最終話 でんせん
自宅に戻った俺は電気もつけずにベッドに腰掛けて、≪マスター≫こと冬根とバイト先のバックルームで話した内容について回顧する。
冬根が調べ上げて報告してくれたことを順序立ててまとめるとこうだ。
まず第一に、俺の心の支えであるナツキは、鷺森憂妃ではなかった。
冬根にはっきりと「それは君の勘違いだ」と断言をされた。
確かに同一人物だという確証はなかった。俺が勝手にタイミングや関係性を考慮して導き出した可能性に過ぎず、これに関しては若干の拍子抜け感と共に未知なる存在の出現、みたいな気分になった。
ナツキ――本名・鬱ノ宮夏姫。
俺のHNも安直だが、まさか本名そのままをHNにしているとは。素直なナツキらしいっちゃらしいのかもしれない。
そして次に宣告されたのはナツキこと鬱ノ宮夏姫と鷺森憂妃の関係性。
どうやら二人は親しい友人とのことだった。
これには正直驚いた。世間は狭いなどという使い古された言葉しか出てこないが、俺にとっては既にこの事実すら何か運命的なものを感じてしまう。
タイミングの暗示の勘も、あながち間違いではなかったようだ。
そして継いで冬根から告げられた事実で、俺の心は焦げた砂糖のようにドロリと茶色く融けるような痛烈な不快感を襲うことになった。
「夏姫さんと鷺森さんは、今現在どちらも入院中だよ」
鋭く迸る悪寒と共にどういう状況かを問いただすと、冬根は一つ深呼吸をしてから口を開いてくれた。
「二人は、人為的な事件に巻き込まれたようだ。……そうだね、詳しく口にするとショックが大きいだろうから、あとで調査報告書を渡す。その事件後、交通事故にも遭っている。これが人為的なものか偶発的なものかはまだ調査中だけど、今のところ加害者のドライバーと事件関係者との接点が見つからない。恐らく、偶然起きた不幸な事故だろう」
耳から入ってくる冬根の言葉一つ一つが、鉛のように重く頭の中に蓄積されていった。
人為的な事件……交通事故……。
考え得る中で最悪のシナリオだった。
『……ああ、このスマホの持ち主? それなら今オレの足元で這いつくばってるんだけどさ――』
謎の男の電話口からの嘲るような言葉が脳内でリフレインし、吐き気を催したのを覚えている。
「僕らも都合上、直に接触することはできないから正確な状態までは断言できないけど、夏姫さんはどうやら現在記憶障害が起こっているそうだ。一時的なものかどうかまでも分かってはいない。そして鷺森さんに関してはガードが固く、どういう状況かまでは把握できなかった。入院している、としか」
俺は一体、何をしていたのだろう。
ナツキと会う約束をして、浮ついて、会えなくて悲しくなって、意味不明な電話に苛立って、奇怪な声と悲鳴に頭が混乱して。
ナツキと連絡が取れなくなって、勝手に絶望して引きこもって、全てが嫌になって。
結果と状況を知った今、俺はただ何もできなかった無力で無価値な男でしかない。
心の支えだろうが、勝手に好きだと思っていようが、欠片も力になれていない。先輩の歪みやタイミング的不穏を察知していようが、流れ行くものをただ見ているだけの傍観者でしかない。
動けない、携われもしない、圧倒的な弱い人間。それが俺だ。
「それは違う」
頭を抱えて自らを虐げる言葉を出すしかない俺に、冬根は声を掛けてくれた。
「九十九くん、キミは俺に相談してくれた。それだけで既に君は十分に強かだ。相手がどう思っているとか、結果がどうなるかなんてのは二の次でいい。知ろうとして携わろうとして、そして助けたいと、そう思っているんだろ?」
だけど、もう既に悲劇は起こってしまって――
「まだ、終わってない。終わってないんだよ九十九くん。キミになら、そしてキミにしかできないことがある。最後の報告、聞いてくれるかな」
難しそうな表情の冬根から告げられた最後の報告。
それは蜜峰楠弥についての事項だった。
全ての報告の枕に「確証は無いが」を添えてから言われたことは全部で三点。
一つ、蜜峰は鷺森をストーカーしていた可能性が高い。
二つ、鷺森とナツキが巻き込まれた事件に携わっている可能性が高い。
そして三つ、このまま蜜峰が鷺森を諦める可能性は極めて低い。
「異常なまでに用心深い性格らしい。色々と駆使して調べたけれど、蜜峰という男に関してはどれもハッキリとしたことは分からなかった。だけど、僕は『ストーカー』というものをよく知っているんだ。真性のストーカーってのは、目的の為なら何ヶ月だろうが何年だろうが潜んだりするものでね。長期戦になることは覚悟していただきたい。こちらも可能な限り動きを察知するように手を回すから」
やはりだ。俺の先輩、蜜峰は異常な人間だった。
冗談という言葉を信じ、見て見ぬふり紛いのことをしてしまった自分が悔しくてたまらない。
「だからね、九十九くん。キミには、時が来たらやってもらうことがある。もちろんキミが望むなら、だけどね」
「やります」
即答した。
やるさ。なんだってやる。
好意を抱くナツキの為? 他人とは思えない鷺森の為? 先輩である蜜峰の不始末を払拭する為? 自分の失態を帳消しにする贖罪の為?
形式的な理由など最早どうでもいい。
ただそう――
『ナツキのことが、好きだから!』
――俺は俺の気持ちを信じている。
不意にスマホがバイブして俺は回想から暗い自室に舞い戻った。
≪マスター≫である冬根からのメールだった。
『調査資料は添付に。このメールアドレスとメールはすぐに削除を。今後、僕からの電話も番号だけを手帳などにアナログにメモして履歴などはすぐに消すように――』
何やら指示がたくさん書かれており苦笑したが、添付されていた資料を見て俺は苦笑すらも消えた。
書いてあったのは一件の事件概要。
口にもしたくない凄惨な内容が記されており、加害者には知らない男の名前、被害者には鬱ノ宮夏姫と鷺森憂妃の二名が書かれていた。
後悔と悔しさで顔面の筋肉が痺れ、首を振ってそれを誤魔化した。
『――今後、連絡はキミのバイト先のマネージャーを介して行う。何かあれば彼女に。こちらも何かあれば彼女から伝えてもらう。いつでも連絡を取れるようにしておくように――』
うわぁ……マジですか。どうしても日野さん介さないとダメなんですかね。いろいろと怖いので極力関わりたくないんだけど……。
『――以上。あとはどうするか、キミ次第だ』
最後の一行を読んで、俺は腹筋に力が入った。
――望むところだ!
× × ×
生物学的には動物である人間も、やはりほかの種とはちょっと違う存在らしい。
動物は多くの場合、自然淘汰に逆らい子孫を残すことを使命としており、もちろんのこと人間という種にも生物学的には当てはまる事実だとは思う。
人間が他と違うのは、それが子孫繁栄などに限らないということだ。
極端な例だが、仕事に生きてきた仕事人間が、定年退職とともに何をしていいか分からず、そのまま認知症になったり寝たきりになった……なんて話がある。
それとは逆に、不治の病に侵されていた人間が、自身の夢や希望を叶えるため、もしくは達成したことにより完治した……なんて例もある。
これは明らかに使命と生命がリンクしていることを示している。
……とまあ仰々しく挙げたが、何が言いたいかというとつまりは俺も使命を見出した、ということだ。
≪マスター≫である冬根のおかげで、俺の人生に使命が生まれた。
そうすることで俺は全てのことに今まで以上に真剣に取り組めるようになっていた。
いつ、何が起きるか分からない。どのようなことが起こってもいつでも対応できるようにしておかなければならない。
その為には、大学やアルバイト等、他のことを中途半端にしておく訳にはいかない。
といった具合に。
目的も特になく、ただなあなあと大学に行きアルバイトをしていたころの俺とはまるで違う。自分で自分が自分じゃない気さえする。
使命を得て生命力が漲った(?)俺は、時折ほぼ無進展な中途報告を日野マネージャーから聞かされつつも日々を過ごしていく。
来たる『時』を待ちながら。
そして――。
一年の月日が流れた。
俺は一年で履修した全科目の単位を取得し、大学二年に進級した。
アルバイトも引き続き同じ書店で続けている。
一年前のあの日以来、鷺森憂妃を見かけることは無かった。
もちろん蜜峰楠弥もあれから見ていない。大学にもバイト先にも現れていない。
しかしながら、一日たりとも忘れたことはない。
もちろんナツキ――鬱ノ宮夏姫のこともだ。
冬根からの情報によれば、あの日から大きな進展自体は無い。
蜜峰は潜むように接触を断ちながら実家に籠り続け、鷺森とナツキは日常を取り戻そうとしている。
ナツキは記憶を失い、今でもはっきりとしたことは思い出せないらしい。
何もできなかった自分に後悔しているのは事実だが、立ち止まるわけにはいかない。
いつか必ず来るはずの『時』を待ちながら、今日も大学にて講義を受けていた。
そして遂にその時が来たようだ。
不意にバイブしたスマホを見ると、日野からの着信だった。
俺は講義中にもかかわらず講義室を脱して駅の方向へ歩きながら応答した。
「もしもし」
『……一時間後、店に来い』
それだけ言うと日野は一方的に通話を終了した。
相変わらずの無愛想な上司だが、ここ一年高確率で一緒に働くようになって分かったことがある。
日野は思った以上に面倒見がいい人だった。
口調は無機質気味だが思いやりがあるし、無表情が多いが気遣ってくれる一面もある。
まあ相変わらずちょっと怖いけど。
久しぶりに講義をサボって電車に乗りバイト先に着くと、昼のスタッフが店内に一人いた。
驚いた顔で「忘れ物ですか?」などと訊いてくるのを笑顔で誤魔化してからバックルームに突入すると、そこには冬根が居た。
椅子に座り足を組んでいる。直接会うのはほぼ一年ぶりである。
「やぁ九十九君。ちょっと背が伸びたかな?」
「何かわかったんですか!?」
親戚のおじさんのような冬根の問いを無視して訊くと、
「一応最後に一つ確認だよ。九十九君、あの頃と気持ちは変わらないかい?」
「気持ち、ですか」
「うん。九十九くんの気持ち」
――ナツキが、好きだから!
「変わりません」
寧ろ、強まってるまである。
「そうかい。それじゃ……」
冬根は鋭い目のまま口角を上げ、
「これから九十九くんには僕になってもらう」
「はい…………え?」
× × ×
俺は自宅に帰宅後、冬根から言われた通りに捨てアカウントを作り、冬根に指定されたアカウント、つまりナツキの現在のアカウントにSNSでメッセージを送った。
『あなたは一年前とある事件に巻き込まれました。私はそれを追っている者です。記憶喪失であるナツキ様は覚えていないかもしれませんが、私は当時のあなたのことを知っております。もし『リョウ』という名前に心当たりがあるなら返信を下さい。待っています』
十中八九怪訝みを帯びた返信が来るだろうという冬根の推測通り、少しの間があってからナツキから返信が来た。
メッセージをやり取りするにあたり、俺は≪マスター≫を名乗ることになった。これも冬根の指示通りである。
そして「遠からず、キミたちは会うことになる」という冬根の宣言通り、数日後に俺とナツキは直接会うことになった。
遂に、である。
ただ一つ、俺の望みと違うのは、初めまして、ようやく会えましたね、などという暢気なセリフを吐けないほど状況が切迫しているということだ。
ナツキに呼び出されるような形で駅前の公園に赴いた俺は、その公園で一人不思議な雰囲気で立ち尽くしている女性を一人見つけた。
俺と同じくらいの年齢の女性。
どんな容姿か全く知らない、更には後姿だというのに、俺の本能は間違いなく彼女がナツキだと叫んでいた。
「あの。ナツキさん、ですか?」
怯えるようにして振り返った女性は、不思議な雰囲気の女性だった。
失礼な言い方をすれば絶世の美女でも可愛さの権化でもない。しかしながら【魅力的】という言葉がぴったりの、儚さと煌びやかさを纏う女性だった。
「あなたが≪マスター≫? ……本当に?」
怪訝な反応すら、俺にとっては泣きそうになる様な事案だった。
一年越し。ようやく、こうして会えた。
今すぐにでも語り尽くしたい欲求を押さえて、
「俺は九十九涼介。一年前にナツキとSNSで話していたリョウ本人だ」
今は、ナツキに、記憶を失った鬱ノ宮夏姫に、俺の知る全てを話すことにしよう。
一年前から始まったストーカー事件。それはまだ終わっていないのだから。
× × ×
× × ×
数日後のことである。
どうやら、≪マスター≫に相談すれば、必ず最善の道へ導いてくれる、という噂は本当らしい。
事実俺はナツキとの待望の会合を果たし、後悔の過去に決着をつける為に動くことができた。
ボッチで長所の無いこんな俺のことを、ナツキは信じてくれた。
一緒に、鷺森を危機から救おうと、動いてくれた。
一つちょっとした悔しいことが挙げるとするなら、俺とナツキが現場――つまり蜜峰と鷺森のもとに着いた時には、すでに全てに片が付いていたことだ。
蜜峰はストーカー及び強制性交等罪などの容疑で正式に逮捕され、鷺森も窮地には立たされつつも大きな被害にはならなかった。
そして……俺の心の支え、それでいて俺の心が好きだと叫ぶナツキの、記憶を失っている鬱ノ宮夏姫の力になることできた。
つまりは俺の望みが一年越しで全て叶ったのだ。
この一年は本当に長かった。それでいて、俺が生きてきた二十年弱の人生において、一番生を実感した一年でもあった。
裏切られた――という歓喜の叫びから始まった、俺のSNS上の友人、ナツキ。
心の支えですらあったナツキと、こうしてまた繋がることができた。
そして――――
『もしよかったら、会ってゆっくり話をしない? この前はいろいろとゴタついて、全然話せなかったからさ。ちゃんと会ったって感じしなくて』
俺は一年前のように、SNSでナツキとやり取りをするようになっていた。
あの頃と違うのは、今の俺達はお互いにお互いの容姿を知っているということ。
そして、口では表現できない信頼、みたいなものがある……と俺は思っている。
凄惨な過去を繰り返さないためにも、俺は、俺だけはこれからもずっとナツキの力になっていきたい。
そしていつかナツキも、今は忘れてしまっている当時の『リョウ』のことを思い出してくれることを祈っている。
そして訊いてみたい。
なあナツキ、ナツキは俺のこと、どんなふうに思ってたんだ?
約束通り、俺は駅前のベンチに来た。
相変わらず三十分以上早く着いたが、待つのは嫌いじゃない。
これからナツキが来る。
一年間、長かったなあ。早くこうして直接会いたかったけど、やっぱり色んなことがあったし、俺としても慎重にならざるを得なかった。
でもこうして会える。俺達は結ばれる運命にあるのかも……なんてね。
そして、ナツキが来てくれたら、第一声はこう言うと決めている。
「やあ、やっと会えたね」
あとがき
えねるどと申します。
お読みいただき本当にありがとうございます。
というわけでside.R、完結です。
……何とも不穏な最終回、どうですか?(?)
在処様との合作ということで、それぞれの得意ジャンル【ラブコメ×ミステリ】で書かせて頂きました。
ミステリ部分、トリックやギミックに関しては在処様にほぼ頼り切りになりつつ、私の執筆部分【side.R】に関しては、自由に書かせて頂きました。
のびのびとやらせて頂けて、感謝でございます。
とくに巧妙なミステリ要素は在処様執筆の【side.N】をお読みいただければ深く理解できると思います。
もしも途中でギミックに気付けた方が居たらミステリマスターです。(?)
そして、本作【side.R】の、特に終わり方のネタバレ的なヒントと致しましては……
最後の部分がどうしてほぼ【九十九涼介】の狭い視点しか書かれていないか、セリフや言い回しがとある部分と類似している……
といったところです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
引き続き、明日更新のside N 最終話も併せてご覧頂けたら幸いです。