2話 けいそつ
俺の中の理性の化け物はこう言う。
性別なんてものは関係ない、お前の精神の支えになっていた心の友が男だろうが女だろうが、事実はさして何も変わりはしない。これまで通りでいい。
しかしながら俺の中の本能の野獣はこう言う。
ここまで趣味嗜好が一致し、気の合う異性が未だかつていただろうか。もしも恋人を作るなら、見た目よりも相性で選ぶべきだ。どんな女性かはわからないが、支えになって、ここまで気の合う女性を逃す手はないのではないか。
……恋人云々は少々飛躍した気もするが、今日の昼にあった裏切られ事件からアルバイトを終えて帰宅した夜の今現在まで、俺の中に根付いていた思いが爆発的に広がり、そして霧散する煙のように薄まるのを何度も繰り返している。
ナツキに会ってみたい――。
しかしながらもしも本当に会えた時に、何かが壊れそうな気がする。
脳内で乙女の定石のような禅問答を午後いっぱい繰り広げた俺は、自室のベッドに転がってスマートフォンでSNSを開く。
そしてナツキから来た返信を改めて見つめる。
女。
あれから俺はナツキに返信をすることができていない。
どう返すべきか分からないからだ。
ベッドの上で仰向けになり、返信の分を数文字打っては消してを繰り返す。まるで思春期真っ只中である。
知ってたフリをするよりも、ここは正直に返信しよう。
そんな当たり前のことが頭に浮かぶまで、かなりの時間を要した。
『そうだったのか……ごめん、勘違いしてた! ハヤテ君か……ああいう何か闇を抱えていそうな男がモテるのかなぁ。ちょっと参考にしようかな』
素直に謝罪、そして返信内容に戻るように誘導。
絞りに絞った返信だった。しかしながらラブレターでも書いているようなじんわりとした緊張感が肚の中に残っている。
返信を待つ間、何故かベッドの上に正座をして、改めて『ナツキ』について考える。
俺の支え、そして心の友。
ただ想像と性別が違うというだけで、俺の中のジャイアンは赤面してもじもじしてやがる。
『いやいや、リョウはそのままでいいって。というかリョウにはそういうの無理でしょ、闇抱えるとか含みとか。思ったことそのまま口にするタイプだもの』
俺はすぐに来たナツキからの返信を正座のまま一文字ずつじっくり読んだ。
この『リョウ』というのが俺のSNS上の名前だ。ちなみに本名である九十九涼介から取った、なんとも安直なHNである。
どうやら怒ってはいなさそうで、それでいていつも通りな返信の具合で安堵した。
その日は無意識ににやけてしまう自分を表情筋で律しながら、アニメ【オルタナティブ・ラバーズ】について熱めのやり取りをして、夜中の一時頃には就寝した。
× × ×
ここまではいい。
俺の中の心の支えの人物が男性であろうと女性であろうと、俺にとってはやはりSNS上の知り合いというだけで、特段俺の日常に大きな変化はなかった。
強いて言うなら、返信するときに若干浮ついてしまったり、来た返信を見てニヤリとすることが増えたくらいだ。
言ってしまえばSNS上の知り合い。
ネットワーク上の、デジタルの世界の、電子と電波を介する関係だ。
たとえこの星のどこかに『ナツキ』の実態が存在するとしても、そして俺がどんなに独りよがりに勝手に同じキャンパスライフを望もうとも、それは空想に過ぎないのである。
冷静にそう考えて、肩の荷が下りたような気がして、それからはナツキとこれまでのように楽にやり取りすることができるようになった。
そして一週間くらいが過ぎた日のことだ。
ナツキに指摘された俺の性格『思ったことそのまま口にするタイプ』によって、俺はちょっとした失態をしでかすことになる。
その日も俺は講義とアルバイトに弄ばれ、疲労感満載で帰宅した。
すぐにシャワーを浴び、特売の弁当をレンジで温めながら、いつものようにSNSを開く。
もちろん、心の安寧の為である。
本日も『ナツキ』と衝撃内容の【オルタナティブ・ラバーズ】二話について朝と昼休みにやり取りをしたが、そんな短い時間のやり取りでは物足りなかった。
寝るまでの数時間で熱く語りたくて仕方がなかったのだ。アルバイト中もずっとそのことばかり考えて、先輩に怒られる始末である。
『まさかの展開だったね。僕はハヤテ君派だからいいけども、リョウにはちょっと耐え難いよね。あそこでレインちゃんが……』
アルバイト中に来ていたナツキの返信を見て、俺は心が燃えるとともにちょっぴり泣きそうにもなった。
『そうなんだよ! まだ二話だぞ? 俺のレインちゃんが……。この気持ちどこにぶつければいいんだよ』
俺は温めすぎて持ち上げるのに苦労をした弁当を食べながら、ナツキに返信をした。
毎度お行儀が悪いが、俺にとっては肉体的栄養と精神的栄養を同時に摂取できる最強の時間だ。
そして――
『でもレインちゃんがこのまま終わるとは思えないんだよね。リョウはどう思う?』
『流石ナツキ! 俺もそう思ってた。これ絶対後半胸アツな展開で戻ってくる気がするぜ』
『その時までハヤテ君も生きていてくれればいいんだけど。死亡フラグがちらほら垣間見えるんだよね』
『そう? 具体的にはどんなところ?』
『ナツキは感じなかった? 例えばBパートの引き際のあのアングルとか。なんか不穏な感じがするんだよね』
――盛り上がってしまった俺は、
『さすがの慧眼っぷりだな、ナツキ。俺はそこまで見れてなかった。録画してあるから、次の休みでもう一回見直すわ! いやー、やっぱり文字だけじゃ語り尽くせないぜ! 直接会ってマジで語り尽くしたい! 会いたいぞナツキ!』
気付いたときにはこう返信していた。
別に相手が女性であることを忘れていたわけではない。いきなり会いたがる男性に恐怖心や嫌悪感を抱く女性の気持ちだってある程度理解しているつもりだ。
しかしながら、俺は自分が思っている以上に『思ったことそのまま口にするタイプ』らしい。
理性や抑制すらすっ飛ばして『会いたい』などと言ってしまったのがその証拠である。
やべぇ、どうしよう。嫌われるかもしれない。
俺の心の支えが、もしかしたら無くなってしまうかもしれない。
そう思っていた。
この後のナツキのあんな返信が来るまでは。
明日、日曜日更新の【side.N】の2話も合わせてお楽しみください。