえいいよね」
「まだ行ったことがないからわからん」
ごく正直にそういうと、ミナミはそうなんだー、なんてのんびりな返事をする。
彼女は黒髪で髪型も三つ編みだし、図書委員にも立候補していたし、きっと本が好きでおとなしい、引っ込み思案な女子なんだろうな、と思って接触してみたら、やっぱりそうだった。
そんな風に、人は外面上の特徴から、他人に対して勝手なイメージを抱く。
で、そのイメージが似つかわしい個性を持つ人間は、きっと幸せだ。
「ミナミは本が好きなんだよね。読んでると、楽しい?」
「うん、この世で一番の趣味だと思う。藤井さんは――」
「ヒビキでいいよ」
「あ、うん。ヒビキは……趣味なんて、あるの? 部活に入る気はないって、言っていたけど」
わたしたちはまだ出会って一週間しか経っていない。
お互いのことはほとんど知らないといってもいいけれど、ミナミは大体にしてイメージ通りだ。
そして今までのところ、そのイメージから彼女が外れたことはない。
「わたし? あー、わたしは……そうだね。無かな」
「無?」
「つまり、その、無趣味」
そうなんだー、と、のんびりとしたミナミの声を聞いてからもう一度、ポーンと澄んだ音を聴く。
硬式テニス球の音。
そしてわたしは、コートの上で見る景色のことを一瞬、思い出す。
そして首をぶんぶんと横に振る。
もう思い出さない方がいい。
「どうしたの?」
「いや、なんでも」
「ところでさ、……あの人たち、知り合い?」
「ん?」
ミナミが口にした奇妙な言葉に促され、わたしは彼女が指をさす先に目を向ける。
わたしの通う高校の入り口、なかなかオールドファッションな校門の前に三人ほど、女子生徒が立っている。
体格や雰囲気からすれば、たぶん上級生だ。
彼女たちはみんなこっちの方に目を向けている。
一方、わたしには彼女たちに見覚えはない。
「誰だろ、あれ。ミナミに用事じゃないの? 図書委員の上級生とか」
「知らない人だと思うけどなあ」
なんて言いあっているうちに、わたしたちは校門にたどり着く。
そこではっきりとしたのは、彼女たちの目が明らかに、ミナミではなく、わたしの方に向いていることだった。
だけどわたしにはこの高校に知り合いの先輩などいない。
何か妙な因縁をつけられても困ると思い、なるべく目を背けていたのだけれど、ついにその、知らないフリも通じない展開が訪れる。
「藤井ヒビキさん、よね。ちょっといい?」
三人のうちの一人がわたしの名前を呼ぶ。
もはや逃げ隠れできない。
「なんでしょ」
わたしはなるべく軽いトーンで答える。
一体何ごとに巻き込まれているのかも理解できないうちは、わたしの危険性のなさをアピールする方が得策に思えたからだ。
「私たち、女子テニス部の部員なんだけど」
そう聞いた途端、わたしの背筋を悪い予感が走り抜ける。
彼女たちが何をしたいのか、その一言でわたしには理解ができた。
だからわたしは振り返り、川崎ミナミにこう言った。
「ミナミ、また明日」
「え?」
「ごめんね。今日は一緒に帰れなさそうだわ」
そう言うなり、わたしは校門を抜けて全力で逃亡をはじめる。
目標は、通学に使っている最寄り駅。
歩いて十五分ぐらいの距離がある。
さて、走れば何分かかるだろう。
いくらしつこい勧誘であろうとも、駅の改札をくぐってさえしまえば、決して追ってはくるまい。
わたしは全力で駆け出す。
走るのは、とても久しぶりだった。
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