4話 やくそく
待ち合わせは午後三時。
のはずなのに、一時間以上早く到着してしまった。どれだけ浮かれているんだろうね、俺。
駅入り口前のベンチが立ち並ぶ、所謂そういう人たちの為の待ち合わせ場所によくなっている場所だ。
実際に周りには遊んでいそうな若い男や小奇麗な服装の女が多数座っており、その中に一人買ったばかりの服でそわそわ座っている俺が場違いじゃないか不安で仕方がない。
あの日――俺がナツキに「会おうぜ!」と宣言した日から数日たった週末の今日、ナツキとこれから会うことになっている。
今日の俺は講義は昼まで、バイトは休みである。ナツキも今日は休みらしい。
まさかこんなにも早期にナツキに会うことになるとは。
望んでいたとはいえ、唐突に実現するとなると心の整理がつかないのが現状である。
別に今まで女性とデートをしたことがないわけではないが、初対面の女性といきなり二人きりというのは俺のとっては難問だった。
しかしながらシュミレーションはバッチリしてきた。そのおかげで若干寝不足で目の下にクマができているのが何とも情けないところではあるが。
というか俺は何故すぐにデートという方向に持って行こうとするのだろうか。
ただ俺はナツキと、溢れんばかりに胸の中に湧いているアニメやゲーム、特に今季アニメで覇権とまで言われ始めている【オルタナティブ・ラバーズ】への熱い想いを、話したい、語り尽くしたいだけなはずだ。
同じ趣味の話ができる人間というのは貴重である。
しかもそれが恐らく同年代くらい、そしてその後のやり取りで知ったのだが、住んでいる場所も電車で一本というそれなりに近所の人間となれば、これはもうシンパシーを感じずには居られない。
さらに、それが女の人なのだ。
どんなに抑えても、どうしても俺の中で小さな俺が小躍りしてしまうのは仕方がない。
表情筋が緩んだり、緊張しすぎで何も話せなくなったりしないように気を付けなければならない。
こういう時はやっぱり男がリード、みたいなところあるしな。
スマホで時刻を確認、まだ待ち合わせ時刻まで五十分はある。
……今のうちに小便でも済ませておこうかな。
× × ×
さて。
駅のトイレから戻ると、俺が座っていたベンチには別の男が座っていた。
仕方なくすぐそばの自動販売機の側面に背中を預ける。ここからなら辺りを一望できる。
小ぢんまりとしたタクシー乗り場、バス乗り場。
その先に防風林が立ち並び、さらにその奥にお洒落な色合いの喫茶店が一店。
反対側にはセルフのガソリンスタンドや小さな工務店のような建物があり、対比してガチャガチャとした雰囲気である。
普段降りない駅の新鮮さを噛み締めながら待つことしばらく。そろそろである。
心臓が先程からなかなか落ち着いてくれないが、それもそのはず、既にベンチには何人か俺と同じくらいの年齢であろう女性が座っているのだ。
もしかしたらその中の誰かがナツキなのかもしれない。
お互いの顔が分からないので、目印として俺は今掛けているショルダーバッグに以前ナツキと話して盛り上がったゲームのキャラ【クライズ】のアクリルキーホルダーを付けている。
それを見て、ナツキが俺に話しかけてくれる手筈である。
高鳴る鼓動を呼吸で宥めつつスマホを改めて見ると、遂に十五時ちょうどになった。
こんなにも緊張感を発生させる十五時は未だかつてない。受験当日よりも間違いなく心臓が躍っている。
手の甲に痺れるような感覚を感じつつ、俺は辺りを軽く見渡す。
しかしながら俺のもとに向かってきている女性は居なかった。
一番俺に近いベンチに座る茶髪の女性のもとに、がっしりした体格の男が「ごめん、おまたせ」と言いながら現れた。
茶髪の女性はパッと笑顔が咲きながら立ち上がり「全然待ってないよ」と言って現れた男と手を繋いで歩いて行った。
うーん、手ねえ。
繋いだことはないが、女の子と手を繋ぐってのはどんな気分なんだろうか。
俺なら手汗が嫌がられないかが心配で、気が気じゃなくなりそうである。
……というか初対面で手なんか繋ぐわけないだろ、馬鹿か俺は。
空いたベンチに座り、一応【クライズ】のアクリルキーホルダーが見えるように鞄を抱える。
そしてスマホを取り出してSNSを開く。
『それじゃ、明日はよろしくね!』
昨日のナツキからのこのメッセージ以降、特に今日まで何も連絡はない。
『着いたよ』
十五時過ぎ、念のためナツキ宛に連絡を入れてから改めて辺りを見渡す。
特にベンチにいる顔ぶれに変化はない。
タクシー乗り場で運転手のおじさん二人が競馬の話をしている声と、駅のホームからチャイム音が鳴る他には何も音はない。風さえ凪いでいて、葉擦れの音すらも鳴りを潜めている。
そして。
――そのまま一時間が過ぎた。
あれ? 何かがおかしいぞ?
俺が間違ったのかとナツキとのSNS上のやり取りを何度も見返すが、駅は間違えていないし時刻も十五時で合っている。
現在時刻は十六時過ぎ。連絡がないのはおかしい。何らかの原因で遅れるにしろ、ナツキならきっと一報あるはずである。
緊張感はいつの間にかどこかに消え、代わりに溜め息の数が多くなってきた俺は、再度SNSでナツキ宛にメッセージを送る。
『おーいナツキ? 何かあった?』
もしかして【クライズ】の影が薄いとか? ……いやこれは公式の出したグッズでイラストも公式絵、ナツキなら見間違うはずもない。
それとも俺の姿を確認して、あまりにも好みではなさ過ぎて帰っちゃうパターンとか? そういう出会い系のテンプレ的なやつだったりする?
だとしたら俺は心に深い傷を負うところだけども。ナツキがそんな奴じゃないって俺は信じている。(震え声)
さらに時間が経ち、遂にベンチには殆ど人が居なくなった。
二つ隣のベンチで、犬の散歩であろう初老の女性が水筒で何かを呑んでいるのを見遣った後、改めて辺りを見渡すがそれらしい女性は見当たらない。
スマホの時計はそろそろ十七時になろうとしていて、俺は無意識にしてしまっていた貧乏揺すりをやめて大きく溜め息を吐いた。
これはつまり、そういうことだろうか。
俺の恐れていたことが起こってしまった、と。
もしもナツキが俺の姿に幻滅して声を掛けずに帰ったのだとするなら、このままSNS上の関係すら無くなりかねないということだ。
もしくは、やはりナツキの身に何かが起こっている? それともやむにやまれぬ事情により来られず、連絡すらできない状況? 携帯の充電が切れているとか?
どちらにせよ、俺としてはどうすることもできない。
帰るわけにもいかない、かといってどこにいるかもわからない以上こちらからどこかに会いに行くこともできない。
眉根が寄ってしまうのを必死に抑えながら、俺は腕を組んで目を閉じた。
まぶたの裏は、俺に嫌な映像を見せてくる。
目が合えば逸らされ、俯かれたあの日の転校生。
――迷惑。
もしかしたら俺はまた無意識に迷惑を掛けていたのだろうか。
会いたいと言った俺に応えてくれたナツキは、内心では迷惑がり、仕方なく話を合わせてくれただけなのではないだろうか。
SNSはやはり言葉の表しか映し出さない。
そこから裏側の奥底の真意を読み取れない俺は、SNSをやる資格が無いのかもしれない。
思考は螺旋状に悲しみを生成し、気が付けば俺の閉じた目が潤んでいた。
鼻の奥がひりつき、呼吸が若干乱れる。
ぼやけた視界で見たスマホの液晶には、そろそろ十八時になる時刻が表示されている。
約三時間。アニメ映画ならとっくに終わって感傷に浸っている頃合いだ。
夕日が俺のうなだれ気味の後ろ首筋に照射して若干熱を帯びている。
相変わらず周りにはそれらしい人影はなかった。
……さすがに、これはもうダメだろう。コールドゲームってやつだ。
もはや誰一人座っていないベンチ群から俺は一人立ち上がる
ビックリするくらい重たくなっていた脚で、俺は駅に歩みを進める。
その時だった。
しばらく沈黙を貫いていた俺のスマホが振動した。
慌てて通知を確認するとそこにはSNSに新着メッセージの文字。
俺はそれを合格発表の時よりも慎重に開いて確認する。
ナツキからのメッセージだった。
『リョウ、連絡遅れてごめん。今日ちょっと、友人に止められて行けなくなっちゃって。折角の約束だったのに本当にごめんね』
そこまで読んで俺は一気に体の力が抜けた。危うく膝から崩れ落ちるところだった。
なによりも安堵がまず最初に俺を襲ったからだ。
良かった……別に騙されていたわけでも、幻滅されたわけでもない。
友人に、というところはよく分からないし解せないが、何よりも今日で俺の大切な友人であるナツキとの繋がりが無くなるようなことにはならなそうで本当に良かった。
といった安堵も束の間、続くナツキのメッセージを見て、俺は更によく分からない感情にとらわれることになった。
『謝る立場でこんなこと相談するのもアレなんだけど……実は、友人がストーカーにつけ回されているらしい。僕そういうの経験も無くて全然わからなくて。リョウ、こういうときどうすればいいと思う?』
駅の改札の前でそれを読み、俺はしばらく固まってしまった。
明日、日曜日更新の【side.N】の4話も合わせてお楽しみください。